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偉大なる普通・・・あるいは『青島食堂』のチャーシューについて [雑感]

 久しぶりに休日らしい休日を得た日曜の昼前、予てから行きたいと思っていた神田佐久間町の『青島食堂』に行こうと思った。

 家を出たのが11時ごろ。東京の『青島食堂』は秋葉原店と名乗っているが(本店は新潟の長岡)、私の家から行くには浅草橋まで地下鉄で行って、そこから歩いたほうが早く着くだろうと思われたので、都営浅草線に乗り、浅草橋へ。浅草橋から秋葉原を目指してガード下を歩く。ここら辺は、ネオンまたたく夜に幾たびも歩いたことはあるが、日曜の午前は閑散そのもので、まるで別の街に見える。





 開店の11時半より5分前ほどについた。休日だからあまり人は並んでいないだろうと勝手に思い込んでいたのだが、すでに12~3人が列を作っていた。これが平日に比べて多いのか少ないのかは知らないが、まあそれほど待つこともないだろうと思われたので、おとなしく最後尾に並ぶ。全身が脂でダブついたようなラオタ風の人間は少なく、驚いたことに女性が多い。これがこの店の間口の広さを暗示しているように思われた。



 待っていたのは正味20分ほどだったろうか。何か連携作業ともいえるような素早さで、店の人が粛々とラーメンを作り客が粛々と食べるうちに、自然と待つ人が減っていき、それに伴って食べることへの期待値が自ずと高まっていくような20分だった。つまり、待つことが苦痛で堪らない店というものが存在する一方で、この店では何故かそういう気分にはならなかったのだ。何故だろうか? 柔和な表情の青年のてきぱきとした作業が見てて飽きなかったからだろうか? それとも、何故かかかっていたNHKラジオのドラマが良いアクセントになっていたからだろうか?(でも、それはないな)。

 ともかく、そうこうしているうちに、注文した「青島ラーメン+自家製麵」が到着。



 一応ここのラーメンは「生姜醤油ラーメン」をキャッチフレーズに使っているほど生姜を売りにしているようだが、生姜の風味はあまり感じなかった。自家製麵の方を選んだのだが、それもこれという程の個性を出しているわけではなかった。ほうれん草は、個人的によく食べる家系(いえけい)のほうれん草が悲しい位に風味のない中国産の冷凍ものであるのに比べると、きちんとしたほうれん草を使っていることが瞬時に判るほどの風味があって嬉しかったが、これは比較対象が低レベルすぎるので、まあ、大した感想ではない。
 しかし、チャーシューを食べた途端にしみじみした思いがこみ上げてきた。私にとっては、このチャーシューがなければ、ここのラーメンは単に純朴なラーメンにすぎないように思われたのだが、さて、このチャーシューの魅力をどう伝えればいいのか?
 ここのチャーシューは、とくに独自の味だという訳ではないと思う。私が子供だった数十年前にはどこにでもあったチャーシューだ。もも肉の赤身のブロックを使うもので、もも肉のブロックは、普通に煮込むだけではパサパサになりやすいので、ある時期から、脂身の多いばら肉を使うタイプにほぼ駆逐されてしまった。今では、赤身と脂身を交互に重ねて巻いたタイプが一般的になったが、これらは、コスト面もさることながら、脂身の多い方が簡単にしっとりしたチャーシューが作れるから、という理由が大きいと思う。『青島食堂』のチャーシューは、そのままだとパサパサになる赤身ブロックを、たぶん余所以上に時間をかけてタレに漬け込んで、かつ薄切りにして供することで、このタイプのチャーシューの弱点を補っているようだ。つまり、手間暇をかけているのだ。
 私は、個人的には豚の脂身が駄目で、昔風のチャーシューが好きであった。子供の時からラーメンが好きだったのは、あのチャーシューが好きだったからとさえ言えるほどだ。小学校5年の時に骨折して大きな病院に長期入院を余儀なくされたが、退院するときに少し心残りを感じたのは、その病院の食堂のラーメン、特にそのチャーシューがもう味わえないことが残念だったからだ。食べながらそんな古い記憶がふと蘇ったりした。
 私は自分の嗜好があまり一般的ではないということを知っている。だから、バラ肉タイプのチャーシューが一般的になったのも、皆の嗜好を反映しているのだろうと思っていた。しかし、この『青島食堂』の人気が高い理由のかなりの部分をチャーシューが占めていることを考えると、駆逐されたはずの昔風のチャーシューを多くの人が支持していることが判る。では、ある時期から起きた脂ぽいチャーシューへのシフトがなぜ起きたのだろう? あれは、果たして、食べる側の嗜好を反映したシフトだったのか? それとも、作り手の事情(コスト、手間暇等)によるものではなかったのか? 
 さっきも書いたが、この『青島食堂』が供するラーメンはとくに独特なものではない。長岡系と呼ばれることもあるらしいが、数十年前にタイプスリップすれば、こうしたラーメンは至る所にあった。しかし、さまざまな変化や淘汰が激しい所では駆逐されていった古いタイプの製法が、長岡では改変されることなくそのまま受け継がれていたのだろう。そんな保守的な姿勢は、どこにでもあるように見えて、実は、ほとんどどこにもないものなのかもしれない。その長岡の店が東京に支店を出すに及んで一躍人気店になったのは、要するに、時計の針がひとめぐりしただけなのかもしれない。つまり、以前にあったままの味が、以前の通りに多くの人々に受け入れられたということなのかもしれない、と秘かに思った次第である。
 

 それにしても、ここのラーメンは写真を見ただけで、自分の嗜好のど真ん中という予感はあったのだが、その予感通りであった。今度行くときはチャーシュー100円増しにしなければと今から決めているのだ。

 (数日後にまた食べに行ったが、その時は、チャーシューがなぜかひじょうにカサカサで不味く感じられた。スープの出来が、日によって非常に違うという店は珍しくはないが、チャーシューの出来にもこれほどバラつきがあるとは知らなかった。いずれにしても、痛く失望してしまい、褒めすぎてしまったなあと後悔の念を募らせたことを正直に告白しておきたい)。









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