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妄想とともに暮らした後で生きる目的を発見する(3) [海外メディア記事]

 統合失調症に由来する妄想に悩み続けてきた男性の軌跡をたどる第三回目。

 結局、この記事の教訓は何か? やはり、信頼できる他者の働きかけがないと、妄想の一人称の閉鎖空間から抜け出すのは困難だということなのか? それとも、そうした働きかけはきっかけにすぎず、やはり肝心なのは本人の意思やある種の強さなのだろうか? しかし、このグリーク氏の場合は、自分のあり方を客観視できる資質が強かった――自分で理論化できるほどの資質――という意味で、かなり特殊な部類に属すると言えるのではないか? あるいは、それは何も特殊ではない、何かきっかけがあれば、誰にでもできることなのではないか?――なぜなら、自分が経験したことに向き合うことなのだから、なぜできないことがあるだろう?


 そんな疑問が次々に湧いてくるが、ここではそれ以上のことを言うのは控えよう。とりあえず言えることは、病的な妄想(の体系)に陥った人間自身が、自らの人的・知的資源を駆使してそこから抜け出すのが最善の道だというこのケイリー氏のシリーズ全体に共通する思想が、この記事にも見出せるということであろう。

 しかし、少し抗議したいことがあって、それは、この記事で述べられる妄想についての捉え方が、少なからずステレオタイプ化された、かなり陳腐なものであるということである。病的妄想のうちに積極的な意義を見出そうとする解釈はミンコフスキー以降少なからず提出されてきたのであるから。

 そうした解釈の中でも、妄想とは、人間が生き延びるために脳が生み出す戦略なのだという捉え方を、私はかなり気に入っていて、そういう主張を掲げる論文の翻訳をアップしたことがある。こういう点に興味をもたれる方はぜひとも参照されたい(http://miksil.blog.so-net.ne.jp/2010-11-03)。



Finding Purpose After Living With Delusion


By BENEDICT CAREY
Published: November 25, 2011

http://www.nytimes.com/2011/11/26/health/man-uses-his-schizophrenia-to-gather-clues-for-daily-living.html?pagewanted=3&_r=2&partner=rssnyt&emc=rss&adxnnlx=1322486851-NQPsFAcDKAPOGLWJGy2rEg



妄想とともに暮らした後で生きる目的を発見する(3)



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(グリーク氏は、コンピュータ・プログラマーだが、社会活動や講演活動で一日が埋まってしまうこともある)


 ドアのところに立っていた男性は救世主のように見えなかった。ボロボロのジーンズ姿で髪はボサボサ、柔和な目をしていてうっすら笑みを浮かべていた。でも彼は、冷蔵庫がほとんど空っぽだった日に、晩ご飯の用意をしてあげるよと申し出たのだ――彼は炒め物を作ってくれた。

 二人の隣人は友人になり、親密になり、ついには恋に落ちた。それが何時のことだったかは二人とも正確に言うことは出来なかったが、彼女はグリーク氏が通りから自分のアパートに到着するのを窓越しに眺めていた時のことを覚えている。彼の古いホンダは白煙をゴホゴホあげていた。彼はボンネットを叩き、エンジンを凝視しながらスローモーションで車から後ずさりをして、急にアパートの方に向きを換え――そして、顔から茂みに飛び込んで、姿を消した。「私は「まあ、何かあったのね、とは思ったわ」と彼女は言った。「何があったのかは知らないけどね。多分ぼんやりしていたんじゃない?」。

 彼らは2003年結婚したが(グリ―ク氏の妻はアーチストだが、プライバシーのために、自分の名前がこの記事に載らないように求めた)、彼女は、彼が自分の宗教的な幻想(これは、今では投薬治療でコントロールされている)を首尾一貫した個人的な物語りに適合するように作り変える手助けをした。その物語りの方が彼のその日その日を導くものとなったのだ。

 
 お前はろくでなしだという恐ろしい声や不吉な徴(しるし)は、校庭で同級生たちに脅されたときに、皆から仲間はずれにされたという子供時代の現実的な恐怖心が具体的な形になって現れたものにすぎなかった。地上で天国を探そうとする彼の探求は、ある意味で、その運命から逃れ、安全な場所を見つけようとする試みだった。しかし、それはまた、世界を正そうとする願望を劇的に表現したものでもあった。この使命は無意味な空想として始まったものかもしれないが、時にどうしてもそうせずにはいられない感情的な命令、ちょっとした親切な行為をしないではいられない欲求になった。たとえば、雪に埋もれた隣人のために食事を作ってやろうとする欲求がそれである。



 病気とうまく付き合うための方法



 「彼が非常に情熱的に取り組んでいる大義はこんなに長いリストになっているし、彼はほとんどどんなことにも強烈な意見を持っていますが、彼は他の人々との関係にとても敏感で他の考え方も認めています」と述べるのはメリッサ・ヴァン・ミーター。彼女は大学でグリーク氏と共同の作業をしたことがあり、彼とはきわめて異なる政治的見解をもっている。「彼が個人的にあれほど多くの問題を扱っていながら、なおかつ職業的にもきちんと仕事をしていることは私に感銘を与えてきましたよ」。


 「僕が妄想を自分の実人生で起こる物事の文脈の中で見始めるようになって、ついに妄想は意味あるものになったのです」とグリーク氏は言った。「そして、自分の精神病の物語りを理解することが、まともでいられるために僕が必要としているものは何かを知る手助けになったのです」。


