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マイケル・ムーア:僕はアメリカで一番の嫌われものだった(2) [海外メディア記事]

 マイケル・ムーアの回顧的な文章の後半。
 『華氏9・11』が記録的なヒットとなる中、ブッシュが再選されたり激しい攻撃のために半ば引きこもり状態に追い込まれ、映画人としての活動に懐疑的になった2年半を経て、ブッシュの言葉を励みにして立ち直るまでを描いている。

 最後のエピソードは少し感動的だ。それに笑える。やはりムーアらしい。



 やはり今回も、少しだけ注釈をつけてみたい。

ラッシュ・リンボー … 保守派の論客で、ラジオのトークショーのホスト。『ラッシュ・リンボー・ショー』は全米一の人気を誇るラジオ番組らしい。 
http://en.wikipedia.org/wiki/Rush_Limbaugh
 
The Anarchist's Cookbook … 『アナーキストの料理本』。1971年に書かれた、反体制派の武装闘争のための指南書。
http://en.wikipedia.org/wiki/The_Anarchist_Cookbook 

The Turner Diaries …  『ターナーの日記』。国粋主義的団体のリーダーであるウィリアム・ルーター・パース(William Luther Pierce)が偽名で1978年に発表した小説。アメリカ連邦政府の転覆やユダヤ人や非白人の絶滅をもたらす暴力革命を描いた。
http://en.wikipedia.org/wiki/The_Turner_Diaries

クリプトナイト …  漫画『スーパーマン』に出てくる鉱石。この鉱石の前では、スーパーマンもまったく力を発揮できない。ちなみに、「筋骨格構造」も「コアバランス」もダイエット運動との関連で話題になる用語。要するにムーアは、ダイエット運動でちょっとはましな体になったのだから(これは事実らしい)、俺のことを甘く見るとやけどをするぜと言いたいわけだが、もちろん冗談。





Michael Moore: I was the most hated man in America

Michael Moore
guardian.co.uk, Wednesday 7 September 2011 20.00 BST

http://www.guardian.co.uk/books/2011/sep/07/michael-moore-hated-man-america




 マイケル・ムーア:僕はアメリカで一番の嫌われものだった(2)


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マイケル・ムーア。写真:スコット・マクダーモット





『華氏9・11』:反撃


 オスカーの大騒動があってその結果アメリカで一番の嫌われものという評判をえた後で、僕は、僕の立場に置かれたら誰だってすることをしよう、と心に決めた:つまり、アメリカ合衆国の大統領は戦争犯罪人であるという問題提起をする映画を作ることにしたのだ。


 というか、楽な道を選ぶつもりにはなれなかった。それに楽な道なんて僕にはもうなかったのだ。次の映画に資金を提供する約束をしていたスタジオからは、オスカーのスピーチの後に、契約を破棄したいという電話連絡があった――お前が嫌でも、そんなことは知ったことではないというのだ。幸いにも、別のスタジオが契約をしてくれたが、チケットを買ってくれる国民を怒らせないように注意してくれとそのスタジオは釘を刺した。そこのオーナーはイラク侵攻を支持していた。僕は彼に、もう僕はチケットを買ってくれる国民を怒らせてしまったのだから、出来るだけ良い映画作る、撮りたい映画を撮る―――誰も好きになってくれなければ、すぐにビデオにするという手だってあるじゃないか、と言った。



 こうした混乱の最中に、僕は『華氏9・11』を撮り始めた。撮影隊のみんなには、これが、僕たちが映画業界で行う最後の仕事になるかもしれないと思って作業をしてくれと頼んだ。やる気を起こさせるためにそんなことを言ったわけではなかった――僕は、本当にそうなるだろうと思っていたのだ。そして僕たちは次の11カ月間、狂ってしまった政府と国家を映画によって告発するという作業を進めていった。

 
 戦争の開始から1年以上たっていた2004年に映画は完成したが、その頃はまだ大多数のアメリカ人が戦争を支持していた。僕たちはカンヌ映画祭で初公開したが、クエンティン・タランティーノが委員長をつとめる国際色あふれる審査委員たちによって、僕たちは最高の賞であるパルム・ドールが与えられた。ドキュメンタリーが最高賞を受賞するのは約50年のカンヌの歴史で初めてのことだった。

