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あざける心の声と折り合いをつける(3) [海外メディア記事]

 幻聴に苦しむホルト氏の記事の第3回目にして完結篇。

 このシリーズの前回の主人公のマーシャ・リネハンにとって、立ち直るうえで重要なファクターだったのは(たぶん)信仰や知的好奇心だったのに対して、今回のホルト氏にとっては妻の存在が決定的なような気がする。写真からも発言からもその存在感を十二分に感じ取れるのではないだろうか?

 それにしても、何が精神の病気から回復させてくれるか、それは千差万別と言う他はないのかもしれない。

 このホルト氏の記事の一回目には次のように記されていた。

 「各人は、度重なる試行錯誤を通して、コアとなるスキルを一から積み上げなければならない」。

 ちなみに、リネハン女史の記事の第一回目にも、次のように書かれていた。

 「しかし、リネハン博士のケースは(心の中にひそむ悪魔を管理する)レシピが存在していないことを示している。」

 

 心の病からの回復にとって決定的なのは、一般的な解法(理論)は存在しないということ、薬物治療もたんなる補助にすぎないということ、解決策があるとしても、それは本人が自分で発見し、自分で一から積み上げていくしかないということ、なのだろうか? そうした根気やそれを支える要因に恵まれた人だけが立ちおなることができる、と言っていいのだろうか? 

 このCarey氏によるシリーズは、たぶん、そのような考え方を読者に提供しようとしているように見えるのだが、果たしてどうだろうか?



Learning to Cope With a Mind’s Taunting Voices

By BENEDICT CAREY
Published: August 6, 2011

http://www.nytimes.com/2011/08/07/health/07lives.html?pagewanted=3




あざける心の声と折り合いをつける(3)



3.jpg
(釣りの後、家に帰るホルト氏と息子エドウィン(16)。ホルト夫妻は、長年にわたって何十人もの里子を受け入れてきた)




 彼は駐車場の車に一人座って、暗くなるまで泣いた。「内部で何かが壊れかけていくようにも感じたし、自分がどんどん小さく縮んでいくようにも感じていたよ」。彼はパツィーに詫びながら家に入り、自分の頭を彼女の肩に力なく置いた。

 
 「何があったか大体は察しがつきました」とホルト夫人はインタビューで語った。「長いこと彼は多重人格のように見えたんです。ある時は物静かで、魅力的で、冗談をいって笑わせる人なんですけど、その後――急にですよ――カッとなって、尊大になり、すっかり別人格になってしまうんです。二人のジョーがいるみたいでしたね」。


 現実からはずれてさ迷い出る自分の心を{いわば現行犯で}取り押さえる能力は、けっして小さくない才能なのである。おそらく統合失調症患者の半数はそうした自己意識をもっていないだろう、と研究者たちは言う。{そうした自己意識をもつ}ホルト氏でも、自分の心に惑わされなくなるまでには多くの歳月が必要だった。

 三人の里子――ジャネット、フェイ、エドウィンの三人だが、いまでは法的に養子となっている――が、ホルト氏の上機嫌を引き出す力となった。里子はもっとたくさんいた。数十人の里子の出入りがあったのだ。(「代理人からの電話に出るのを止めさせなければなりませんでした」と彼の妻は言った。「ジョーはね、家のない子供がいると、ノーとは言えないんですよ」)。

 
 1990年代後半に彼はコンピュータ・プログラミングのコースを履修し、ある通信会社で職を得た。初めて真っ当なキャリアを手にしたように見えた。しかし、そうはならなかった。その会社はリストラを断行し、数十名を解雇したのだが、その中にホルト氏も含まれていたのだ。彼は、勝ち組の人生を手に入れる最後で最高のチャンスが消えてしまったと感じた。


 2000年に彼の妻が自殺を思いとどまらせた後で、ホルト氏は一念発起して、近くのフレンズ大学で、結婚と家族に関するカウンセリングの講座を受講した。セラピストになるための準備の一環として、彼は自分自身について語ってみるように勧められた。


 「僕は駄菓子屋にいる子供のようにワクワクしたね」と彼は言った。「思い入れが強すぎた、とは思いますよ。でも話し終えたとき、初めて――そう、自分そのままでいられるような気持ちになれたんだ」。


 ひどかった子供時代の影響についての問いは正しい問いではなかった、と彼は結論づけた。答えなどなかったし、これから答えが見つかることもないだろう。そんな問いかけは気晴らしにすぎなかったのだ。彼にはまだ声が聞いていた――今でも聞こえている――が、問いかけてみる価値がある唯一の問いは、そのような声とどうやって共存していくのか? という問いなのである。



 「最も難しい部分は、ただ生活を続けていくためにも、僕は自分のあらゆる考え、あらゆる態度、あらゆる感情、ありとあらゆるものをよく吟味して、「これは現実のものか?」と尋ねてみなければならない、ということだね」と彼は言った。「そして、上手くいってないときは、それを切り抜けるために自分の人生を微調整しなければならない。ある種のシステムみたいなものがないといけないんだ」。




