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海と少年 [子供とともに(更新ほぼ停止中)]

 葉山への小旅行のことで印象に残ったことを少し書いておこう。

 とにかく、海は穏やかだった。

 長者ヶ崎というバス停で降りると、眼下にわずかな砂浜が広がっていた。降りて行って、海が暖かな午後の陽ざしの中に安らい、清浄な砂浜にはかすかなさざ波が行きつ戻りつしているのを、しばしのあいだ私は見とれていた。

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 ところが、不思議なことに、波打ち際に近づいて行ったのは私だけだった。特に、子供が近寄ってこないのが不思議だった。いつもなら、海に跳び込むばかりの勢いで駆け出してくるというのに。何度か手招きをしたのだが、頭を横に振って頑として近づこうとしなかった。

 その時、私はすこし怪訝(けげん)に思っただけだったのだが、だいぶ後になってハッと納得したのだった。彼が彼なりにあの出来事に対する恐怖心を秘かに持ち続けているのだということを。

 あの地震が起きたときは、ちょうど小学校の下校時だった。学校から学童クラブに向かう子供たちは、途中の公園に一時的に集められていたそうだ。そこに母親たちも集合したのだが、そこで女の子たちは一様に曇った表情をして、中には泣いている子もいたのに、男の子たちは暢気に追っかけごっこをしていた、と妻が言っていた。男と女ではどうしてこうも感じ方が違うのかしら、というのが妻の率直な感想だった。

 それに、それ以降何度も余震が起きて妻が怖がるそぶりを見せるたびに、「大丈夫だよ、何でもないって!」と諭(さと)すような、そして大人びたセリフを何度となく彼は口にしていたのだ。地震など気にしていない、と私は思い込んでいた。

 だが、それは表面的な見方だったのだろう。たしかに、地震そのものはそれほどのインパクトではなかったのかもしれないが、その後TVに映し出された津波の映像やそれがもたらした悲惨な映像の数々は彼の心に深く刻み込まれたはずだ。そうした映像が与えるインパクトがどれほどのものか、彼は言葉に言い表したことはないと思うし、おそらく、まだできないのだろう。しかし映像は、誰の目にも見えない形で、彼の心に沈殿している。それが、あの行為となって外に現われたのだろう。

 私は、彼の内面の一端を見たような気がした。というか、私たちの目に見える部分と、見えない部分が分化しつつあるのだということを目にしたような思いがした。彼は、小学校の2年生から今度3年生になるわけだが、日頃自分に期待される行動を習慣的にこなしながら、誰にも見ることができない、そしてまだ言葉にすることはできない彼の内面を少しづつ築きつつあるのだろう。 

 もちろん、それは束の間の出来事だった。海沿いの道を散歩し、波の音を聞きながら眠りにつき、翌朝目が覚め、私と二人でまたあの砂浜に行ったときには、もう恐怖心をおもてに出すことはなくなっていた。静かに波打ち際に歩み寄っていって、しばらくの間、じっと遠くをながめていた。一体、何をながめていたのだろうか?

 今回の小旅行で100枚以上の写真を撮ったが、一番好きな写真を下に掲げておこう。


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