 
 『華氏9・11』に対するこの圧倒的な反応は、ブッシュ政権を動揺させ、ブッシュ再選の選挙キャンペーンの担当者たちに、この映画が転回点となって選挙に負けるかもしれないと思わせたものだった。彼らは世論調査員を雇って、その映画が有権者に与える影響を調べさせた。3つの別々の都市で3種類の観客に映画を見せた後、大統領上級顧問のカール・ローブが受けとった知らせは良くないものだった。その映画は、民主党支持者(彼らはその映画に狂喜した)に待望の励ましを与えただけでなく、奇妙なことに、女性の共和党支持者にもはっきりとした効果をもっていたのだ。


 映画会社が独自に行ったアンケート調査では、驚くべきことに共和党支持者の3分の1が――映画を見た後――他の人にこの映画を勧めるだろうと述べた。しかしホワイトハウスの世論調査はいっそう危険なことを報告していた――共和党支持の女性の10%は、『華氏9・11』を見た後では、ジョン・ケリーに投票するかそれとも棄権すると述べたのだ。ほんの数パーセントのポイント差で勝負が決まる選挙では、これは衝撃的なニュースだった。


 『華氏9・11』は全米のNo.1シアターで上映される予定だった。さらに、ホワイトハウスにとって都合の悪いことに、50州すべてのNo.1シアターで上映された。南部の保守的な地域も例外ではなかった。フォート・ブラッグのような基地の町のNo.1シアターでも上映された。兵士やその家族が見に出かけたし、多くの人の話では、『華氏9・11』はイラクの部隊が見た海賊版映画のトップになった。それは、上映館が1000館以下の映画としては、『スターウォーズ ジェダイの帰還(Star Wars Return of the Jedi)』が長い間保持していたボックス・オフィスの全米週末興行収入の記録を打ち破ってしまった。『バラエティ』誌がよく使う冗長な言い回しを使えば、大大ヒット作(major boffo)、向かうところ敵なしといった人気だった。


 そしてまさにそれほどのヒット作となる中で、僕はまたしても標的になってしまった。

 
 それに続いて起こった僕に対する攻撃は、メチャクチャで、正気とは思えず偽物でしかありえないフィクションの作品みたいだった。僕はそんな攻撃にいちいち反応しなかったが、それはノイズをカッコよく見せたくはなかったからだ。TVで、ラジオで、論説記事で、インターネットで――つまり、いたる所で――マイケル・ムーアはアメリカを憎んでいる、あいつは嘘つきだ、陰謀の片棒を担いでいる奴だ、フランスかぶれだと喧伝された。僕に対するキャンペーンは、あまりに多くの共和党支持者があの映画を見ることを防ぐためのものだった。


 そしてそのキャンペーンは上手く行った。もちろん、どうやったところで、ケリーが面白みのない候補者であることには変わりがなかった。ブッシュは1つの州、オハイオ州だけの差で勝利した。


 共和党支持の評論家が僕に向けて投げつけた悪意ある攻撃からはそれ以外の被害もあった。それは、すでに少しはがれていたものを引き離すという悲しく悲劇的な副作用をもっていた。僕の人生は、殴り書きされた悪意の手紙を受け取るというちょっとしたことから、肉体に対する攻撃の試みに曝されるという深刻な局面になっていたし――そしてそれ以上の悪化の一途をたどったのである。




 ボディーガードと一緒に暮らす



 海軍特殊部隊の元隊員たちは僕たちと行動を共にした。僕が歩道を歩くとき、彼らは僕の周りで円を描くようにして歩かなければならなかった。夜になると彼らは、CIA本部以外ではまず見られないような夜間用のゴーグルや特殊な装置を身に着けた。

 
 僕の身を守るエージェントは、脅威を査定する部門をもっていた。彼らの仕事は、僕に対してまやかしではない脅迫をしてきた人間すべての調査をすることだった。ある日、僕はファイルを見せてくれと頼んだ。担当者は僕に名前と脅迫のリストとその脅迫がどれほどのレベルだと査定されているかを読み上げはじめた。彼がリストの最初の1ダースほどを読み上げた後、彼はストップし僕に尋ねた。「本当に先を聞きたいですか? まだ429件もあるのですが」。