 一日をのり切る



 そのシステムには、絶え間なく活動すること(relentless activity)、受動的に抵抗すること(passive resistance)と緊急時にやるべきこと(emergency measures)という三つの違う戦略が含まれる。


最初の部分は生まれつきのものだ。ジョー・ホルトは、おっとりとした南部人気質にもかかわらず、ブルドッグのような働き者だ。午前4時には起きて、内心で祈りを唱え、5時には政府機関のコンピュータの職場に到着する。昼に急いでランチをとり、車に乗り込んで――ヘッドフォンを着用し、ヘブライ語の聖書に耳を傾け、ヘブライ語を学習しようとする――アバンダント・ライフ・バプテスト教会(Abundant Life Baptist Church)の結婚カウンセラーとしての第二の仕事場に向う(報酬は、相談に来る人の寄付金である)。午後9時前に帰れないこともしばしばである。

 彼は概して統合失調症という診断について議論することはしないのだが、彼のことを知る人々は、彼が沈んでいる姿を見たことはあっても、はっきり妄想状態にあるのを見かけたことは一度もないという。

 「教会で彼を初めて見た時、正直に言って、変な人だなと思いましたよ」とアバンダント・ライフの筆頭牧師のリック・フリーゼンは言う。「でも、彼の様子を見ていました。彼が、孤独な人や困っている人と一緒に教会から出て、車に乗せてあげる様子をね。彼に話しかけてみると、彼がとても知的な人だと判りました。その後で私は彼を雇ったのです」。


 しかし、妄想―― 声――は、つねに表面近くにあって、ストレスがかかる時には特に表面に浮上してくるものなのだ。この記事のためにインタビューをした時もそうだった。「声がやって来る気配があるな」と彼は言った。「アドレナリンが押し寄せるようなものさ。聞き取れる形で素早く何波にもなってやって来るんだ。「出来そこないめ、最低の人間だ」――まあ、そんな感じでね」。

 それらの声に反応すると、汚らしい言葉はいっそう勢いを増すことになるだけなのだが、しかし無視することもできない。

 そこで彼は、音をまぎらわすために、もしヘッドフォンがあれば、それで音楽を聞くことにするだろう。もしできるならば、ゆっくりと、前や後に歩いてみる。


 そして言い返してやるのだ。「こんなふうに言ってやるんだ。「そうだな、もっとましな人間になれるかもしれないな。でもな、今はかなり落ち込んでいるけど、俺は善良な人間なんだよ」とかね」。


 ミーティングのときは、ちょっとの間勘弁してもらって自分と会話をすることもある。デスク・ワークのときは、こめかみに手のひらを当て、ブツブツつぶやいて言い返すこともある。「声に出して言い返さないと、気持ちが落ち着かないんだ」と彼は言った。

 要するに、その場にじっとして嵐がすぎるのをやりすごしているわけだが、そんな合間があっても仕事のパフォーマンスが悪くなることはなかった。


 ストレスが激しく、大波が何日間にもわたって押しよせるような時には、相談に来る人を減らしたり重要な意思決定を控えたりして、仕事の負荷を軽くしている。2001年、自殺を考えながら銃を握りしめて寝室で座っていたあの日からまだそれほど経っていないとき、彼は医療の助けを求めた。地元の診療所の医師は統合失調性感情障害(schizoaffective disorder)と診断し、約1ヶ月間、症状が緩和するまで、抗精神病薬による治療を施した。


 彼によれば、長年にわたり投薬治療に頼ってきたが、それは長引く症状を切り抜けるためであった。彼によると、2006年以降は投薬治療なしで何とかやって来たそうだが、彼は薬を貴重なセーフティネット、もし落ちた場合自分をキャッチしてくれるセーフティネットと見なしている。



 それに、いつだって、彼はパツィーに頼っているのだ。


 「ジョーは別だけど、私は精神疾患には用はないの」と彼女は言った。「それに、私は彼に言ってやるの、あなたが何の病気なのかってことは大したことじゃない、あなたはもう大人なんだし、そんなことは自分の中にしまっておくべきよ。あなたには責任があるんだし」。


 「私は彼に言うの、誰もが疑念や不安と闘っているじゃないの――それが正常なのよ」と彼女は続けた。「それが正常なの。そして、あなたには面倒を見る子供たちがいるじゃないの、って思い起こしてもらうのよ」。


 たしかに彼には子供たちがいる、ほとんどの父親が知る以上の子供たちが。夕食後のある夜、彼が長椅子にブッダのように静かに座っている時、パツィ―や子供たちが交代で、また一家のもとにやって来た里子を抱きかかえていた。その子は、人の目を見ることが決してなく食事をとろうともしない薬物中毒患者の2歳になる娘だった。ホルト一家は彼女のお腹に通る管から彼女に栄養分を送っているのだ。


 「でもね、彼女にできることの一つは、ギュッと抱きつくことなんだよ」と彼は言い、その子を自分のお腹の上に置いたが、その子は必死になってお腹にしがみつこうとした。「ほらほら、そこまでにしておくれ。言っていることが判るよね? これじゃ痛くて死んじゃうよ」。


」(おわり)











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