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境界性パーソナリティー障害と闘う(1) [海外メディア記事]

 久しぶりにBENEDICT CAREY氏の『ニューヨーク・タイムズ』に掲載された記事を紹介してみることにする。

 精神医学の世界的研究者が精神疾患にかかっていたことを告白する、それは前例のないことではない。私などは、Kay Redfield Jamisonの名著“An Unquiet Mind: A Memoir of Moods and Madness”をすぐ思い出す。ただ、Jamisonは躁うつ病のせいで死の一歩手前まで行ったが、この記事の主人公マーシャ・M.リネハンは境界性パーソナリティ障害に苦しんだようだ。

 マーシャ・M.リネハンの著作は、数冊日本語に翻訳されている。境界性パーソナリティー障害に対して彼女が編み出した治療法のオリジナルの名前は`Dialectical Behavior Therapy’なのだが、それが「弁証法的行動療法」と直訳されているのには少し驚いた。`dialectical’という語に対して、今では哲学でもこんな古くさい訳を与えるようなことはしないと思うのだが…。まあ、どうぞ、お好きなようにと言うしかないが。


 オリジナルの記事は3ページに分かれているので、同じように3回に分けて紹介する。


Expert on Mental Illness Reveals Her Own Fight

By BENEDICT CAREY
Published: June 23, 2011

http://www.nytimes.com/2011/06/23/health/23lives.html?partner=rssnyt&emc=rss






 精神疾患の専門家が自分自身の闘いを公表する   



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 あなたも私たちの一人なの(Are you one of us)?

 
 その患者は知りたがった、そして患者のセラピスト――深刻な自殺願望を抱えた人々のために世界中で使用されている治療法を創造したワシントン大学のマーシャ・M.リネハン(Marsha M.Linehan)――はその問いかけにすぐに答えた。それは、リネハン博士の腕にレース状に残っている色褪せたやけどの跡や切り傷や打撲痕をチラッと見た患者が――希望を交えてであれ、非難を込めてであれ、すべてを見通したかのようにであれ――問いかけるとき、その質問を手短かにするためにリネハン博士がいつも使う答えなのだ。

 「私も苦しんだことがある、って言いたいのね?」

 「そうじゃないの、マーシャ」。昨年の春に出会った患者はそう答えた。「あなたも私たちの一人なのね、と言いたかったの。私たちと同じなのねって。だって、もしそうなら、私たちはみんな希望をいっぱいもてるでしょう」。

 「あの言葉は心に響きました」とリネハン博士(68)は言った。彼女は、17歳のとき極度の引きこもり(social withdrawal)のために初めて治療を受けたハートフォードのクリニックである「インスティテュート・オブ・リビング(Institute of Living)」で、友人や家族や医師たちを前にして、先週、初めて公の場で自分自身のことを語ったのだ。「とても多くの人が私に正直に名のり出るよう求めました、そこでこう考えたのです――そう、やらなきゃならないって。彼らには借りがある。臆病者として死ぬわけにいかないと考えたんです」。


 重い精神疾患を抱えながら、一見正常で人から羨ましがられるような生活を送っている人がどれくらいいるのか、それは誰にもわからない。なぜなら、そのような人々は、普通、名のり出たりはしないからだ。そのような人々はどうにかこうにかして責任ある仕事をこなしたり、お金の工面をしたり、研究をしたり、家族を養ったりで手いっぱいなのだ――それも、他の人々ならばすぐにへこたれてしまうような暗い感情や妄想が吹き荒れるのを耐え忍びながらのことなのである。
 
 今、そうした人々のますます多くが自分の秘密の公表にふみ切っている。彼らによれば、もうそうするべき時なのだ。わが国のメンタル・ヘルス・システムは修羅場と化している、と彼らは言う。多くの患者が犯罪者扱いされたり、最も重症の患者でさえも、最低限の資格しかもたないワーカーからしかケアを受けられない養護施設やグループ・ホームに追いやられているからである。
 
 おまけに、精神疾患という汚名を長く着せられると、そう診断を受けた人々は、自分を犠牲者だと考えるようになってしまうのだが、そうなると、治療を発見したいという気持ちを起こさせる唯一のもの、つまり希望というものを彼らは持てなくなってしまうのだ。

 「精神疾患の神話を打破する必要性は大いにあります。その神話に対抗し、そう診断されたからといって、苦痛に満ちた正常ではない生活を強いられる必要はないということを人々に示す必要があるのです」。そう語るのは、南カリフォルニア大学ロー・スクールの教授で、『定まらない中心: 狂気を巡る私の旅』(“The Center Cannot Hold: My Journey Through Madness.”)という著作で統合失調症との格闘の記録を書き記したエリン・R.サックス。「こうした障害と闘っている私たちでも、適切な資源があるならば、充実し幸福で生産的な生活を送ることができるのです」。

