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絶滅寸前の中流階級(1) [海外メディア記事]

 「階級」という言葉には、イギリスと日本ではまったく違った背景と歴史が結びついているように思われがちですが・・・もちろん、ある程度時代を遡れば別ですが、少なくとも1980年代以降は、大きなトレンドとして見るならば、日本もイギリスも大差はないようです。このイギリス『ガーディアン』紙の記事を読むと、そんな感想をおのずと抱く人が多いのではないかと思われます。

 日本では、1980年前後に「一億総中流意識」ということが盛んに言われた。その頃イギリスでは、サッチャーが伝統的な社会構造を破壊することで、中流階級の拡大に途を開いた。しかし、どちらも中流階級が幅を利かせたのはそれほど長くはなかった。日本ではバブルの崩壊という要因があったにせよ、世紀の変わり目の頃、巨視的に見れば、どちらの国もグローバリゼーションという大きな波に飲みこまれていったというイメージが自ずと浮かんできます。その先に待ち構えているのが極端な二極化であることは、洋の東西を問わない訳で、なぜなら、まさにそれがグローバリゼーションの本質なのだから。それに、一切を規格化しようとするトレンドによって最も深刻な被害を受けるのが中間層の仕事だという分析もよく判ります。自分の仕事の分野でもそういうトレンドが露骨な位ハッキリしていますからね。「自律性や決定権」が次々に職場の人間から奪われていって、残ったものといえば、評定や査定の対象としての労働だけという殺伐とした光景が至る所に広がっていることは、皆さんご承知のとおりです。

 オリジナルの記事は、長い一続きの文章ですが、ちょっと長すぎるので、2回に分けて紹介します。

  Is the British middle class an endangered species?

BY Andy Beckett
The Guardian, Saturday 24 July 2010
 
 http://www.guardian.co.uk/uk/2010/jul/24/middle-class-in-decline-society

イギリスの中流階級は絶滅危惧種か?


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 イギリスで中流であることは変わってしまった。職が安定し、充分なサラリーを貰い定期的に海外で休日を過ごすという日々は過去のものとなった。そして、ある世代の危機がまさに始まりつつあるのだ。

 アリソン・オグデン・ニュートンの父は開業医だった。主にバッキンガムシャー州のジェラード・クロス一帯の豊かなベッドタウンで、50年間医師として働いた。オグデン・ニュートンはその一帯を「トーリーの心臓部」と呼ぶ。ゴルフコースがあり、男性は電車に乗ってメリルボーンに行き、女性はボルボのある家にとどまった。

 オグデン・ニュートンはその地域を離れた。大学では産業関係論を学んだ。その後、反組合の空気が猛烈に強いアメリカ南部のケンタッキーで労働組合のために働き――「一度ならずピストルで撃たれたわ」――、イギリスに戻ってからは、有害な塗装用溶剤に反対する運動に携わった。その次は慈善活動だった。最初は昔ながらのもので、次にもっと今風の、ベンチャーっぽい活動を行った。彼女はいま、社会問題に連動したビジネスのためにアドバイスをしたりロビー活動を行う利益団体の「ソーシャル・エンタープライズ・ロンドン(Social Enterprise London)」を運営している。


 オグデン・ニュートンは自信に満ちた47歳の女性で、いまでも「正しい人々の味方」だと思っているが、命令を発することに躊躇することはない。彼女の年収は8万ポンド(約1080万円)。彼女と、資産運用会社を経営している夫と3人の子供は、緑が豊富なロンドン南西部のリッチモンドにある大きく素敵な家に暮らしている。家の前には4輪駆動の高級車が、裏庭にはオリーブの木が、壁にはオリジナルの工芸品が配してある。私が到着した昼には、住み込みの外国人学生が子供たちの世話をしていた。子供たちは私立学校から帰ったばかりで、オグデン・ニュートンは韓国での講演会に出かける準備が整っていた。


