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日本人が教えてくれるいくつかのこと [海外メディア記事]

 『ニューヨーク・タイムズ』の元東京支局長だったニコラス・D.クリストフの日本を讃える一文を紹介する。

 世界各国から人的・物的支援が寄せられ、日本が決して孤立しているわけではないことを再確認できる機会が増えているが、かつて日本にいた経験のある人々が日本人の美点に触れてくれることも、一種の後方支援かなと思って読むことにしよう。

The Japanese Could Teach Us a Thing or Two
By NICHOLAS D. KRISTOF
Published: March 19, 2011

http://www.nytimes.com/2011/03/20/opinion/20kristof.html?hp

「 
 日本人が教えてくれるいくつかのこと

ニコラス・D.クリストフ

 公開日:2011年3月19日


 ちょうど今予算のどこを切り詰めるかという議論で起こっているように、アメリカが苦境に立つとき、われわれアメリカ人は、しばしば、最も無力で弱い人々を踏みつけにするようなことをする。
 
 だからわれわれアメリカ人は日本から学ぶことができるのである。日本では、地震と津波と放射線漏れによって、社会がバラバラになってしまうどころか、かつてないほど結びつきを強めているからだ。最近の日本における無私と禁欲と規律の典型は、福島第一原発のあの作業員たちだ。彼らは日本国民を危険にさらす完全なメルトダウンを防ごうとして危険な量の放射線を浴びても無名のまま不平一つ漏らすことはしなかったのである。

 日本で最も有名な銅像は、忠誠心と忍耐力と義務感の模範を示した犬のハチ公の銅像であろう。ハチ公は、主人が職場から帰路につく駅に毎日迎えに行ったのだが、1925年のある日主人は職場で死んでしまい二度と戻ってくることはなかった。それから約10年後に死ぬまで、ハチ公は忠実に、万一主人が帰ってこないかと思って夕方になると駅に迎えに行くのだった。
 
 いつの日か、日本は忠誠心と義務への献身のもう一つ別のシンボルを建立することになることを私は願っている。原発で働いているあの作業員たちの銅像が建立されることを。

 私は『ニューヨーク・タイムズ』の東京支局長として5年間日本に住んでいたが、日本政府の無能ぶりと二枚舌に対してしばしば批判的だったために、私は日本に対して敵対心をもつ者と見なされる時もあった。しかし、実は、私は日本人の礼儀正しさと無私の精神を大事なことだと思うようになったのだ。この国には一種の倫理規定が行き渡っていて、もし土砂降りに巻き込まれた場合、安いレストランであっても傘を貸してくれることなどはその典型的な例である。一日か二日後に傘は返してくれるはずだと思われているのだ。地下鉄で財布をなくしても、それは戻ってくるはずだとみんな思っているのである。

 今回の地震は日本のそうした二面性を画面に映し出した。日本政府は哀れだった。そして、日本国民はこのありえない苦難に品位と節度をもって耐え、立派に振る舞っていた。

 最近自分のブログを書いているときに思い出したのだが、6000人以上の人が亡くなった1995年の神戸の震災を取材中、私は窓が粉々になった多くのショップから商品を略奪する人々の例をいたる所で探して回った。私は、2台の自転車が行方不明になった家を発見したが、報道をするにつれて、それは救助活動のために利用されたのかもしれないと思えるようになった。

 とうとう私は、3人の若者が彼の店から食料品をつかみとって逃げ去るのを目撃したコンビニの店主に出会った。私は店主に、同じ日本人がこんなさもしいことをすることに驚かないかどうかと尋ねた。

 「いいや、そりゃ誤解ですよ」と店主は私に言った。「あの物盗りは日本人なんかじゃない。外人だったよ」。

 確かに、不平も言わずに辛抱強くする――日本語で言うと「ガマン」だが――という倫理が日本に行き渡っていることが、なぜこの国が三流の指導者に甘んじているのかの原因なのかもしれない。また、日本の緊密な社会構造は、そこに適合しない者に対する差別を生みだしているのかもしれない。弱い者いじめは、小学校から企業の役員室までのいたる所にある問題である。在日朝鮮人と部落民として知られている下層階級は、日本の汚点である。実際、あの恐ろしい1923年の大震災の後、日本人は在日朝鮮人に対して牙をむき(放火した、あるいは何らかの方法で地震を引き起こしたという咎(とが)で)、推定6000人の在日朝鮮人を虐殺したのだ。

 だから、日本の共同体優先の考え方にも欠点はあるのだが、それでも、われわれアメリカ人が一歩でも二歩でも日本に近づけるように歩み寄るとしたらそれは有益なことだろう。貧富の格差は日本の方が穏やかであり、日本では企業の大物実業家であっても、アメリカで一般的な華やかな報酬を見れば気恥ずかしい思いをするだろう。貧しい地域であっても――朝鮮人や被差別部落地区を含む――学校は立派な授業をしている。

 妻と私は、子供たちを日本の学校に通学させたとき、集団重視の生活態度が子供たちに叩き込まれる様を目にした。先生が病気になっても、代わりの先生はいなかった。子供たちが先生役を担当した。わが息子のグレゴリーが学校の運動会を終えて帰宅したとき、彼が出たすべてのイベントで一番だったことに私たちは感激した。その感激は、すべての子供が一番だったことを理解するまでのことだったが。

 グレゴリーの誕生日のために、クラスメートを招待したときに、私たちは椅子取りゲームの仕方を彼らに教えた。それが実は災いだった! 子供たち、特に女の子たちは、自分の椅子を得るために他人を押しのけなければならないことに深い負い目を感じたのだ。そこで起こったのは、世界の歴史の中で最も礼儀正しく、最も申し訳なさそうで、最も競争心のない椅子取りゲームだった。

 われわれは押しの強いアメリカ人だ。われわれは時に人生や予算の交渉を、音楽がストップしたときに(子供などの)最弱者が歓声とともにはじき飛ばされなければならない競争のように扱っている。しかし、われわれアメリカ人が今、共通の利益のために私心なく自分たちの関心を一つにしている日本人から少しは学びとってくれればいいのにと私は思っている。われわれは日本人に同情の念をもつべきだ、それはそうだが、日本人から学ぶこともできるのである。

」(おわり)






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