 
 僕は、事件でも起きないかぎり、公の場に出かけることができなくなっていた。始めは、僕がレストランで隣の席に座った時に、その隣人から別のテーブルに移ってくれと頼まれたり、僕に向って叫び声をあげるために、車の流れを絶ち切って車を止めるタクシーの運転手だったりと、ささいなことだった。しかし、言葉による嫌がらせはすぐに肉体的なものに変わっていき、海軍特殊部隊の元隊員たちは厳戒態勢をとっていた。セキュリティ―の関係で、エージェントのアドバイスもあるし、あの犯罪者たちに彼らの求めている注目を与えたくもないので、僕はここであまり詳しく説明するつもりはないが、少しだけ列挙しておこう:


 ・ ナッシュビルでは、ナイフをもった男がステージ上に跳び上がって、僕の方に歩み寄ってきた。元隊員たちが背後からベルト・ループやえりをつかんで、その男をステージ中央から下のセメントの床に投げつけた。元隊員たちが連れ去った後、床にべっとりついた血をモップできれいにしなければならないほど血が流れた。


 ・ フォート・ローダーデールでは、バリッとしたスーツ姿の男が歩道を歩く僕を見て、気色ばんだ。彼は、やけどするほど熱いコーヒーの蓋を取り、僕の顔めがけてそれを投げつけた。元隊員はこの出来事を見ていたが、その男を捕えるには0.5秒足りなかった。だから彼は自分の顔を僕の顔の前に差し出し、コーヒーの直撃をうけた。コーヒーのおかげで彼は顔にひどい火傷を負い、僕たちは彼を病院へ運ばなければならなかった(第二度熱傷だった)――しかしそれは、彼があの男を歩道にうつぶせにして取り押さえ、膝を男の背中に痛いほど食い込ませて手錠をかけた後のことだった。


 ・ ニューヨーク市では、『華氏9・11』を上映中の映画館の一つの外で記者会見を開いていた最中に、近くを通りかかった男が僕を見て、カッとなり、ポケットから唯一携行していた武器を取り出した―――とても鋭く尖ったグラファイトの鉛筆だった。彼がそれで僕を刺そうと突進してきたとき、元隊員が見つけて、最後のコンマ何秒というところで、僕とやって来る鉛筆の間に自分の手を差し込んだ。鉛筆は彼の手を直撃した。読者のみなさんは、これまでに海軍特殊部隊の隊員が刺される場面をご覧になったことがあるだろうか? 彼らの顔に浮かんだ表情は、シャンプーが切れているのを発見したときの僕たちの表情だった。鉛筆で刺そうとした男は、元隊員がその男と16世紀の筆記道具を片づけてしまったあの日から、ペーパーレス社会に改宗したのではないだろうか。




 孤独の爆弾魔



 そして、リー・ジェームズ・ヘッドリーの登場だ。オハイオ州の自宅で一人で座りながら、リーは大きな計画を練っていた。世界は、彼の日記によると、リベラルの連中に支配され破滅に追い込まれていた。彼のコメントは、ラッシュ・リンボー(Rush Limbaugh)ショーのいつもの日のエピソードの話題のようだった。そしてリーはリストを作った。それは死ななければならない人間たちの短いリストだった。リストの一番上にNo.1のターゲットがあったが、それが「マイケル・ムーア」だった。私の名前の横に彼は「マークした」と書いた(彼が後に説明するように、「マーク」とは「死の標的(marked for death)」と言うときのような意味なのだ)。

 
 2004年の春の間に、ヘッドリーは大量の攻撃兵器、数千もの弾薬、爆弾製造のための様々な材料を集めた。彼は“The Anarchist's Cookbook”や民族間の戦争を描いた小説“The Turner Diaries”を買った。彼のノートには、ロケット発射台や爆弾の図が含まれていたし、彼は何度も何度もこう書くのだった:「戦え、戦え、戦え、殺せ、殺せ、殺せ!」。


