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境界性パーソナリティー障害と闘う(3) [海外メディア記事]

 マーシャ・リネハンの苦闘の歴史を伝える記事の第三回目。おもに、境界性パーソナリティー障害に対してリネハンが編み出した技法の紹介がメインの話題となっている。

 最後の部分には、波乱を乗り切ってかつ大きな仕事をやり遂げた人がもつ落ち着きと静けさが良く表われているように感じられる。

 
 ここで、一回目で触れた「弁証法的行動療法」と訳されている“dialectical behavior therapy”(略してD.B.T.)が当然取り上げられるわけだが、この療法は、いろいろな方面に由来するツールを、患者のその時々の状態に応じて、併行的・統合的に使用することから成り立っているようで、“dialectical ”という言葉も、“integrative(統合的)”と意味的に大差があるようには思えない。いずれにせよ「弁証法的」という訳は時代錯誤的だなと思う。

( 一回目の記事に貼っておいた元記事のURL に行くと、タイトルの真下の写真にクリックする個所があり、それをクリックするとリネハン博士の肉声を聞くことができる。第二回目に出てきた、礼拝堂で祈っていたら周りが黄金になり、部屋に戻って初めて一人称で「私は私が大好き」と自分に語りかけたあのエピソードが静かな口調で語られている。)



  この精神疾患に悩む人が自分の病状を告白するシリーズは何回か続けられた。そのうち、ここで紹介したものを以下に示そう。

・ 「あざける心の声と折り合いをつける」・・・ http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/2011-08-15

・ 「妄想とともに暮らした後で生きる目的を発見する(1)」・・・http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/2011-11-26



 ちなみに、この記事の筆者であるBenedict Carey氏の記事で、ここで紹介したことのある中のとりわけ興味深いものを以下に掲げておく。

・ 「良い学習習慣についての常識は忘れろ(1)」 http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/2010-09-10
・ 「敵は友人になれるか(1)」 http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/2010-05-18
・ 「感情のない顔(1)」 http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/2010-04-07
・ 「脳とアイデンティティー(1)」 http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/2009-08-11
・ 「脳の老化とブリッジ(1)」  http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/2009-05-24-1



Expert on Mental Illness Reveals Her Own Fight

By BENEDICT CAREY
Published: June 23, 2011

http://www.nytimes.com/2011/06/23/health/23lives.html?pagewanted=3&_r=1



精神疾患の専門家が自分自身の闘いを公表する (3)


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(「とても多くの人が私に正直に名のり出るよう求めました、そこでこう考えたのです――そう、やらなきゃならないって。彼らには借りがある。臆病者として死ぬわけにいかないと考えたんです」と、ワシントン大学の心理学者マーシャ・リネハンは語った)




 どんなセラピストでも、治療を開始してすぐに人が変わったようになったり、突然「洞察」がひらめくようになれると確約できるわけではないし、ましてや(リネハン自身が体験したような)きらめく宗教的幻視をもてるようになる、などと確約できるわけでもなかった。しかしリネハン博士は徐々に包囲網を狭めていって、治療の基礎を形成できる二つの一見したところ正反対の原則に焦点を絞りつつあった。その二つの原則の一つは、そうであるはずの人生ではなく、あるがままの人生を受け入れるという原則であり、もう一つは、そうした現実があるにもかかわらず、まさにそうした現実があるからこそ人生を変更する必要があるという原則である。彼女が理論以上のものを獲得したかどうかを確実に知る唯一の方法は、現実の世界で科学的にそれを検証してみることだった――どこを手始めにすればいいのかについては疑問の余地はなかった。



一日をのり切る
 
 

 「最悪のケースは自殺願望が並外れて強い人々(supersuicidal people)なのですが、そういう人々から始めようと私は決めました。それは、彼らが世界で最も悲惨な人々に思えたからです。彼らは自分のことを悪党で、どうしようもないほど悪いと思っているのに、私は彼らがそうではないことを理解していましたからね」と彼女は言った。「私だって、どうすれば脱出できるのか判らないまま、あそこ、あの地獄にいたのですから、彼らの苦しみは理解できました」。

 特に、彼女は、そうした人々を、若いころの自分に与えただろう診断で対処することに決めた。「境界性パーソナリティー障害」がその診断名であるが、これは、思考力低下や感情の爆発や、しばしば自傷や焼身にまでいたる自己破壊的衝動によって特徴づけられる疾病だが、当時はまだ理解があまり進んでいなかった。セラピーでは、境界性の患者は恐るべき存在になりうる――周囲の人間を操ろうとし、敵対的で、時には不気味なほど寡黙になり、自殺してやると捨てぜりふを吐いて診察室を怒ってとび出すことで有名なのだ。


