So-net無料ブログ作成
検索選択
ブログパーツ

境界性パーソナリティー障害と闘う(2) [海外メディア記事]

 前回に引き続き、マーシャ・リネハンの苦闘の歴史を伝える記事の第二回目。「地獄」のような病院から退院して、自殺願望と闘いながら、夜間の大学に通い研究者の卵になるまでの軌跡をたどる。



Expert on Mental Illness Reveals Her Own Fight

By BENEDICT CAREY
Published: June 23, 2011

http://www.nytimes.com/2011/06/23/health/23lives.html?pagewanted=2&_r=1&partner=rssnyt&emc=rss


「 精神疾患の専門家が自分自身の闘いを公表する (2)


 「だれもが隔離室に行くのを恐れましたね」。と語るのは患者仲間で、マーシャの親友になったセイバーン・フィッシャー。しかし、とフィッシャーは付け加えた。彼女をとりまく状況がどうなろうと、「彼女は他人に対して大きな気遣いを抱くことができました。彼女は心の奥底で孤独であっただけではなく、それと同じくらい情熱的だったのです」。

 1963年5月31日付けの退院サマリーには次のように書かれている。「26ヶ月に及ぶ入院の間、ミス・リネハンは、その期間の大部分、当病院で最も精神的に不安定な患者の一人だった」。


 不安を抱えた少女が当時書いた詩の一節には、次のように書かれている。

 彼らは私を四方に壁しかない部屋に入れた
 だが、本当は、私を締めだしたのだ
 私の魂は汚らしいものであるかのように投げ捨てられた
 私の手足はここに投げ込まれた


23jpLIVES2-articleInline.jpg
(10代にリネハン博士が隔離された部屋に通じる扉。部屋は、その後、小さなオフィスに変えられた。)




 どこに頭を打ちつけようと、悲劇は依然として残っていた。誰も彼女に何が起こっているかを判っていなかったし、その結果、治療したとしても、ますます彼女の病状は悪化するだけだったからである。真の治療があるとすれば、それは何らかの理論ではなく、事実に基づかなければならない、という結論に彼女は後になって到達するようになった。ここでいう事実とは、もっとも最近生じた行為は、どんな感情がどんな思考を生み出した結果だったのか、という事実のことである。真の治療があるとすれば、それはその連鎖を断ち切らなければならない――そして、新しい行動を教えなけばならないのである。

 「私は地獄にいました」と彼女は言った。「そして(退院するとき)誓いを立てたのです。外に出ても、またここに戻ってきて、他の人々をここから出してやろうという誓いを立てたのです」。


 
 自分を根底から受け入れる



 シカゴの小さな礼拝堂で祈っているとき、彼女は生きる支えとなる別の原理の力を感じた。

 1967年のことで、病院の外で生き延びる見込みはほとんどないだろうと医者に言われた望みのない二十歳の女性として、退院してから数年が経っていた。彼女は生き延びてはいたが、どうにか死なないでいられたという状態にすぎなかった。退院して初めて家に戻ったとき、タルサで少なくとも一度自殺を試みていた。やり直すためにシカゴのYMCAに引っ越した後に、もう一度自殺を試みていたのだ。

 彼女は再び入院させられ、退院したときは混乱して孤独だったが、かつてないほどカトリック信仰に没頭していた。別のYMCAに移り、保険会社の事務員として仕事を見つけ、ロヨラ大学で夜間の授業を受講し始めた――そして、ときおり、セネクル・リトリート・センター(Cenecle Retreat Center)の礼拝堂で祈りを捧げた。


 「ある夜、そこでひざまずいて十字架を見上げていたとき、その場所一帯が金色に輝いたのです――そして突然、私は何かが私の方にやって来るのを感じました」と彼女は言った。「何かこうきらめくような経験で、私はとにかく自分の部屋に駆け戻って、「私は私が大好き(I love myself)」と言ったのです。思い出す限り、私が自分自身に対して一人称で話しかけたのはこれが初めてでした。私は、なにか別人に変わったかのように感じました」。


 この高揚感は約一年間続いたが、失恋をきっかけにして荒んだ感情が戻ってきた。しかし、何かが違っていた。彼女はもう、自分を切ったり傷つけることなく、嵐のように荒れ狂う感情を耐え忍ぶことができたのだ。


 何が変わったのか?


 それに対する答えを見つけるまでに、何年にもわたる心理学の勉強――彼女は1971年にロヨラ大学で博士号を取得した――が必要だった。一見しても、答えは明らかなように見えた。彼女はあるがままの自分を受け入れたのだ。彼女が何度も自殺しようと試みたのは、彼女がなりたがった自分とあるがままの自分との間に深い裂け目があるために、絶望し、希望を失い、一度も味わったことのない人生に心底ホームシックになっていたからだ。その深い裂け目は現実にあり、そこに橋を架けることは不可能だった。


 あの基本的な考え方――自分を根底から受け入れること(radical acceptance)、と彼女は今そう呼ぶのだが――は、彼女が、まずは自殺未遂者が多く来るバッファローのクリニックで、その後には研究者として患者たちとともに作業し始めるとともに、ますます重要になっていった。たしかに、自分を本当に変えることは可能だった。当時広がりつつあった行動主義的な考え方は、新しい行動は学ぶことができる――異なるふるまいを続ければ、やがて、根底にある感情をすっかり変えることができる、と教えていたのだ。


 しかし、深い自殺願望を抱いている人々は、百万回自分を変えようと試みてみても失敗してしまうのだ。そうした人々に判ってもらえる唯一の方法は、彼らの行動は意味があるということを認めることだった。彼らが苦しんでいることを考えるならば、死んでしまおうという考えは苦しみからの甘美な解放なのだった。


 「彼女は人々と新しいことをするのがとても好きでした。私にはすぐにそれが判りました」とジェラルド・C.デイヴィッドソンは言った。彼は、1972年にストーニー・ブルック大学での行動療法の博士課程修了者用のプログラムにリネハン博士が参加することを許可した人である。(彼は現在南カリフォルニア大学で心理学を教えている)。「彼女が患者を面食らわせたり、患者が聞きたくないことを言いながら迫っても、患者たちが落ち込むような気持になることはありませんでしたね」。




」(つづく)






 
nice!(0)  コメント(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:[必須]
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。