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妄想-生き延びる戦略(序論) [探求]

以前、Edward M. Hundertの論文の4/5にあたる部分の翻訳を、「妄想-生き延びる戦略」(http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/2009-09-29-1)と題して、アップしたことがある。しかし、当然ながら残りの1/5の部分もいつかアップしようと思いながら、先延ばしをし続けてきた。遅ればせながら、その部分をアップしたいと思う。

問題の論文は、Manfred Spitzer,Friedrich Uehlein, Micheal A. Schwartz, Cristoph Mundt (ed)“Phenomenology,Language & Schizophrenia”(1992) 所収の以下の論文で、今アップするのはその冒頭の部分である。

 Edward M. Hundert : The brain's capacity to form delusions as an evolutionary strategy for survival.


「 生き延びる進化的戦略として妄想を形成する脳の能力
                 
                  エドワード M.ハンダート

1 . 序論

 妄想は、長い間、精神病の顕著な特徴の一つと考えられてきた。自分は世界を救うためにやって来たイエス・キリストなのだとか世界を破壊するためにやってきた悪魔だとか信じ始めるとき、そういう人々はすぐに「精神病的」というレッテルを貼られ、何らかの精神科の治療が必要だと考えられるのだ。歴史を通して、そうした人々は、魂が悪霊にとりつかれてしまったとか、精神構造が劣化したとか、脳の機能が上手くいかなくなったとか、妄想が表わしていると想定される「病的現象」を説明するために他にいかなるパラダイムが用いられようと、そのような理由をつけて汚名を着せられ共同体から追放される憂き目に会ってきた。


 現代の生物学的なパラダイムは、妄想の座を説明するのに「壊れた脳」に目をやるのだ。そうした精神病理学的な徴候を神経生物学的な失調によって概念的に説明するのは簡単なことだ。現代の研究者たちは、脳をスキャンするための入手可能なあらゆる装置を使って、妄想を抱く患者のことを積極的に研究している最中だ。これまでの所、決定的な結果は何ら得られていないのだが、このことは、「損傷」部位がいつかは発見されるかどうかについて悲観的になる理由としてではなく、人間の脳がいかに複雑であるかということを思い知らせてくれるものとして受け取られている。結局のところ、「壊れた脳」は、解剖的なレベルであれ、生理的なレベルであれ、分子遺伝学的なレベルであれ、どこかが壊れているに違いない、と考えられている。妄想を引き起こす失調箇所が発見されるのは時間の問題だ、と研究者たちは言うのである。


 しかし、われわれの生物学的なパラダイムの中心を形成する人間の脳は、それ自体が、原因であるとともに結果でもあるのだ。脳は何百万年もかけて自然選択のプロセスを通して進化したのであり、そのような進化のプロセスにおいて特別な地位を得るにいたったのだ。実際、生殖器官と並んで、脳はわれわれの絶えず続く進化に対してもっとも責任をもつ器官である、と言っていいだろう。というのも、再生産可能な年齢においてわれわれのサバイバルを阻む多くの予測できない問題を解決するのは脳だからである。この(アメリカ国立衛生研究所(U.S.National Institutes of Health)の命名によれば)「脳の10年間」において、われわれは、脳の奇跡にも等しい可塑性や、運命の打撃にもめげずに生き延びていくための無数のメカニズムについての新たな発見があるたびごとに、ますます驚嘆の度合いを深めてきた。人間という種が次世代も生き延びることができるように、しばしば敵対的な世界に適合していくのは脳の責任なのである。


 もし脳が、適応のための巧妙なメカニズムの多くを通してサバイバルの確率を最大化するように進化してきたならば、妄想を形成する脳の能力もそうしたメカニズムの一つなのではないかと問いかけてみたくなるのも当然だろう。精神病理学についての生物学的な見解を取るからといって、妄想はMRI(磁気共鳴画像装置)やPET(ポジトロン断層撮影法)やEEG(脳波計)によって発見されうる脳の病理学の一形態なのだという仮説を受け入れなければならない、というわけではない。身体を生かしておく(これは脳の使命である)複雑な方法を発展させてきた脳に焦点を合わせる別の生物学的仮説もあるのであって、そうした複雑な方法の一つが、個人が現実と接触する仕方を変更する(その個人にこの病気に対する「治療」を必要とする「精神病の患者」というレッテルを貼らせるような仕方で変更する)というメカニズムであるかもしれないのだ。


 この別の仮説は、臨床的、哲学的または進化論的観点から見ることができるが、そのような観点を採用する前に、手短かなケース・スタディーを紹介することで、以下の議論にとっての問題点を明瞭なものにしておきたいのである。
 










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