So-net無料ブログ作成
検索選択
ブログパーツ

反米主義だったのか?  『ガーディアン』紙による9・11報道の総括 [海外メディア記事]

 イギリス『ガーディアン』紙は、9・11のテロ攻撃はアメリカの中東政策の反映だという論点を一貫して堅持した―――そのために、ありとあらゆる非難を十字砲火のように浴びたようだが、中でもその「反米主義」的な論調が標的となったようだ。しかしその「反米的な」論調を追い求め高く評価したのは、誰あろうアメリカ人たちだった。

 あの集団ヒステリー状態の中でそうした論点を堅持するには勇気が必要だっただろう。しかし、10年経って、やはり歴史がわれわれの正しさを証明してくれたと胸を張って主張できるのはジャーナリスト冥利というものだろう―――ひるがえって、日本ではどうだったのだろうか? どこかで政治家やマスコミの反応をまとめたサイトがあれば良いのだが。


 ちなみに、『ガーディアン』紙が浴びた批判には、次のような興味深い表現が使われていた。長い背景があって簡単には説明できないものもあるが、参考のために掲げておこう。

 
 ・useful idiots … 冷戦時代、ソ連のシンパを指すために使われたが、由来はよく判らないようだ。自国の価値観を共有しない愚か者だが、別の価値観をもつ集団には役立つ裏切り者、という意味だろうか。最近のネット右翼の若者でやたら「反日」・「売国」なんて言葉を振り回す人が結構いるが、いつの時代・どんな地域に限らず、政治の場面では敵か味方かという観点からしか見ることができない単細胞が常に多数いるということをこの言葉は示唆している。

http://en.wikipedia.org/wiki/Useful_idiot

 ・fifth columnists … スペイン内乱にさかのぼる言葉らしい。
http://en.wikipedia.org/wiki/Fifth_column

 ・Prada-Meinhof gang … 1970年代の過激派の要素をファッションに取り込んだのが「テロリスト・シック(terror chic)」で、そのなかでもドイツ赤軍派のヒロインであるバーダー・マインホフの愛したレイバンサングラスやドイツ赤軍派のTシャツなどを前面に出した過激なファッションをあるデザイナーが「プラダ・マインホフ」と呼んだことが始まりのようだ。いまでは、政治的な大義をファッションの一要素のように扱う人々のことを指すときに使われる。
 http://www.guardian.co.uk/world/2002/oct/06/germany.kateconnolly


 


9/11: A 'babble of idiots'?  History has been the judge of that



Seumas Milne
guardian.co.uk, Monday 5 September 2011 22.00 BST



http://www.guardian.co.uk/commentisfree/2011/sep/05/babble-idiots-history-guardian-comment




  9・11: 「馬鹿どものたわ言」だったのか? 歴史がその審判者となった
 
 9・11当時の『ガーディアン』の投書欄の編集者が、対テロ戦争の現実を予見した人々に対する野蛮な反応をふり返る


スーマス・ミルン
2011年9月5日月曜日PM22.00


 
1.jpg
 9・11後、リチャード・リトルジョンは『ガーディアン』を「ファシスト左翼新聞の反米プロパガンダ」と非難した。



  2番目の飛行機が世界貿易センターに突入した頃には、9・11の攻撃をどう定義するかをめぐる戦いが大西洋の両側ですでに始まっていた。アメリカでは、ブッシュ大統領が対テロ戦争への運命的な呼びかけを行なうなか、メディアはアメリカ国旗のもとに集結した。イギリスでは、トニー・ブレアとそのチアリーダーたちが熱狂的にアメリカの後を追った。彼らは、あの残虐行為が何の理由もなく起きたのであり、イギリスは傷ついた超大国アメリカが向かう所にはどこでもついて行かなければならないという馬鹿げた主張をしたが、その主張は、当然ながら、少しばかりの抵抗に直面した。


 だが、抵抗は多くはなかった。ニューヨークやワシントンで起こったことは、アメリカや西側諸国がイスラム世界に介入したことが原因なのだと論じたり、戦争熱を疑問視したりする者に対する政府やメディアの反応は野蛮なものだった。