 しかし2004年のある晩、彼は間違って自宅で自動小銃のAK-47の一つから銃弾を発射してしまった。隣人が銃撃音を聞き、警察に通報した。警官がやって来て、武器や弾薬や爆弾製造の材料の宝庫を発見した。そして彼のリストもである。

 その日から数日たって、僕はセキュリティーのエージェントから連絡を受けた。

 「報告の必要があると思ってお知らせしますが、警察はあなたの家を爆破しようと計画していた男を拘留しているそうです。今あなたは危険な状態にはありません」。

 
 僕は押し黙ってしまった。僕はいま耳にしたばかりのことを把握しようと努めた。今・・・僕は・・・危険な・・・状態に・・・ない。僕にとって、それはとどめとなる一撃だった。僕は泣き崩れた。僕の妻は、かつての生活が無くなってしまったことに絶望し切っていた。僕は再び自分自身に問いかけた:いったい僕が何をしたからといって、こんな報いを受けなければならないんだ? 映画を撮ったからか? 映画のおかげで僕の家を爆破しようという奴が出てきたのか? 

 数ヶ月たち、ブッシュが大統領に再選された後でさえ、僕に対する絶えることのない攻撃は増すばかりだった。グレン・ベックが僕の殺害を考えていると言ったとき、彼は放送監視委員会から罰金を課されることもなかったし、ニューヨーク市警察に逮捕されることもなかった。彼は、本質だけを取り出せば、僕を殺せという呼びかけを行ったのであり、当時のメディアの誰一人としてそれを報道する者はいなかった。


 警察の取り調べに対して、ヘッドリーは「ドキュメンタリー」を作っているのだ、と言った。彼はそのドキュメンタリーを「マイケル・ムーアを撃ち殺す(Shooting Michael Moore)」と名づけた。彼のウェブサイトに行って、「マイケル・ムーアを撃ち殺す(Shooting Michael Moore)」という言葉が画面に現れると、発砲の音声が流れる仕組みになっている。メディアは散々それを取り上げ、ヘッドリーには(ショーン・ハニティーのFoxニュースのような)数多くのTVショーへの出演依頼があった。「次の計画では―――彼はマイケル・ムーアに特製の薬をあげる予定だ!  ムーアを狙っている奴がいるんだぞ! 」(SFXの画面が始まり、ドカーンという爆発音)。その後でヘッドリーは、不法にわが家にたどり着く方法についてのビデオや地図を提供したのだった。


 僕はこのことが僕の個人的な生活にどれほどの影響を及ぼしたかを打ち明けたいとは思わないが、こんなことがおよそ誰かの身の上に降りかかって欲しいなどとは思わない、と言っておけば十分だ。一度ならず、僕はこんな目に会ってまでしてあんな作品を作る価値があったのかどうかと自問した。もう一度やらなければならないとしたら、僕はやるだろうか? あのオスカー授賞式のスピーチを取り消して、ただステージに上がって、自分のエージェントとタキシード・デザイナーに謝辞を述べて、それ以外何も言わずにステージを降りることができるならば、僕はそうするだろうか? もしそれが、僕の家族が自分たちの安全について心配する必要がなくなり、僕がたえず危険と隣り合わせで暮らすことがなくなるということを意味するならば―――もしそうなら、どうするかだって? どうするだろうか、そんなことは判り切ったことだ、というのが世間の常識だろう。




 ブッシュ大統領が助け舟を出してくれる


 それに続く2年と半年の間、僕はあまり外出しなかった。2005年1月から2007年5月まで、僕はたった一度のテレビ番組にも出演しなかった。大学の連続講演会にも行くのを止めた。僕は政治から距離を置いた。前年は50以上の大学で講演した。それに続く2年間は、僕はたった一つの大学で講演しただけだった。自宅から離れることはせず、僕が住んでいるミシガン州の地方の町のプロジェクトに関わっただけだった。それから何とブッシュ大統領が助け舟を出してくれたのだ。彼は、僕がこんな状態から脱出できるようにしてくれることを言ったのだ。僕は彼が以前そんなことを口にしているのを聞いたことがあったが、今度彼の言っていることを聞いたとき、僕は、彼が僕に直接語りかけているかのように感じたのだ。彼はこう言った:「我々がテロリストに屈するならば、テロリストが勝利するのだ」。そして彼は正しかった。ブッシュのテロリストたちは勝利を収めつつあったのだ! 僕に対して!  家の中に座って何をしているんだ?  僕はブラインドを開け、自分を憐れむことはもう終わりにしようと思い、仕事に復帰した。僕は、3年間で3本の映画を撮り、オバマが選出されるように必死の努力をし、ミシガン州の共和党の議員二人が失職する手助けをした。僕は、人目につくウェブサイトを開設したり、僕にブーイングを送ったアカデミー賞の理事に選出されたりもした。


