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色とりどりの稲からアートを創造する日本の村 [海外メディア記事]



『ニューヨーク・タイムズ』の日本支局長のマーチン・ファクラー氏が、久々に日本の地方のことを記事にしてくれました。氏のローカルネタは大好きなので、このブログでもいくつか紹介しています。

http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/2010-04-23

http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/2009-10-12

http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/2009-09-23

 この「田んぼアート」のことは、日本のTVニュースで取り上げられているのを私も見ましたが、田舎館村の経済状況にまで踏み込むメディアがどれほどあったか? それはともかく、「ふるさと創生」やら無意味な公共授業で膨大な借金をつくって浮上のきっかけさえ掴めないで苦しんでいる自治体が多い中、ひょんなことでスポットライトが当たる所も少数ながらあり、この田舎館村もその一例でしょう。「ひょんなことで」といっても、それなりの知恵や経験の蓄積、村の人々の連帯や無償の熱意がなければ不可能だったことは、この記事からも充分伝わってきます。確かに目を奪われるほどの鮮やかさがありますね。ネブタ的感性と言うか

 しかし、記事の最後に触れられていますが、村長の雄大な構想、果たしてこんなことを夢見ていいのだろうかと一抹の不安を感じたりもしますが。

http://www.nytimes.com/2010/07/26/world/asia/26japan.html

この記事にはスライドショーが付いています。

http://www.nytimes.com/slideshow/2010/07/25/world/asia/0725JAPAN.html?ref=asia



「 田舎館、日本――――ほぼ20年前、村役場の職員だったコウイチ・ハナダ氏は上司から聞いた事もないようなことを要求された。北日本の農村部にあるこの小さなコミュニティに観光客を呼び寄せる方法を見つけ出せと言われたのである。ここには水田とリンゴ園はあるが、他に大したものはないのである。





 ハナダ氏は、寡黙だが実直な性格だったので、数ヶ月間も頭を悩ませましたよと語った。そしてある日、学校の子供たちが授業の一環として田植えをしている様子が目に入った。子供たちは二種類の稲を使っていた。一方は暗い紫の苗でもう一方は明るい緑だった。その時ハナダ氏にひらめくものがあった。文字や画像が浮かび上がるように色とりどりの品種を植えてみたらどうだろうか、とひらめいたのだ。

 「こんなにヒットするとは思いませんでした」と彼は言った。

 結果は、今日では田んぼアート(paddy art)と呼ばれるものになり、おかげで田舎館村は地図に載るようになった。1993年以降毎年、村人たちは水田をキャンバスとして、生きた稲を絵の具とブラシとして利用することで、さまざまな絵を創作してきた。村の創作物は、それがだんだん大きく複雑で多彩になるにつれて、メディアの関心は年ごとに増大し訪問者も増えるようになった。  

 昨年は、17万人を超える訪問者が、高齢者が大半を占める人口8450人のこの静かなコミュニティーの狭い通りに殺到し、交通渋滞を引きおこしながら、生きた稲のアートを見ようと何時間も待っていた。

 確かに、このような光景は、高い技術力と苦労を厭わない完璧主義と米に対する昔からの執着が交じり合った結果なのだから、日本でのみ可能なのかもしれない。侍が武者僧と闘っている今年のフットボール場サイズの画像を創作するために、村人たちは、エンジ、黄色、白のもう三色を出すために遺伝子を組み換えられた稲を植えるときの指針としてコンピュータ・モデルを使い、8000本以上の苗を配置したのである。

 稲の画像はとても詳細になったので、村長の鈴木孝雄によると、水田に絵の具で描かれたものではないのかと訪問者にしばしば尋ねられるのだそうである。人々にここまで足を運ばせるのは驚きという要因なのだから、村人たちは、観光客に続けて来てもらうためには、ますます複雑な絵を生み出さないといけないと思っているのだそうだ。

 「ここには海も山もありませんが、いっぱいあるものといえば米です」と70歳の鈴木氏は語った。「自分たちの創意工夫を発揮して観光産業を生み出さないといけないのです」。


