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情報を隠蔽し住民被曝 [海外メディア記事]

 「原発に関する情報を隠したり、知識不足や保身を優先することで機敏な対処ができなかったために住民を被曝させてしまった」日本政府の内情を明らかにするNYタイムズの記事を紹介する。

 原文は4ページからなる長文だが、二回に分けて紹介しよう。


Japan Held Nuclear Data, Leaving Evacuees in Peril

By NORIMITSU ONISHI and MARTIN FACKLER
Published: August 8, 2011


http://www.nytimes.com/2011/08/09/world/asia/09japan.html?partner=rssnyt&emc=rss


 「 
  原発のデータの公表を抑え避難民を危険な状態に放置した日本政府


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(郡山の学校の汚染された土)


 
 巨大な津波が福島第一原子力発電所に相次ぐ被害をもたらした翌日、近くの浪江町の住民数千人が避難しようと集まった。

 東京からの指示が何もなかったので、町役場の職員は住民たちを北側に避難させた。冬の風が南に吹いていたため、放射性物質が漏れ出ていても北側には来ないだろうと思ったからである。3日3晩、4基の原子炉で起こった水素爆発のせいで放射性物質が大気に放出される中、浪江町の避難民は津島と呼ばれる地区にとどまったが、そこで子供たちは外で遊び、ご飯を炊くために渓流の水を使う親たちもいた。


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(放射性物質飛散の初期の予想)


 ところが実際は、風は津島方面に吹いていたのだ――放射性物質の広がりを予測するための政府のコンピュータ・システムがまさにその事態を示していたことを、町役場の職員が知ることになるのは二ヶ月後のことだった。

 しかし、そうした予測は、東京の官僚たちによって公表されずに放置された。彼らは、責任や、とりわけ批判を回避しようと試みる文化の中で仕事をしているからである。日本の政治指導者たちは、そのシステムについて最初は知らなかったし、知ってからも、避難地域を大幅に拡大しなければならない――したがって、事故の重大性を認めなければならない――ことを恐れて、そのシステムがはじき出したデータを重要視しなかった。

 「12日から15日まで、私たちは放射線のレベルが最高だった場所の一つにいたのです」と語るのは、原発から5マイル離れたところにある浪江町の馬場保町長。彼と数千人におよぶ浪江町の避難民は、今、二本松市の仮設住宅で暮らしている。「放射線の内部被曝についてはとても心配です」。


 情報の秘匿は「殺人」に等しいですよ、と町長は言った。




 日本の政府当局が、不利な情報を公表しなかったり原発事故に関する事実を否認した――それは、土地のあまりない日本において避難という措置を講ずるのは費用がかかり混乱を招くので、避難の規模を制限するためでもあったし、政治的に強力な原発産業を国民が疑問視するのを避けるためでもあった――ことを、インタビューや公式声明の中で認める発言をした政府高官もいた。原子力発電所が放射性物資を放出し続け、その物質が国産の食糧に紛れ込んでしまったなかで、事故の規模や健康被害のリスクを過小評価しようとする政府のキャンペーンと多くの日本人が捉えているものに対する国民の怒りは、日増しに増大しつつある。

 原子炉工学の研究者だったために、危機の最中に菅首相からアドバイスを求められた空本誠喜衆議院議員は、緊急時迅速放射能影響予測(Speedi)として知られるコンピュータ・システムの予測データの公表を控えたという理由で政府を非難した。

 「結局、Speediのデータを隠したのは首相官邸でしたね」と彼は言った。「そのデータが何を意味するのか知識がなかったし、だから国民に何と言えばいいのか判らなかったので、彼らは自分たちの保身のことだけを考えて、そのデータを発表しない方が容易に行くだろうと決めたのです」。


 あるインタビューで、原発事故担当大臣の細野豪志は、政治的な思惑によってSpeediの初期のデータの公表が遅れたという非難を退けた。彼によれば、それらのデータが開示されなかったのは、不完全で不正確であったからであり、彼自身にもそのデータは3月23日になってようやく提示されたのだという。
 
 「そしてその日に、私たちはそのデータを公開したのです」と細野氏は言った。彼は、原発事故担当大臣に任命される以前、原発危機の初期の頃、首相に最も近いアドバイザーの一人だった。「その日以前については、私自身確かなことは判らない。それに先立つ日々は、国家としての日本にとって生きるか死ぬかの日々だったので、Speediで起こっていたことに私は関与していませんでした」。


 コンピュータの予測データは、当初、日本政府が国民の目から隠そうとしていた多くの情報の一つだった。


 福島第一の6基ある原子炉のうち3基でメルトダウンが起こっていたことは、数ヶ月間、公式には認められていなかった。津波の翌日には、メルトダウンの動かぬ証拠と専門家が呼ぶテルル(tellurium)132を検査官が検出していた――が、ほぼ3か月にわたって国民に知らせなかった――ことを、東京電力は6月の初旬になって公表したが、これなどは最も悪質な自白の一つである。事故後数カ月間、政府は学校の校庭で許容できる放射線のレベルについて見解をコロコロ変え、福島の子供たちの安全についていつまでも止むことのない混乱と不安を引き起こしたのである。