 リネハン博士は、自己を受け入れる緊張で患者は部屋に引きこもりがちになること(それは患者が自分という人間を受け入れていることなのだが)、しかし患者は、内心に渦巻く怒りや空虚感や不安をほとんどの人よりずっと強烈に感じていることを発見した。セラピストとしては、こうした場合、自傷や焼身や自殺の試みがある程度の意味をもっていることを受け入れる必要がある。

 セラピストは、患者から、自らのふるまいを変えたいという決意を引き出すことがあるとしても、それは生きるチャンスと引き換えになされた口先だけの約束であるかもしれない。彼女の言い方によれば、「治療は死んでいる人々には役立たない」のである。

 
 1977年にアメリカ・カトリック大学からワシントン大学に移動し、学者としての階段を登りつめている最中でも、彼女は、自分自身の経験から、自己を受け入れかつ変化しようという決意だけでは十分ではないことを理解していた。シアトルに移ってからの最初の数年間に、大学に車で向かう途中に自殺したいと感じることがしばしばあった。今日でも、パニックの感覚が押し寄せてくるのを感じることがあり、ごく最近ではトンネル内を走行しているときにその兆候があった。彼女自身、サポートと指導を仰ぐために、何年にもわたって断続的にセラピストのお世話になっていた(彼女の記憶では、「インスティテュート・オブ・リビング」退院後は、薬を服用したことはないそうだ)。

 
 リネハン博士自身の治療に対する最新のアプローチ――今ではD.B.T.(dialectical behavior therapy)と呼ばれているが――には、その日その日に必要とされるスキルが含まれていなければならない。結局、自分を変えようと決心しても、それを実行するためのツールをもっていないならば、その決心はほとんど意味がないのだ。彼女はそうしたツールのいくつかを他の行動療法から借用し、患者の感情がしっくりしない時に、患者が自分の感じ方とは正反対の仕方で行動する反対行動(opposite action)や、呼吸に集中して感情に働きかけることなく感情が去来するのをながめる禅の技法であるマインドフルネス瞑想(mindfulness meditation)、などの要素をつけ加えた。(マインドフルネス瞑想は、今や、多くの心理療法にとって欠かすことのできない技法になっている)。

 1980年代および90年代の研究で、ワシントン大学やそれ以外の大学の研究者たちは、自殺の危険の高い、週に一度のD.B.T.の治療に通っていた何百という境界性の患者の病状進行を追跡調査した。他の専門家の治療法を受けていた同病の患者と比較してみると、リネハン博士のアプローチを学んだ患者が試みる自殺の件数ははるかに少なく、入院する者も少なくD.B.T.の治療を受けつづける率もはるかに高かった。D.B.T.は、現在、非行少年、摂食障害者、薬物中毒患者を含む、手ごわい病気に苦しむ多種多様な患者のために広く用いられている。

 「D.B.T.がこれほど注目されるようになったのは、それが以前ならば治療できなかったものに取り組んでいるからだと思います」と語るのは、アメリカ国立衛生研究所の行動・統合療法部門の部長であるリザ・オンケン。「でも、これが地域のセラピストたちの共感をこれほどまでに勝ちえた理由は、マーシャ・リネハンのカリスマ性、医療関係者にもサイエンス関係の聴衆にもつながりをもてる彼女の能力に関係していると思います」。
 
 たぶん最も注目に値するのは、リネハン博士が、壇上に上がって堂々と自分の生い立ちを語ることができる立場に到達したことなのだ。「今、私はとても幸せな人間です」と、大学近くの自宅でのインタビューの際に彼女はそう語った。彼女はそこで、養子の娘ジェラルディーンと、ジェラルディーンの夫であるネイトと一緒に暮らしている。「もちろん、まだ浮き沈みはありますが、他のみんなと同じくらいだと思います」。

 先週のカミング・アウトのスピーチを終えてから、彼女はあの隔離室を訪れたのだが、隔離室は小さなオフィスに変えられてしまっていた。「ねえ、ほら、窓を変えたのね」と彼女は言って、両の手のひらを高くかざした。「ずっと多くの光が差し込んで来るわ」。

」(おわり)




 
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