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陳腐な悪のテロリズム [海外メディア記事]

 ノルウェーの無差別殺人事件については、いろいろ報道がされているものの、興味深い記事は今のところ出ていない。ひょっとしたら、何も出ないのかもしれない。

 少し「おやっ」と思ったのは、父親が「殺人ではなく自殺すべきだった」と突き放すように言い放ったビデオを見たとき。父親は元外交官だったらしい。今は引退してフランスで悠々自適の生活を送っている。つまり容疑者一家は、社会的に高い身分を享受していた富裕層に属していたので、貧困を移民のせいにして移民排撃にフラストレーションのはけ口を求めるという右翼にありがちな動機はなかったようだ。

 裁判では、容疑者の精神状態が問題になるだろう。すでに弁護人がそういう方向性を示唆している。しかし、それは法廷の戦術というものだろう。サイコパス的な要因はあるとしても、容疑者は「狂っている」わけではないと思われる。
  
 したがって、おそらく純然たる「思想的犯罪」ということになるのだろう。もっとも、そう言うのは少し飾りすぎた表現になるかもしれない。ブレイビク程度の反イスラム、反移民、反リベラル的な言動は世界中に満ちあふれていて、それらの断片をつなぎ合わせれば、犯行前にアップされたあのマニフェストの一つや二つは誰にでも書けるだろうからである。

 そういう意味で、下に掲げるヘニング・マンケルとともに、この事件は「悪の陳腐さ(the Banality of Evil)」の一例にすぎない、と言うべきなのかもしれない。ものすごく忌まわしい事件であるが、その張本人はごく陳腐な人間にすぎない、と言うべきなのかもしれない。なされたことはとてつもない「悪」だが、その「悪」事をしでかした人間を、政治的・精神的・精神分析的に持ち上げるのは間違っているのだろう。
 
 そういう冷静な観点からこの事件を捉えたヘニング・マンケルの、『ガーディアン』紙に載った一文を紹介しよう。記事の最後に記されているが、ヘニング・マンケルは人気のある犯罪小説の作家。私は知らなかったが、多くの作品が日本語に翻訳されているようだ。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%98%E3%83%8B%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%83%BB%E3%83%9E%E3%83%B3%E3%82%B1%E3%83%AB


 判りづらい表現がいくつかあるので、簡単な解説をつけておこう。

悪の陳腐さ・・・・これについては、このブログの6月の記事でも扱ったので、そちらをご覧いただこう。 http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/2011-06-19
最近この「悪の陳腐さ」という考え方が良く引き合いに出されているような気がするが、それだけ陳腐な悪の例が世界的に蔓延しているからだろうか? 

超人のメンタリティー(Uebermensch mentality)・・・・「超人」は哲学者ニーチェが創った言葉。“Uebermensch”はドイツ語。「末人」と対比的に使われる。ニーチェの意図はともかく、その語が人種差別的文脈で使われるとき、優越した人種が「超人」、排斥されるべき人種が「末人」というふうに使われる。



「私たちが恐れなければならない唯一のものは恐怖心そのものである(The only thing we have to fear is fear itself)」・・・・
1929年の世界恐慌時にアメリカ大統領だったフランクリン・ルーズベルトが言った言葉。恐怖心が社会全体に蔓延することが、最も恐るべきことである、という意味。以下の記事では、テロリズムはそうした事態に立ち至ることを狙っているのだから、変に萎縮してはならない、という主張の一環として用いられている。



Henning Mankell
guardian.co.uk, Monday 25 July 2011 20.00 BST


http://www.guardian.co.uk/commentisfree/2011/jul/25/norway-attacks-anders-behring-breivik



  ノルウェーでのテロ攻撃:アンネシュ・ベーリンク・ブレイビクは歴史に名を残す怪物の仲間入りをするだろう

この事件は、ヒトラーのナチズムのトレード・マークだった超人のメンタリティーという亡霊の再来だ。牧歌的な国がまた悪の陳腐さの脅威に曝(さら)されている。


1.jpg
(裁判所での審理を終えて立ち去るアンネシュ・ベーリンク・ブレイビク。彼はオスロでの爆弾テロとウトヤ島での若者の大量虐殺の容疑で起訴された)



 70人以上を殺したことを自供したこの32歳のノルウェー人は、出廷する条件として二つのことを要請した。ユニフォームを着用したいということと、審理を公開してほしいということである。

 このことが今回の事件を一層複雑にしている。この忌まわしい犯罪を犯した男は、自分の行動を擁護する政治的計画を練っていたようだ。彼を単に「狂人」として退けることは出来ないし、彼はそれ以上の存在だ。彼は自分自身を兵士と見なしており、自分が重要な言い分をもっていると考えている。