 それにもかかわらず、なぜあのテロ攻撃が起こったのか、アメリカや西側諸国はどのように反応すべきなのかについての幅広い論争の中で、そうした声が紛れもなく聞き取れることを、『ガーディアン』は、2001年の9月11日以降ずっと確認してきた(そういう作業を行ってきたのはイギリスのマスコミではほとんど『ガーディアン』だけだった)。


 それに対する反発は狂気に近いものだった。10年後の今からふり返れば奇妙に見えるが、『ガーディアン』が記者たちにあのテロ攻撃をアメリカの世界政策に結びつけることを許容したことは、「反米主義」であり裏切り行為だと扱われたのである。


 現在、保守党政権の閣僚をしているマイケル・ゴヴは、『タイムズ』紙に、『ガーディアン』は政治をファッションショーとする「売国奴たち(fifth columnists)」の集団(Prada-Meinhof gang)になってしまったと書いた。小説家のロバート・ハリスはあの頃はブレア首相の親友だったが、彼は、世界が今ヒトラーに対する戦いを再開しているのだということを理解できない「馬鹿どものたわ言」を記事にしているといって我々を非難した。


 『テレグラフ』紙は『ガーディアン』を対象にした「役立つ愚者(useful idiots)」の定期的なコラムを載せる一方で、アンドリュー・ニールは本紙が『日刊テロリスト(Daily Terrorist)』と改名すべきだと述べたし、『サン』紙のリチャード・リトルジョンは、我々を「ファシスト左翼新聞の反米プロパガンダ」連中と非難した。


 『ガーディアン』は、細かな事実をつなぎ合せてアメリカの覇権的な政策を結論づける記事や、アフガニスタンでの米英の攻撃に反対する記事だけを載せていたわけではない。それどころではないのだ。9・11からの数日間で我々が寄稿してもらった中には、クリントン政権の国務次官補のジェームズ・ルービン、元NATO軍司令官ウェズリー・クラーク、ウィリアム・ショークロス(『今われわれは皆アメリカ人だ(We are all Americans now)』の著者)、報復を呼びかける『ワシントン・ポスト』紙のコラムニストのジム・ホーグランドなどがいた。軍事的報復を支持する面々からも選んだのだ。


 『ガーディアン』を批判する者にとって気に入らなかったのは、本紙が、報復に反対していた人々、対テロ戦争をしても何百万という人々に恐怖と流血をもたらすだけで、失敗に終わるだろうと考えた人々にもスペースを与えたことだった。投書欄には、メディアの大部分が黙殺したありとあらゆる見解が載っていた。言い換えれば、本紙は、ほとんどのメディアの管理者たちが、原則的には賛成していると言い張るが、実現することに苦心している多元主義を尊重したのだ。そして我々は、普段から西側のメディアから締め出されているアラブ人やイスラム教徒、アフガニスタン人やイラク人に記事の依頼をした。


 たとえば、9・11の翌日に『ガーディアン』は、当時労働党の議員だったジョージ・ギャロウェイに「アメリカのグローバル戦略の旋風に巻き込まれて後悔する羽目になる」かもしれないことを論じてもらった。その後、アラブの作家ラナ・カバーニは、世界に対する政策を変えるだけでアメリカに安全がもたらされるはずなのにと警告した(そう言っただけで彼女は、米国のジャーナリストのグレッグ・パラストによって「テロをそそのかす売女」とグロテスクな非難を受けた)。次の日、ジョナサン・スティールは、(当時の一般的な見解に反して)アメリカとその同盟国はアフガニスタンを制圧できないだろうと予言した。


 8月にアフガニスタンにおけるアメリカ人の死者数が新たな記録に達した今となっては、その主張に誰が反論するだろうか? あるいは、グアンタナモ海軍基地やアブグレイブ刑務所や「特別移送(extraordinary rendition)」についてわれわれが知っている今となっては、公民権を奪い取る危険について警告していた人々に、誰が反論するだろうか? または、対テロ戦争はテロリズムを勢いづけたり広めたりするだろう、イラクへの侵攻は血みどろの災いとなるだろうと、9 ・11後の緊迫した数週間で『ガーディアン』に寄稿した人々の多くが主張したのだが、今そのことに誰が反論するだろうか?