 これはどんなことにも動じることのないほど安定した生活のように感じられる。しかしそれは幻想である。ソーシャル・エンタープライズ・ロンドンがしていることの一つは、政府の福祉関係の契約を実行する企業を見つけることである。「総選挙以降、契約の90%はキャンセルされました」と、庭の日の当たるところに私たちが腰をおろした時にオグデン・ニュートンはそう言った。一瞬、不安げな表情が彼女の顔に表れた。「世の中の移り変わりの速さとそれが例外なく社会の全体を覆いつくすのには全く唖然とするわね」。それから不安げな表情は和らいだ。「なくなった契約はもっと賢明なアレンジのものに取って代わられますよ」。現在の職に就いたとき、こうした大混乱を予想していましたか? 彼女は微笑んだ。「世の中は根本的に不安定なものだっていつも思っていましたよ」。
  
 イギリスで中流階級であることはすっかり変わってしまった。政治家もメディアも多くのイギリス人も「中流階級」について、それがあたかも昔から変わらない、安定して容易に崩れない社会集団であるかのように語っている。それらは、中流階級の人口がますます増えますます影響力を高めていると仮定している。長期的な社会的・経済的・政治的トレンドが上流階級と労働者階級を弱体化させたので、「もうみんな中流階級だ」がこの数十年好んでよく使われる新聞の見出しになった。「1980年代までには・・・・・中流階級が支配的勢力になったように思われる・・・・・・それどころか長期にわたる階級間の戦争の勝者にさえなったのだ」とサイモン・ガン(Simon Gunn)とレイチェル・ベル(Rachel Bell)はその2002年に発表した歴史書『中流階級:その勃興と拡大』で書いている。


 しかし、80年代以降を扱ったその著書の最終章には、もっと曖昧なストーリーの始まりが描かれている。つまり、中流階級のますます競争的になる本質と、賃金労働の安定性の減少というストーリー。大学の教育のような古典的な中間階級の職業を、マーガレット・サッチャーが市場へと開放したこと。国家や企業の偉大な組織力の緩慢な衰退。中間管理者が新たなビジネス・イデオロギーによって軽視されるようになったこと。こうした変化のために、中間階級の人々が影響を受けずに働ける分野がほとんど残らなかった」とガンとベルは結論づけている。


 ある点で、中流階級の生活が良い方向に変わったことは、著者たちも認めてはいる。消費者にとっての恩恵が多くなり、女性の仕事への機会が増え、ある種の専門職の人にとっては給料が飛躍的に増え、自発的で機転のきく人々、オグデン・ニュートンのような人々にとっては転職してもそれに対する見返りが与えられるようになった。私が暮らすインナー・ロンドンの区では、ロンドンの基準からすれば平凡な給料を稼ぐ私のような中流の人間がますます増えているのだが、この春のアイスランドで噴火が起きたときには、地元の学校は生徒も教員も半分はいなかった。最近の金融危機や景気後退にもかかわらず、イースターの休暇を海外で過ごすことは――私の子どもの頃は大金持ちしかそんなことはしなかった――とても当たり前なことになったのだ。しかし、中流階級の「良い生活」の現代的で消費三昧のヴァージョンは持続可能なものだろうか? ガンとベルが引用している社会学者のリチャード・セネット(Rochard Sennett)はそう考えていない。「中流階級の危機は始まったばかりなのです」と彼は警告する。


 「ウォーク・ファウンデーション(Work Foundation)」の副所長のスティーブン・オーヴレル(Stephen Overell)もそうした悲観論をいく分か共有している。「イギリスの労働市場では、マネージャーとか管理職といった中間層の空洞化が始まっています」と彼は言う。「この分野でいく分か成長があったとしても、それはこの10年間は民間セクターが主導したものです。政府の支出削減とともに、こうした管理職的な仕事の多くに将来があるかどうか疑問視しなければなりませんね」。自分の仕事にしがみつく中流階級の人々の多くにとって、見通しがずっと明るくなることはないだろう、と彼は続ける。「中流階級の職場では、被雇用者の自律性や決定権は、20年前に比べると劇的に減ってしまいました。ソフトウェアが仕事を規格化しつつあるのです。手続きやガイドラインは増えました、監視も増えました。トップにいる人は快適でしょうが、それ以外の人々は、労働を中心とした生活は悪化していると感じています」。中流階級の仕事は、労働者階級が長い間耐え忍んできた仕事に近づきつつあると言えるのかもしれない。


