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真珠湾攻撃から69年 [海外メディア記事]

 69年前の真珠湾攻撃について、結構多くのアメリカのメディアが取り上げていたようだ。日頃は軟派な記事が多い『ニューヨーク・デイリー・ニューズ』も取り上げていた。

 今さら「リメンバー・パールハーバー」と叫ぶほどの時代錯誤は考えられないから、いったいどういうつもりでこういう写真を掲げるのか腑に落ちない面もあるにはあるが、歴史の一コマを伝える貴重な写真は紹介するに値すると考えたので、ここに掲載する。

 他の生々しい写真に劣らず、一面ぶち抜きで見出しだけの‘JAPS BOMB HAWAII’という記事が衝撃の大きさを物語っていて興味深い。

 

http://www.nydailynews.com/news/galleries/pearl_harbor_69_years_later/pearl_harbor_69_years_later.html


1941年12月7日 「屈辱にまみれて生き続けるであろう日」

 パール・ハーバーの写真

・ 1941年12月7日、日本軍の奇襲がハワイのパール・ハーバーを攻撃した。大統領のフランクリン・ルーズベルトはこの奇襲を「屈辱にまみれて生き続けるであろう日(a date which will live in infamy)」と呼んだが、これほど的確な予言はなかっただろう。69年たった今でも、アメリカ人はあの運命の日に起きたことを鮮明に覚えているからだ・・・





・ 大日本帝国がハワイのアメリカ海軍基地に仕掛けた奇襲攻撃により2350人もの死者がでた。





・ 翌朝、1941年12月8日のニューヨーク・デイリー・ニューズは爆撃の報道を開始し・・・





・ ニューヨークに警告を発した。日本が攻撃し・・・





・ アメリカと公式に交戦状態に入ったことを。





・ パール・ハーバーの被害は壊滅的だった。ここに写っているのは、日本の空爆終了直後の米海軍の艦船ダウンズとカシン。カシンは転覆しダウンズにもたれかかっている。





・ (ホワイトハウスのオーバルルームで撮影)戦争の勃発後、初の声明を国民に向けて発表するルーズベルト大統領。





・ パール・ハーバー基地の兵士たちが空襲によるダメージを食い止めようとする中、炎上する米海軍ウェスト・ヴァージニア。





・ しかし、ほとんどどうすることもできなかった。アメリカ国旗がはためく中、遠くで燃え上がるアメリカ軍の戦艦。





・ この写真は日本人が撮影したもの。奇襲に先立って航空母艦の艦上から撮られた・・・・





・ これらの「ゼロ戦」機は、日本海軍の航空母艦(「翔鶴」と言われている)上で準備され、そこから発進された。





・ 米海軍艦船カリフォルニアのような船は魚雷の攻撃もうけた。この船は、攻撃の後で修理のために乾ドック入りした。1942年4月に撮影されたものだが、まだ修理を待っていたのだ。





・ このパノラマ撮影は、パール・ハーバーでの空襲による破壊をよく示している。対空砲が空中で炸裂し、炎上するアリゾナからはもうもうと煙が立ち上る。





・ フォード島の水上機基地で攻撃される戦闘機に立ち混じって、彼方で米海軍戦艦ショーが爆発する様を眺める水兵。





・ 攻撃の翌日、対日宣戦布告に著名するルーズベルト大統領。





・ 真珠湾攻撃以降、アメリカの愛国心が一気に高まった。米海軍の徴兵事務所には、海軍や海兵隊を志願する人々の長蛇の列ができた。














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