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日本の失敗という神話 (2) [海外メディア記事]

 「日本の失敗という神話」の第二回目。

 日本が過小評価された要因として、欧米人の心理的なものが挙げられているのは、まあ、いかにもそうだろうと思う。もちろん、人種差別的な偏見が関係しているということではない。たとえば、バブル期にアメリカの大学教授が『ジャパン・アズ・No.1』のような本を出したが、まるで幇間がヨイショするようなそんな過大評価があった反動で、不当なまでの過小評価へと振り子が逆に振れた、ということなのかもしれない。そして、一方の極から他方の極へと振れた後で、今また振り子は真ん中に戻ろうとしているにすぎないのかもしれないのだ。





The Myth of Japan’s Failure
By EAMONN FINGLETON
Published: January 6, 2012

http://www.nytimes.com/2012/01/08/opinion/sunday/the-true-story-of-japans-economic-success.html?pagewanted=2&_r=1






  日本の失敗という神話(2)


 では、日本はなぜ敗者と見られているのか? それは、公式に発表されるGDPの数字で、アメリカが長年にわたって日本をはっきりと上回ってきたからである。だが、アメリカが公式に発表する数字を額面通り受け取ったとしても、両国の差は人々が考えるよりはるかに小さいものである。国民一人当たりの計算方式(これがGDPを算出する適切な方法なのだ)に手直しして1989年から算出してみるならば、アメリカのGDPの成長率は年平均でわずか1.4%にすぎなくなる。その期間の日本の数字はさらに小さく――わずか1%に――なってしまうが、この数字が意味するのは、日本の成長率はアメリカよりも年平均で0.4%下回っているにすぎない、ということだ。

 
 ところが、根底にある算出方法に目を向けると、下回るどころか、日本が上回っていたかもしれないことが判るのだ。まず、1980年代にアメリカの統計学者は、少し注目を集めた変更の中で、インフレ率を調整するいわゆるヘドニック法を次々と採用し始めたのだが、これは、多くの専門家によれば、国の見かけの成長速度を人工的に高めるアプローチだったのだ。

 アメリカの経済的なデータの不備を追跡調査するウェブサイトであるシャドースタッツ・ドットコム(Shadowstats.com)のジョン・ウィリアムズ(John Williams)の計算では、ここ数十年のアメリカの成長率は年間2%ほど誇張されてきたようだ。彼の計算が真実に近いとすれば、この要因だけでも、一人当たりのGDPでアメリカは日本に負けることになるのだ。


 日本人の弱点があるとすれば、その最も明白な場所は高価なハイテクの新製品の採用が遅いことにある、と思われるかもしれない。しかし、日本はハイテク製品の採用に関して言えば、一貫して世界でもっとも早かった国の一つだった。遅れていたのは、どちらかといえば、アメリカ人の方だった。たとえば携帯電話では、日本は1990年代後半の数年間でアメリカを大きく引き離し、それ以降ずっとアメリカの先を行っている。日本の消費者は、進んだ機種が出るたびに、他に例を見ないほどの速さでそちらに殺到するのである。

 ここに関係する話題の多くは、量的であるよりは質的なものだ。一例は日本の外食文化である。ミシュラン・ガイドによると、東京には世界のトップランクのレストランが16店もあるが、第2位のパリはわずか10店である。日本全体でも、ミシュランの格付けでフランスを凌駕している。しかし、このことをGDPの観点からどのように言い表わせというのだろうか?


 同様の問題は、日本の医療システムにおける改善を評価する際にも生じる。それに、過去20年間における日本の環境全般でなされた広範囲な改善をどのようにしたら正確に伝えられるだろうか?


 幸いなことに、これらの問題の多くをうまく解決してくれる尺度があって、それは発電量である。発電量は、多くの場合、消費者の豊かさと産業活動の尺度となるからである。日本が全く「無能な国(basket case)」として各方面から描かれていた1990年代には、日本人一人当たりの発電量の増加率はアメリカの2倍であったし、21世紀に入ってからもアメリカを上回り続けていたのである。


 ここで起こっていることは、ある意味で、欧米人の心理に関係しているのだ。長期にわたって日本に関する話題を追い続けてきた人ならば誰でも、多くの欧米人が積極的に日本を過小評価しようとしてきたことに気づかざるを得ないのだ。だから、日本の政策が上手くいっても、それはことごとく自動的に割り引かれてしまうのだ。それは、東京を拠点に置く欧米の外交官や学者の間にもはっきり表われる習慣化した見方なのである。

 たとえば、欧米のオブザーバーが日本の人口動態をどのように見てきたかを取り上げてみよう。日本人は低い出生率のおかげで高齢化しているが、この特徴は、日本が世界の豊かな国々の多くと共有しているものだ。しかしこれは重大な問題としてだけではなく政策の失敗として語られるのである。日本人が個人的にも集団的にもこうした少子化の成り行きを選びとったということ――そして、そうするだけの理由を十分にもっているということ――は、欧米人には思いもよらないことらしいのだ。

 
 人口動態に関する物語りは、帝国を奪われたばかりの日本人が飢え死にしかけていた1945~6年のひどい冬に始まった。対外的な拡張政策はもはやオプションとはなりえなくなったので、日本の指導者たちは出生率を下げることを最優先の政策にしようと決めたのだ。その後、核家族の文化が始まり、それが今日まで続いているのである。


 日本の動機ははっきりしている。食料の安全保障である。国民一人当たりの耕作可能な土地が中国の約3分の1しかないので、日本は長い間世界最大の食料純輸入国であった。産児制限政策が日本の少子高齢化の主たる原因であるが、この少子高齢化という現象は、医療制度の改善と1950年以降20歳以上も平均寿命が延びたことを反映してもいるのである。

」(つづく)









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