 僕はあきらめないことを選んだ。本当はあきらめたかった、ひどくそう思っていた。でもそうする代わりに僕は体を鍛えた。もし君が僕にパンチをお見舞いしようとする場合、次の三つのことが起こることは確約してもいい。1)君の手はこなごなになるだろう。それは、一日に30分筋骨格構造に基づいて過ごすことで得られる美点なのだ――そうすることで体はクリプトナイトに変身するのだ。2)僕は君に襲いかかるだろう。僕はまだ自分のコアバランスの問題に取り組んでいるので、君が僕を殴った後でも、僕は君を裏返しにして、君を押しつぶすだろう。3)海軍特殊部隊の元隊員たちが、君が横転しているとき、君の眼窩に催涙スプレーか彼ら手製のハラペーニョ・スパイダー・スプレーをお見舞いするだろう。僕は平和主義者なので、僕の言い訳を事前に受け入れてくれ――そして、決して僕や誰であれ他の人に対して二度と暴力を使うことはしないでほしいのだ。

 


 そしてとうとう、しばらくぶりに『トゥナイト・ショー』に僕は出演した。僕が舞台を去ろうとするとき、ブーム・マイクを操作していた男性が僕の方に近づいてきた。


 「おそらく僕のことは覚えていないでしょうけど」と彼はオドオドしながら言った。「またお会いして話しかけるチャンスがくるなんて思ってもみませんでした。こんなことができるようになるなんて信じられない」。

 
 「こんなことってどんなことだ? 」と僕は思った。僕は、もうじき - こなごなに - なるはずの ‐ 彼の手に対して身構えた。 


 
 「 あなたに謝罪ができるなんて思ってもみませんでした 」と彼が言ったとき、彼の目に涙がわずかに浮かび上がった。「僕は、あなたのオスカー授賞式のあの夜を台無しにした者です。僕は、あなたがステージから降りた直後にあなたに向かって「糞ったれ(ASSHOLE)!」と叫んだ者です。僕は・・・(彼は気持ちを落ち着かせようとしていた)。僕はあなたが大統領を攻撃していると思ったのです――でも、あなたは正しかった。ブッシュは僕たちに嘘をついたのだから。この数年、あの夜の出来事が脳裏から離れたことはありませんでした。申し訳なくて…」。

 

  彼は泣き崩れ始めたが、僕にできそうなことといえば、手を差し伸べて、彼を抱きしめてやることくらいだった。

 
 「大丈夫だよ」。僕は、満面の笑みを浮かべてそう言った。「君の謝罪は受け入れるよ。でもね、僕に謝罪する必要なんてないんだ。君は自分の支持する大統領を信じていたのだから。自分が支持する大統領は信じるべきことになっているのだからね! 大統領の職にある人から最低限そういうことが期待できなければ、わが国は絶望的だよ」。


 「有難う」と彼はホッとしながら言った。「理解していただいて有難うございます」。

 
 「 理解するだって? 」と僕は言った。「 これは理解するとかしないとかの問題じゃないんだ。僕はあの面白い話を何年にもわたって人に語って聞かせてきたんだ、オスカーを受賞した時に耳にする最初の2つの単語について―――そして僕がボーナスの単語をどうして聞かなければならなかったのかの経緯についてね。だから、あの話を僕から取り上げないでほしいんだ! みんなあの話が大好きなんだから! 」。彼は笑った、そして僕も笑った。


 「ええ、そうですね」と彼は言った。「あれほど素敵な話は多くはないですよね」。




」(おわり)










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