 私は当時『ガーディアン』の投書欄のエディターだったが、9・11の直後の私のコラムは、とくにあのテロ攻撃はアメリカのアラブ・イスラム世界における介入政策や、占領・独裁に対するアメリカの支援と何の関係もないと主張する人々の間では、敵意がことさら向けられる標的となった。そうでない人々も、アメリカ人が恐るべき損害を受けたときにそんなことを話題にするのは時期尚早だと感じていた。

 しかし、アメリカ政府が破局に向う道筋のお膳立てをしていたあの早い時期にこそ、これは「自由」と私たちの「生き方」への攻撃なのだ―――だからアメリカ(とイギリス)が中東やその他の地域に押しつけてきたものとは何の関係もないのだ―――というブッシュやブレアのまやかしの解釈を反駁することがもっとも緊急を要する課題だったのだ。そして、アメリカの読者からも含め、私が返答として受け取った5000通のメールのほとんどがその主張に同意してくれたのだった。


 3ヵ月後にカブールが陥落し、ブレア政権は、アフガニスタン侵攻に反対した人々(私自身や他の『ガーディアン』の記者たちを含む)、対テロ戦争について「間違っていることが判明した」人々を非難する勝ち誇った声明を出した。ルパート・マードックの『サン』紙は、我々を正当にも「戦争を避けようとするイタチ連中(war weasels)」と非難したのだった。


 こうした「イタチ連中」の中には『ガーディアン』のマドレーヌ・バンティングもいた。彼女は、アフガニスタンが第二のベトナム、「長引くゲリラ戦」の巣窟になるかもしれないという見通しを提起した――――折しも、元自由民主党の党首パディー・アシュダウンが、(ブレア政権と同様に)、アフガニスタンの戦闘が長期にわたって長引くゲリラ戦になるだろうという考えは「空想的」だと言い張っていたのである。10年たった今、我々は、「間違っていることが判明した」のがどっちだったのかを知っている。


 9・11後の『ガーディアン』の幅広い投書欄に寄せられた反応の中で最も心強かったのは、他ならぬアメリカからのものだった。アメリカでは、何が起こったのか、そしてなぜ起こったのかについての議論は、テロ攻撃後の主要メディアでは、封印されたも同然だったからだ。メディアが公式には何も物が言えなくなってしまったために生じた副産物の一つは、『ガーディアン』のウェブサイトのアメリカでの閲覧数が劇的に増えたことだった。何百万人ものアメリカ人が、本国では得られない国際情勢の見通しや幅広い見解を探し求めていたのである。

 『ガーディアン』のウェブサイトのトラフィックは、アメリカからの刺激もあって、9・11後の数ヶ月で倍増した。『ガーディアン』紙の記事は、ブルックリンからサンフランシスコにまでいたる書店のウィンドウにテープで貼り出されていた。当時ガーディアン紙の編集者で現在コロンビア大学ジャーナリズム大学院(Columbia's Graduate School of Journalism)のディジタル・ディレクターであるエミリー・ベルが言ったように、9・11後の論争のおかげで、『ガーディアン』はアメリカで最も急成長する二つのニュース・サイトの一つに変貌をとげた―――アメリカの読者層がイギリスよりもいく分大きくなる切っ掛けとなった―――ので、あの論争は本紙のあり方を「全面的に転換する」契機になったのだ。


 
 以上のことが示しているのは、2001年に我々を「反米主義」と非難した人々が、自分たちが擁護していると言い張る社会をどれほどひどく間違って判断していたか、ということなのである。


」(おわり)





nice!(1)  コメント(0) 
共通テーマ:ニュース

nice! 1

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:[必須]
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。