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 “I was born” in my aquarium. [雑感]


 私の部屋には三つの水槽があって、メインの水槽にはそれなりのコストや時間をかけているが、他の二つは極力ローコスト・省エネで行こうと決めている。下の写真は、机の上のローコスト水槽。 


 この水槽は1ヶ月ほど前に立ち上げたばかりだが、もういい加減、グロッソ・スティグマが過密状態になり、ウィローモスから新芽が伸びて、トリミングを迫っているかのようにも見える。しかし、よほど見苦しくならない限り、手を入れるつもりはないのである。
 この水槽の立ち上げのとき、メインの水槽からレッドチェリー・シュリンプを移した。程なく、その中に抱卵しているメスがいるのを発見した。水草の陰に隠れていることが多いのだが、今日の昼、元気な姿を見せてくれたので、あわてて携帯を取り出して撮ってみた。大事な卵を守るように、卵を上にして逆さまの格好で水草につかまっている姿が切ない。お腹は卵ではち切れそうだ。そこにはヴァイタリティーの強さと同時に限りなく脆いものが同居しているように感じられてしまう。
 ローコストの方針を少しだけ返上して、せめてヒーターくらいは設置するほうが良いかなと思案したりする。しかし、それと同時に・・・



 水槽は小宇宙みたいなものなので、それを観ていると、ときに思ってもみない方向に思考が飛躍したりする。はち切れんばかりの卵を腹に抱えているメスの姿に、記憶の底で何かがダブって見えた。この妙な既視感が何なのかしばらくの間思い出せなかった。
 しかし、以前愛読した吉野弘の詩にそんなものがあったっけと先ほど唐突に思い出した。彼の作品の中では一番有名な“I was born”にでてくる「蜉蝣(かげろう)」だ。

 少年時代、作者は父親と一緒に歩いている時に妊婦の女性とすれ違った。そのときに、覚えたばかりの英語の表現がふと脳裏に浮かんで、少年は「やっぱり I was born なんだね」と父親に向かって話しかける。「I was bornさ。受身形だよ。正しく言うと人間は生まれさせられるんだ。自分の意志ではないんだね」。
 はじめは怪訝な表情を浮かべていた父親も、わが子のちょっとだけ大人になった進歩を認めてやり、とっておきの話を語りだす。
 「
父は無言で暫く歩いた後 思いがけない話をした。
 ――蜉蝣という虫はね。生まれてから二、三日で死んでしまうんだそうだが それなら 一体何の為に世の中へ出てくるのかと そんな事がひどく気になった頃があってね――
僕は父を見た。父は続けた。
 ――友人にその話をしたら 或日、これが蜉蝣の雌だといって拡大鏡で見せてくれた。説明によると、口は全く退化して食物を摂るに適しない。胃の腑を開いても 入っているのは空気ばかり。見ると、その通りなんだ。ところが、卵だけは腹の中にぎっしり充満していて ほっそりした胸の方にまで及んでいる。それはまるで 目まぐるしく繰り返される生き死にの悲しみが 咽喉もとまで こみあげているように見えるのだ。つめたい 光の粒々だったね。私が友人の方を振り向いて<卵>というと彼も肯いて答えた。<せつなげだね>。そんなことがあってから間もなくのことだったんだよ。お母さんがお前を産み落としてすぐに死なれたのは――。
 
父の話のそれからあとは もう覚えていない。ただひとつ痛みのように切なく僕の脳裏に灼きついたものがあった。
――ほっそりした母の 胸の方まで 息苦しくふさいでいた 白い僕の肉体――。


そもそもお前が今ここにいるのも・・・などと妙に説教じみた方向に行かずに、寡黙な空気が漂って終わるのは、男同士の会話だからだろうか、それとも詩的な血筋を共有していると思われる親子としては当然の余韻だったのか。 私がこんな立派な話を自分の子どもにしてやれそうもないのは残念至極だが。

 (10月29日 この記事のタイトルをちょっとだけ変更)











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