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なぜ進化は非合理性を優遇するのか? [海外メディア記事]

 久しぶりに『ニューズウィーク』誌のSharon Begley女史の記事を取り上げます。

 進化心理学からのトピックスのようだが、結局、単純化していってしまえば、非合理性が進化によって消えるどころではなかったのは、いつの時代・社会でも、そこでなされる議論は単純で感情的なものに流れやすく、それによって勝利を収めた多数派が人間の進化の担い手だったとするならば、進化は非合理性を排除する方向には決して向かわない、ということになるか?  あまり「単純化」になってないかw いや、要は、人間は基本的には愚かだということなんでしょう。

 文中でも指摘したが、オバマがアメリカ生まれでないと主張する'birthers ’と呼ばれている人々がいたり、陰謀やら策略をいたる所に嗅ぎ取ったり、策略でビデオを作り変えたりして、とても悪い意味での「政治性」がアメリカではびこっているような気がします。

 それと、日本でも、アメリカ流の「ディベート」を授業に取り入れている高校や大学があると思いますが、「議論に勝つこと」の底の浅さにもう少し関心が向いてもいいような気がします。


http://www.newsweek.com/2010/08/05/the-limits-of-reason.html


「 理性の限界  なぜ進化は非合理性を優遇するのか?


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 女性は運転が下手、サダム・フセインが9.11を計画した、オバマはアメリカ生まれではない、イラクは大量破壊兵器をもっていた。この手のことのどれかを信じるには、私たちの批判的思考能力をある程度停止し、その代わりに、論理的な人をウンザリさせるような非合理性に屈する必要がある。それに屈すると、たとえば、確認方法の偏り(Confirmation bias)を使いがちになる(つまりそれは、自分の信念を支持してくれるような証拠だけを見て記憶にとどめることだが、追い越し車線を時速40マイル(=約64キロ)で走る女性の例を男性がいくつも挙げられるのはそういう事情からである)。非合理性に屈すると、自分の信念を経験的なデータとつき合わせて吟味することを怠りがちになる(アメリカ軍が7年もかけてイラク全土をはいまわったのに、大量破壊兵器プログラムはいったいどこにあるのか?)。非理性に屈すると、信念をもっともらしさという基準にかけたりしなくなる(オバマの出生証明書が偽造されたなら、陰謀がとてつもなく広がっていることが必要だろう)。非理性に屈すると、感情の意のままになりがちである(イラクで何千というアメリカ人が死亡していても、それが9.11のリベンジならば、正当性が増すように感じられる)。


 人間がこうした理性的思考の失敗に屈することがあるという事実は、何の意味もなさないように見える。理性とは、人間精神の最高峰であり、知識や賢明な決定へのルートであると思われているからだ。しかし、心理学者が1960年代以降データを蓄積してきたことだが、人間は、理性的に思考することが、実に、実に下手なのである。投票行動から倫理的な文脈にいたるまで、感情の方に従うことの方がしばしばだというだけではない。いや、理性的能力を全力を挙げて展開しようとする時でも、私たちは、乱交パーティーにおける不能者のように無力であることがしばしばなのである。


 哲学者や認知科学者たちに広まっているある考え方が、何故そうなのかを教えてくれる。なぜ確認方法の偏りに屈したり、なぜ反例に目をつぶったり、なぜ他の多くの点でデカルト的な(明晰な)論理的思考をしないかの理由は、こうした過ちがある目的をもっているからなのである。こうした過ちは、「他の人々を説得するために考え出された論証を考案したり評価したりする」のに役立つのだ、とペンシルベニア大学の心理学者フーゴー・メルシアは述べた。論理の破綻は、実は、議論に勝つための実効性のある策略なのである、という説をメルシアやパリにあるジャン・ニコー研究所の認知科学者ダン・スペルバーは提起するのである。

 この説は、マズい推論をまったく新たな観点のもとに置くのである。論証とは、結局、真理を求めるというより、対立する見解に打ち勝つことなのだ。だから例えば、確認方法の偏りは、自分の見解を支持してくれる実例に記憶や知覚を独占させることによって、何が真実で本当なのかについては誤解を与えるかもしれないが、誰かを説得させようとするとき、例えば君は「いつも遅刻するね」といって手持ちの武器を最大化する。「確認方法の偏りには、手っ取り早く説明できる現象がある」とメルシアは主張する。「それは実効性のある論証に寄与する」。

 論理学の問題として登場する別の形式の間違った推論がある。次の三段論法を考えてみよう。「いかなるCもBではない。すべてのBはAである。ゆえに、CではないAがある」。これは正しいか? 正しいと考える人は10パーセントにも満たないとメルシアは言う。理由のひとつは、それが妥当しているかどうかを決めるためには、反例を構築する(たとえば、CであるAを見い出す)必要があるからだ。しかし、反例を見出すことは、概して、自分の論拠に対する自身を弱めることになりうる。論理学の問題を解くには適しているが議論に勝つには不向きな推論形式は、進化の過程で、説得力をもつのには役立つが抽象的な三段論法には躓く原因ともなる推論形式に取って代わられたのである。

 興味深いことに、「空を飛ぶいかなるものもペンギンではない。ペンギンはすべて鳥である。ゆえに、空を飛ばない鳥がある」という形で示されれば、この三段論法が真か偽かを決めるのはもっと容易になる。それは、私たちが動物について議論することはあっても、A,B,Cについて議論することはないからなのである。

 動機づけられた推論(motivated reasoning)と呼ばれる不完全な思考は、真実を求める探求にとっては邪魔となるものだが、議論を前進させるものではあるのだ。たとえば、私たちは、ある研究の結論に同意できない時には、そこに欠点がないか必死で探そうとしがちだし、自分の観点を損なうような証拠にも批判的になる。だから、'birthers ’(オバマはアメリカ生まれでないと主張する人々――訳者註)は、オバマの出生証明書が本物であるというハワイ州当局者が差し出す証拠を却下するし、死刑反対論者たちは、極刑が犯罪を抑止すると結論づける研究に欠点を見い出そうと必死になる。動機づけられた推論は私たちの現実感覚を曇らせ、証拠を客観的に評価することを妨げるものだろうが、それは、その証拠の中の欠陥(現実のものであろうとなかろうと)に私たちの注意を向かわせることによって、私たちが論争の中で焦土作戦を開始する下地を作るのである{焦土作戦:scorched-earth strategy:敵の利益にならないように、今いる陣地をすべて焼き払うこと。ここでは、すべてが「陰謀」だとか「策略」だとして無効化することを指す――訳者註}。

 サンク・コストの誤謬(sunk-cost fallacy:コストが回収できる見込みがたたないのになおも執着し続ける誤り――訳者註)は、負け戦の支持者から(「これほど多くの人命を失ってきたのだ、いまさら撤退するのは裏切りになるだろう」)、株で失敗する人(「もうこんなに長く保有してきたのだ」)にいたるまでのすべて人にとって躓きの石になってきたものだが、それは、論理に背を向けるが議論には打ち勝つ(それが訴える感情は皆がもっているものだから)推論を反映するものである。もしメルシアとスペルバーが正しいならば、サンク・コストの誤謬、確認方法の偏り、およびその他の形式の非合理性は、人間が議論し続ける限り、私たちについて回ることになるだろう。つまり、永遠に、私たちについて回ることになるだろう。











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