(ページ1終わり)




 多くの自白のタイミング――5月末から6月初めになされたのだが、それは、国際原子力機関(IAEA)の視察管が日本を訪れた時期であり、日本がIAEAの会議で事故についての報告をする直前だった――が示唆しているのは、批判する側から見れば、日本の原発機構の中枢が正直に告白するようになったのは、もはや事故の規模について隠しおおせなくなったからにすぎない。7月4日に、原子力に関わる学者や業界幹部のグループである日本原子力学会は、次のような声明を出した。「このような重要な情報が事故後三ヶ月間、国民に対して公表されることがなく、三ヶ月目にして海外の会議の資料の中でようやく公表されるにいたったことは、きわめて遺憾なことである」。



 日本原子力学会は、被害のいっそう完全な全体像をもたらす原子炉圧力容器内の水位や温度などの情報を、関係当局はまだ開示していない、と付け加えた。別の専門家によれば、政府もテプコとして知られている東京電力も、ある政府高官が述べたように、原子炉の冷却システムは45フィートの津波だけによって破壊されたのか、それとも、地震による被害も一役買っていたのか、その点に光を当てる原発のデータをまだ開示していない。これらの点で何か発見があれば、日本のような地震活動が活発な国にある別の原子力発電所の安全性に疑問を投げかけることになるかもしれない{だからこそ、そうしたデータはいまだに公表されていない、という推測も成り立つのである――訳者註}。


 
 政府高官たちは、わざと国民を危険にさらすようなことはしなかったと主張している。


 「原則として、政府は、国民の健康や安全を犠牲にするような仕方で行動したことは決してありませんでした」と原発担当相の細野氏は述べた。

 福島市でもそれ以外のところでも、多くの作業員が原発から放出された放射性粒子で汚染された校庭から表土を除去している。何万人もの子どもたちが、こんなに暑い夏の日に、校舎の中に閉じ込められているのだが、窓は閉め切っているのに、マスクをしている子供もいるのだ。やがて、多くの子供たちが、放射線への被ばくを測る個人用の線量計を身に着けることになるだろう。

 福島第4小学校では、6年生は最近校舎内で、日本の伝統のボードゲームである将棋や囲碁で遊んでいる。家族ともども浪江町からここに避難してきたナオ・ミヤバシ(11)は、放射線が恐いと言った。彼女は雨に濡れないようにしている。家に帰るとすぐに、うがいをして手を洗うのだという。

 「外で遊びたいな」と彼女は言った。



 5月下旬に福島の三つの地域で行われた調査で、1080人の子どものうち約45%が、放射線の甲状腺被曝の検査で陽性反応を示した、と政府は最近発表したが、それに加えて、その被曝レベルはあまりに低いので、さらなる検査は無用である、と述べた。日本の内外の専門家の多くは、チェルノブイリでは、甲状腺癌に苦しみ続けた人のほとんどが、事故当時、原発の近くで生活していた子供たちだったと指摘して、日本政府のこの判断を疑問視している。


 菅内閣の内外にいる批判的な人々は、政府がもっと早くデータを公表していたならば防ぐことができた被曝もあっただろうと主張する。

 3月15日の夕方、菅氏は、かつて東芝の原発プラントを設計したこともある空本氏に電話をかけ、悪化する危機に対処するために知恵を借してくれと願い出た。空本氏は即興の顧問団を作ったが、その中には彼の恩師の東京大学の元教授で、放射線測定に関しては日本のトップの専門家である小佐古敏荘も含まれていた。

 
 小佐古氏はチェルノブイリの危機に対するソ連政府の対処方法を研究した人だが、彼は、首相官邸にいる指導者たちが利用可能なデータについていかにわずかな知識しか持っていないかを知って愕然とした。彼はすぐに、枝野幸夫官房長官にSpeediを使うように進言した。Speediは、大気中に放出された放射性物質の測定値と気象や地形データを使って、放出された後の放射性物質がどのように移動するのかを予測するシステムですよ、と。

 Speediは、放射性物質の飛散の予測を行うために1980年代に設計されたものだが、その予測は、首相官邸の独自の原発事故対応マニュアルによれば、放射性プルーム(放射性雲)から避難民を守るために、少なくとも地方の公務員や救助隊員には利用できるようにすると想定されていた。

 
 そして確かに、Speediは、あの壊滅的な地震と津波発生の数時間後から、一時間刻みで、放射線飛散のマップや別のデータを作成し続けていた。しかし文科省はそのデータを首相官邸に提供しなかった。情報が不完全だったから、というのが文科省の言い分だった。津波で、原発に設置されたセンサーが壊れてしまったからだ。実際に原発からどれくらいの放射線が放出されたかの測定値がなければ、放射性プルームがどこまで達しているかを測定することは不可能だ、というのが文科省の言い分だった。

 
 「放出がどれくらいの強さだったかが判らないならば、避難を命じても、われわれとしては責任の取りようがないでしょう」。Speediを管理する文科省の原子力安全部門のケイジ・ミヤモトはそう語った。

(ページ2おわり)


」(つづく)






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