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 田舎館の住民は、田んぼアートが衰退しつつある村を再活性化してくれることを願っている。日本の多くの農村と同様、この村は、人口の減少、重くのしかかる借金、農業収入の減少のために苦境にあえいできた。 

 「とても多くのことが悪化してしまいましたが、田んぼアートのおかげでこの村は再び一体感をもてるようになったのです」。そう語るのは蕎麦屋を経営しているクミコ・クドーさん(73)。

 しかし、これまでの所、村は田んぼアートの偉業を収益に転化するまでには至っていない。画像がはっきり見えるほど稲が高く成長する夏の成長期に、大挙して村に押しよせる訪問客は大してお金を落としてくれないからである。

 「観光客は、やって来て、なんて素晴らしいと言って帰っていくだけですからね」と村役場の経済セクションの長であるカツアキ・フクシ氏は言った。

 田んぼアート以前にこの村が唯一話題作りのために宣伝できたことは、2000年前の水田の遺構が1981年に発見されたことだった。この発見のおかげでこの村は、人口まばらな北日本の中で最も古い水田地帯の一つになった。村は、新石器時代のテーマ・パークを建設することでこの発見を活かそうとした。東京の政府が公共事業のために地方に金をばらまいた1980年代の経済が好調だった頃のことである。

 その後、公共事業という蛇口は干からびてしまい、テーマ・パークは雑草が生い茂りしばしば誰もいないときもある。このテーマ・パークこそ、この村が年間予算の3倍にあたる1億600万ドルもの借金を背負っている理由の一つなのである。

 村人たちは、もっと安上がりに済む田んぼアートの方が、今の税収が乏しい時代に相応しいと言う。田んぼは、借りて田植えをして維持するだけでも年間3万5000ドルもかかる。村は、田んぼアートを訪問者が見る料金を請求したりはしないが、寄付は募っている。去年寄付金は7万ドルにのぼり、コストを十二分にカバーできた。

 最近のとある午後、眼下の田んぼアートを見ようと村役場の最上階の展望室(中世の日本の城の形に作られた)は多くの人でごった返していた。ほとんどの人が田舎館村の創意工夫の素晴らしさを称賛した。

 「日本の他の地域もこの精神を見習う必要があるわね」と、秋田から5時間かけてやって来た元教師のマサコ・サトーさん(69)は言った。

 田植えをして田んぼを維持しているのはボランティアの人々である。春に、村人約1200人がやって来て、今年の大作のために6つの田んぼに苗を植えた。最初の田んぼアートが作られた1993年、ハナダ氏と役場の同僚20人が作ったのが、近くの山を模した単純な2色のデザインのアートだったことを考えると、まさに隔世の感がある。


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 途中、このプロジェクトは誤りから学ぶこともあった。鈴木市長が語ってくれたのだが、2003年には、モナ・リザの画像が、上部が狭く下部が広がってしまったために、結局まるで妊婦のように見えてしまったのだ。遠近感を補正するために、村人は当地にいたとある教師に依頼し、村役場の上から見たとき画像が適正なプロポーションになるにはどのように苗を植えればいいか、コンピュータを使って全体像を描いてもらった。

 この村の試みを模倣する所も生まれた。日本全国で少なくも半ダースほどのコミュニティーが田んぼに画像を描いているが、田舎館村ほど精密に描いているところは一つもないようだ。

 村人たちは、東京の中央政府が歳出をカットすることによって自助努力をせざるをえなくなったことは痛感しているので、訪問者のこの流入を活かす手立てを見つけなければならないと語る。産業課のヨーゾー・キクチ氏は、村は新しいお土産を開発しなければならないと言う。日本では毎度のことだが、そのお土産の中には、微笑んでいる米粒でその名も「リトル・ミスター・ライス-ライス」という可愛いマスコットが含まれるらしい。

 村長にはもっと雄大なプランがある。彼は、田んぼアートの場所を増やし訪問者用に新たな施設をいろいろ建設し(その中には、花で飾られた街道というのもある)、田舎館村を「アートの村」に変えることを構想しているのだ。

 「私たちは経済的な恩恵を二の次に扱っていたのです」と村議会議長の工藤栄治氏は語った。「しかし今は、それがいかに重要か理解していますよ」。

」 









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