 グリーク氏の方法は、セラピストを時折訪問したり慈善行為を定期的に行ったりしながら、瞑想と仕事と薬物療法を組み合わせることから成り立っている。慈善事業は地域社会を改善するためのものもあれば、仕事場の同僚や友人(とりわけ、精神疾患の治療に関わりのある人々)のためのものもある。


 精神病的な妄想を経験したことのある人の手助けをするために、彼は妄想が何を意味するのかについての自分なりの理論を頼りにする。20例の妄想的な経験(そのすべては、患者が一人称で記述したものだが)を分析した際に、グリーク氏は4つの筋書きをとり出した。

 その一つが救済者(特定のグループを救おうとする使命に基づく)の筋書きであり、自己を嫌悪する(自分は極度に無価値という感覚に迷い込んだ)人の筋書きであり、幻視者(真実をもち帰ろうとして精神的な領域に旅する途上にある人)の筋書きであり、救世主(奇跡や神々との接触によって世界を変える人)の筋書きである――これらのうちの最後がグリーク氏の精神病の物語りなのである。


 グリーク氏の見立てでは、そのそれぞれが、孤立であれ虐待であれ家庭の崩壊であれ、特定の恐怖心やトラウマから生じたものであり、それはちょうど彼自身の妄想の物語りが社会の不適格者であるかもしれないという恐怖心を象徴的に言い表していたのと同じである。彼は精神医学誌に自分の研究結果を載せる準備をしているところであり、また多くの時間を費やして、精神病に対処する家族のためのマニュアル(『統合失調症:回復のための青写真(Schizophrenia: A Blueprint for Recovery)』)を作った。


精神病における物語りの筋書きに関するグリーク氏の分析は、確かに最初のものないし、最も包括的なものでもない。精神科医や心理学者やセラピストや脳科学者は、妄想の間に何が起こっているのかについて何百ものアイデアを紡ぎだしてきたからだ。


 しかし最近まで患者自身――つまり、幻覚や妄想とともに生きてきた専門家ではない人々――は、詳細に調べる材料としては、自分自身の奇妙な物語りしかなかったのだ。それが今では、数十もの物語りが手に入るようになった。グリーク氏は数少ないそうした「ネイティブな(自分自身が病気の経験者である)」理論家の一人である。そうした理論家たちは、妄想の内容は無視されるべきではなく、いったん人が自分の幻覚をコントロールできるようなったならば、慎重に関わっていくべきものだと主張しているのだ。




 根底にある欲求



 「ある人の異常な信念や経験を探ることにより、私たちは、そうした経験に糧を与えている根本的な感情や欲求をより良く理解できるようになるのです」。そう語るのは、自分自身精神病と格闘してきた心理学者で、最近、6人の妄想の内容を分析した博士論文を著したパリス・ウィリアムズ(Paris Williams)。その博士論文はグリーク氏の研究にインスピレーションを与えた。


 例えばですね、と現在『狂気を考え直す(Rethinking Madness)』という題名の本を執筆中のウィリアムズ博士は述べる。「患者が悪意ある勢力によって迫害されていると思うときでも、患者に安全だと感じてもらえる方法を見つけることはできるし、また患者が厳しい要求を突きつける声を経験する時でも、自分には能力があると感じてもらえる方法を見つけることもできるのです」。

 グリーク氏が安全だと感じる場所の一つは、自宅の裏にある森の空き地である。最近、とある日の午後に、彼は絞り染めのシャツと膝が丸見えの古いジーンズを着て森に入って行った。彼はそこでマインドフルネス瞑想を実践し、いつもは見過ごされている生命のリズムに合わせようとするのである。

 自宅で彼は、自分の思考や知覚を妻に確かめてもらう。「彼はね、「僕に聞こえているのはマーチング・バンドなのか、それとも幻聴なのか?」というようなことを言うの」と彼女は言った。「私がね、「いいえ、バンドの音なんか聞こえてないわ、ミルト」と言うと、彼は「そうか」という顔をするの」。

 ストレスのレベルが非常に高くなると、彼はセラピストのもとを訪ねる。そのセラピストは彼に統合失調症ならびに、彼の医療記録によると、「気分障害、その他の障害なし」という診断を下したが、彼女は彼に向精神薬を処方して、投薬量を彼の気分に応じて増減させながらグループ・ワークをとおして治療している。

 母親が死んでから、グリーク氏と彼の妻は、他にも近親者が死亡したこともあり、何度か感情的に沈んだことがあった。彼の方がとくに参ったようだ。彼には仕事があり、コミュニティのプロジェクトを数多く抱えており、講演旅行、しかもしばしば警察官相手に、路上の一般人を扱うときに精神病的な考え方をどうやって理解すればいいかについて講演することもあるのである。

 
 あまりに負担が重なったので、8月に彼は再びセラピストを訪問することになり、その直後に、妻と約束を交わした。「彼女と僕は来年行う予定のボランティア活動を明確化し制限する契約を結んだのです」と彼はメールで述べた。「いま僕は、どうやったらノーと言えるかについて彼女のコーチを受けているところなのです」。

 世界はまだ救われていないし、アテネですら救われてはいない。しかし、救世主のような救済者であっても、たとえそれが翌日には体力を回復して戻ってくるためでしかないにしても、一日の休みは必要なのである。


」(おわり)





コメント(2) 
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コメント 2

中村学

壊れた脳についてのM・ハンダートの考え、アレント、カントを読ませてまらいました。それぞれの考えが照応しているように思いました。私は造形に携わっておりますのでカントの項は示唆的でおもしろかったです。
by 中村学 (2011-12-16 14:42) 

MikS

ありがとうございます。
by MikS (2011-12-18 09:33) 

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