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あざける心の声と折り合いをつける(2) [海外メディア記事]

 統合失調症的な疾患を克服する上での最難関の一つが、自分が精神の病気にかかっているという自覚をもつこと。あるいは、自分の体験が幻聴や幻覚であるという自覚をもつこと。

 多くの人がこのハードルを越えることに失敗する中で、以下の記事では、自分が長年聞いてきた声が実は自分の脳内にしか存在しないものであるということを自覚するに至ったホルト氏の稀な経験が簡潔に語られている。



Learning to Cope With a Mind’s Taunting Voices

By BENEDICT CAREY
Published: August 6, 2011


http://www.nytimes.com/2011/08/07/health/07lives.html?pagewanted=2&_r=1&partner=rssnyt&emc=rss



「 
  あざける心の声と折り合いをつける(2)



2.jpg
(ホルト氏と、精神疾患との戦いにおいて大きな支えの一つとなってくれた妻のパツィー)


 独りぼっちになったあの夏、彼は複合施設の空家を見つけ、管理者の許可を得て、そこで寝泊まりする夜もあった。あるいは、近くの橋の下に身を潜めることもあった。気温が下がり高校が始まると、彼は校舎の中に引っ越し、フットボール場の隣の体育館で眠り、流し台で体を洗い服を洗った。(彼は2着のズボンとシャツを所持していた、着替えはバックパックに入れていた)。


 
 彼はほぼ1年間ある友人の家族の家で暮らし、近くのカンザス州リーウッドのチャールズ・ハンセンとテルマ・ハンセンの家で暮らしながら高校を卒業した。ハンセン夫妻には子供がいたが、通っている教会をとおして聞きつけた孤児たちを受け入れていたのだ。

 「正直に言って、この子は家族によるきちんとした養育を受けたことのない若者だという以外に、どう考えればいいのか私には判りませんでしたね」。ハンセン氏は、自宅での最近のインタビューでそう述べた。


 少年は懸命にそれを証明しようとしているかのようだった。ハンセン一家の車に乗ってデートしているとき、彼はその車を大破させた。ばく大な料金を請求されるほどハンセン家の電話を使い続けた。素行の悪さのためにある大学から退学処分を受け、別の大学では成績の悪さのために在籍できなくなった。21歳になる頃に彼はまた独りぼっちになり、ミズーリ州スプリングフィールドのロジャース一家の所で暮らすようになったが、宅配ピザの仕事をしているうちに、奇妙な行動がますます目立つようになった。

 そこで、病院で渡された薬をウイスキーと一緒に飲みこんで自殺しようと試みたのだが、その後で彼はついに統合失調症と診断されたのだった。彼はその診断を受け入れなかった。



 「統合失調症なんていう診断はまったく馬鹿げている、それが当時の僕の考えだった」とホルト氏は言った。そう、いつも人が自分を妙な目つきで見て、自分を見下したり――もっとも怖いことに、自分に対してひどいことを言っていると彼は感じていたのだが、問いつめると、彼らはそんな野蛮で侮辱的な言葉を言った覚えはないと否認するのだった。でも、それは、心の病のせいなのか、それとも、ひどかった子供時代の影響なのか? 

 「俺はめちゃくちゃ壊れていたんだ」と彼は言った。「「俺はどうしようもない人間だ、決して正常にはなれそうもないな」とひたすら思ったね」。

 しかし彼は確信をもてなかった。どんな障害を見つけようが、医者たちがどんな診断を下そうが、脳の発達についてどれほど一所懸命に本を読もうが、彼は、自分の苦境に対してそれとは別の原因をもちだすのが常だった。つまり、養育放棄や殴打や家族の愛情の欠如が原因だという説明に彼はつねに行き着くのだった。

 
 「1990年代の中頃まで、「俺は精神的に病気なのか、それとも悪い環境が俺をダメにしたのか」という自問自答をくり返して僕は消耗していた」。



 声が聞こえる



 その問いに対する答えが初めて見えたのは、1996年のある日の昼、彼の上司が彼をランチに招待してくれたときだった。



 彼は、まさか悪い知らせがあるのではないかと思って、緊張していた。その頃すでに結婚していた彼は、パツィーと10代の義理の息子と彼ら夫婦が養子にしようと計画していた3人の里子を養っていた。カンザス・シティーの診療所で働いていた彼は、より多くの収入と雇用保障を必要としていた。収入を減らされるのは御免だった。

 まさにその望みがランチのときに手に入った――彼は昇進したのだ。「僕たちは笑いながらお祝いしながら楽しいひと時をすごし、最後にその女性の上司がトイレに行くと言った。しかし、彼女がトイレに向かう直前に、彼女がひどい、とても不快な言葉を言うのを僕は聞いた――彼女は僕を侮辱したんだ。声に出してね」。

 彼女がトイレから帰ってくるまで、彼は、茫然として訳が分からないまま、ドアのそばに立っていた。その場の流れを考えてみれば、彼女が侮辱の言葉を言うなんてまったくのナンセンスなのだが、その言葉は彼の頭の中で鳴リ響くのを止めなかった。

 「ところで、誰かがこんなことを言っているのが聞こえなかった?」と彼は尋ね、あの侮辱の言葉を繰り返した。

 彼女は呆れはてたようだった。彼も自分の行為に呆れて、冗談を言っているかのような振りをしてどうにかこうにか取りつくろった。


 彼が自分の車に戻ったころには、息切れがしていた。何年にもわたって聞こえてきたあの不快な言葉、あのどこからともなくやって来る身を切り裂くような侮辱の言葉が、自分の脳内以外に存在しないということがありうるのだろうか?

 自分は間違って人を非難したことがいったい何回あったことだろう?  特にパツィーを何回非難したことだろう? 何百回? 何千回? 彼女を嘘つきと呼んだ。大声で騒ぎたてた。まったく何の理由もないのに感情を爆発させた。義理の息子に対しても同じ振る舞いをした。

 それにあの失職の数々。溶接工、塗装工、バーテンダー、販売員、ハンバーガー作り、庭師、ボディーガード、シェフ、司書。30回以上もの失職だ。何も長続きしなかった。

 「ときどき僕は逃げ出したくなるんだ――文字通り、その場から飛び去りたくなるんだ」と彼は言った。「人のことがとても怖くなるんだ。お客であっても、誰もかもが怖くなるし、人が僕に何を言ってくるのだろうかと考えてそれが怖くなるんだ」。


」(つづく)







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