 問題は、その言い分がどのようなものであるかという点だ。

 われわれはその答えを、ドイツ系ユダヤ人の哲学者ハンナ・アーレントが1961年にイスラエルで行われたアイヒマンの裁判の際に書いた書物の中に見つけることができる。この裁判のことを知らない人のために言うと、アイヒマンとは、ヒトラーが地表から除去されるべきだと考えたユダヤ人、ジプシー等の人々の大量抹殺について彼が受けた命令をためらわずに実行した、大いに恐れられたナチスの幹部であった。アイヒマンは、ナチスドイツが1945年の春に瓦解して逃亡生活を送っていたが、イスラエルの秘密警察であるモサドの幹部によってアルゼンチンで捕えられ、極秘にイスラエルに移送された。彼は死刑宣告をうけ、後に絞首刑に処せられた。

 『エルサレムのアイヒマン:悪の陳腐さについての報告』の中で、アーレントは、他の人間に対して共感を寄せることもなく、無差別に殺そうとする人間の心中を理解しようと試みている。そうした人間は、しばしば、庭いじりが好きで犬や子供と遊ぶ普通の人々である。彼らと路上ですれ違っても、狂った殺人者だと思う人はいないだろう。

 われわれがこのノルウェー人について知っていることも、陳腐さを示している。彼は内心の怒りによって引き裂かれている。彼はイスラム教徒に反発を感じている。彼は多文化社会で人々が様々な仕方で出会うことに反発を感じている。彼はグローバリズムの野心を嫌悪しており、現代という観念そのものを攻撃しようと望んでいる。彼は、生きていて呼吸している人々を槍で攻撃しようとする冷血なドン・キホーテなのである。

 すべてがうまく計画されていた。表面的には、これから起ころうとすることを示唆するようなものはほとんど何もなかった。逮捕された後、彼は自分の行動を「残忍だったが、必要なことだった」と述べたと報道されている。彼はノルウェー人を「目覚めさせる」ために戦争を始めた。彼はユニフォームを着用して行動することを望み、審理がメッセージを送信できる舞台になることを望んだ。

 彼はおそらく、やがて時がたてば、自分はノルウェーを「救った」ヒーローになるだろう、と想像しているのだろう。あるいは、人間の顔をした怪物たちの殿堂に加わることに満足する様子を想像しているのだろう。

 こんな事件をわれわれが待ち望んでいたかどうかと問うてみるべきだろう。こんな残忍なテロ行為をわれわれは待ち望んでいたのだろうか? しかも、イスラム教を盾にとりその宗教の名のもとに行動していると称する人間によってではなく、別の政治的・宗教的な動機をもつ人間、極右で、キリスト教原理主義の要素をもつ国家主義者が起こしたテロ行為をわれわれは待ち望んでいたのだろうか?

 ノルウェーで​​起こったことは超人のメンタリティー(Uebermensch mentality)という亡霊の再来であると言えるかもしれない。そのメンタリティーは、第二次世界大戦中にノルウェーを占領し苦しめたヒトラーのナチズムのトレード・マークだった。

 われわれが昨日まで確信していなかったが、少なくとも今は知っていることが一つある。それは、どんな文脈であれ、どんな宗教的、政治的、イデオロギー的文脈であれ、テロ行為の正当化を人々は見つけることが出来る、ということだ。テロリズムとはイスラム教の信仰と同義であると主張した人々は間違っていた、ということが今となっては判るのである。

 遠くにある、そしていろいろな意味で牧歌的なノルウェー、石油と富をもつノルウェーという国が、突然、悪の陳腐さの脅威に曝(さら)されたのである。

 このような行為に対して自分自身と自分の国家を完璧に守ることは不可能かもしれないが、われわれは試みなければならない。もしわれわれが門戸を閉ざし始め、恐怖心からすべてを決定するようになれば、テロ行為をした人間が勝利を収めることになるのだから、われわれは開かれた社会を守らなければならない。そうした人間が望むのは恐怖を社会に注ぎ込むことなのである。フランクリン・ルーズベルトが言うように「私たちが恐れなければならない唯一のものは恐怖心そのものである」。

 ノルウェー人の若者が自分の行動をどれほど懸命に正当化しようと、われわれには理解できないことが残る。それは、面識のない若い男女に銃口を向け引き金を引いた人間の心に去来していたのは何か、ということである。

 どんな野蛮な行為にも、人間的な要素があるものだ。それが野蛮な行為をかくも非人間的なものにするのである。



 ヘニング・マンケル(Henning Mankell)は、犯罪小説のクルト・ヴァランダー (Kurt Wallander) シリーズの著者である

」(おわり)








 
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