 この「適切な資源」には、薬(毎日)、セラピー(時折)、ある程度の幸運(いつも)――そして、とりわけ、心にひそむ悪魔を、追放するとはいかないまでも、管理する内面の強さが含まれる。その強さはどんな所からもやって来ることができる、と元患者たちは言う。愛、赦し、神への信仰、生涯にわたる友情などなど。

 しかし、リネハン博士のケースはレシピが存在していないことを示している。彼女は、慢性的に自殺願望を抱いている人々を救出しようという使命感によって駆り立てられていたのだが、それはしばしば境界性パーソナリティー障害の結果だったのだ。この障害は、部分的には自己破壊的な衝動によって特徴づけられる謎の病気なのである。

 「正直に言いますが、私は当時、自分自身のことを扱っているのだということを理解していませんでした」と彼女は言った。「でも、私が開発したのは、自分が何年もの間必要としていたのに得られなかったものを提供する治療法だったのは確かなことだと思います」。

 



 「私は地獄にいた」


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 彼女は鍵のかかった部屋の壁に頭を打ちつけて、重度の精神疾患の悲劇の核心部分を、自分自身を傷つけながら学んだ。

 マーシャ・リネハンは、1961年3月9日、17歳のときに「インスティテュート・オブ・リビング」にやって来て、すぐに、もっとも重症の患者のためにあるトンプソン・ツー(Thompson Two)という呼び名の病棟の隔離室の唯一の患者となった。病院のスタッフとしては他にどうしようもなかったのだ。少女は、手首をタバコで焼いたり、手に入る尖ったものを手当たり次第利用して、腕や足や体の中心部を切りつけたりして、自分自身を傷つけることが習慣となっていたからだ。

 隔離室は、ベッドと椅子と鉄格子付きの小さな窓しかない狭い独房だったが、そこにはそうした武器となるようなものはなかった。それでも、死にたいという衝動は深まるばかりだった。だから、彼女は、その時彼女にとって意味のある唯一のことをした。壁や、後になって床に自分の頭を打ちつけたのだ。しかも激しく。

 「こんなことをしているときに私が経験していたことは、誰かがこれを仕組んでいるのだ、ということだけでした。まるでこんな感じでした。あのことが起ころうとしているのは判る。でも私にはどうにもならない。誰か、私を助けて、神様、あなたはどこにいるの?」と彼女は言った。「私は『オズの魔法使い』のブリキ男みたいに、まったく空っぽに感じていました。これから起ころうとすることを誰かに伝える術はなかったし、それを理解することもできませんでした」。


 オクラホマ州タルサで過ごした彼女の幼年期はほとんど手がかりを提供しなかった。小さいころから勉強ができて、ピアノの天分に恵まれた彼女は、石油業の父とその妻の間に出来た6人兄弟の3番目だった。母親は、子育ての合間に女子青年同盟(Junior League)やタルサの社会的なイベントに参加する外向的な女性だった。


 当時のリネハン一家を知る人々は、早熟な3番目の娘がしばしば家庭でトラブルの種になっていたことを覚えているが、リネハン博士の思い出によれば、魅力的で非の打ち所のない兄弟たちに比べると自分はまったく劣っていると感じていたようだ。しかし水面下でどんな苦痛に満ちた水流が渦巻いていようと、彼女が高校3年生のときに頭痛で寝たきりになってしまうまで誰もあまり気にも留めなかった。

 妹のアイリーン・ヘインズは次のように言った。「1960年代のタルサのことですからね、マーシャをどうすればいいか両親が何か判っていたとは思いませんね。精神疾患が何なのか本当は誰も知らなかったんですから」。

 間もなく、地元の精神科医が、問題を究明するために、「インスティテュート・オブ・リビング」に入院することを勧めた。そこで、医師たちは彼女に精神分裂病という診断を下し、ソラジンやリブリウムや他の強力な薬を投与したり、何時間もかけてフロイト的な分析を施したり、電気ショック治療のために彼女を革ひもで縛りつけたりした。彼女の治療記録によれば、第1回目には14回の電気ショック、第2回目には16回の電気ショックを彼女は受けた。しかし何も変わらなかった。そしてすぐに彼女は施錠された病棟の隔離室に戻されたのだった。


」(つづく)







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