 もちろん、中流階級であることは単なる仕事以上のものに関わることである。しかし、中流階級の生活のもっと伝統的な側面にも現代的な不安の種がある。貯蓄の価値は、低い利息と乱高下する株式市場によって掘り崩されつつある。不動産の所有は、住宅価格の高騰により、将来の世代にとってもっと難しいものになりつつある。安心できる老後の生活の確率は、公的・私的年金が先細り状態なので危ういものになりつつある。古い中流階級の行動と価値観――自制、満足の先送り、一種の紳士気取り――は、あらゆる階級がスーパーの惣菜やBritain's Got Talent(イギリスのオーディション番組)の話題を消費するようなイギリスでは、かつてほど重要ではなくなっているのである。


 「今日、中流階級であるということは」とガンは指摘する。「崖っぷちの状態にあるということです。中流階級であるという概念には、まだ多くの意味合いがありますよ。しかし、中流階級も細分化されているのです。公的セクターにと民間セクターの区別、すでに専門職にいる人とこれから入ろうとしている人の区別のようにね。イギリスで中間階級でいることの見返りは、つねに安心が担保されていたことです。知人たちのネットワークという安心。これは投資資金のようなものですよ。しかしいまの中流階級はとても流動的です。そこにいる人でも、一生同じ仕事をしていることなんて期待できません。いつも競っています。もし一生の間に財政状況が悪化しても、自分は大丈夫と思える人がどれ位いるのか私には判りません」。


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 キム・オームズビーは懸念を抱いている一人だ。彼女は45歳で、まだ幼い子供がいて、ロンドン西部に60あるNHS(National Health Service:国民医療サービス)の施設のために医療品の回収と廃棄処理の作業を行っている。彼女の年収は39000ポンド(約527万円)で、イギリス人のフルタイム労働の平均年収の1.5倍にあたる。公的セクターの最低年収の大半の労働者と同様、彼女の給与水準は、最近、連立政権によってここ2年間凍結されることになった。

 「NHSで仕事を始めたときの予想よりはずっと収入は多いわ」。短時間コーヒーでも飲みながらといって彼女の担当の病院の一つの食堂で落ち合った時に、彼女はそういった。「14年前は、年収12000ポンドで暮らしていたわ。いつも貯金はもっていたわ。でも今は貯金はしていないの。実は、貯金をとりくずしているの。もう減ってしまったわね」。

 彼女が続けて語った生活は浪費的なものには聞こえなかった。彼女と、同じ職場で彼女よりも給料の低い夫は、ハートフォードシャー州のリックマンズウォースの一棟二軒の家に息子と娘とともに暮らしている。彼らが2年前ロンドンからこのベッドタウンに越してきたのは物件が安かったからだが、寝室が3つある家に住むには働かなければならなかった。
 「時々、ラウンジに座ってこう考えますよ。「あ~あ、気がめいる仕事だなぁ」って。壁紙が剥がれている――はぎとらなくちゃ、という仕事ですからね」。彼らの車は10年乗りつづけた車である。「お金の話はしませんね。大してないのは判っていることだし」。

 
 オームズビーは万事に希望を抱いていないわけではない。「本当は、仕事は楽しんでますよ」。でも、必要な時間数を稼ぐために朝の5時15分に起きなければならないし、子供たちが寝入った後でも一時間働いている。家族の夏の休暇はフランスでの1週間だ。

 イギリスの中間階級のすべての人がこういう生活をしているというわけではないことを彼女は知っている。「裕福な友人もいますよ。その人たちはもっと外出していますね。休暇は素敵でしょうね。スキーとか、どこか暑い所とかね」。うらやましいですか? 「うらやましいわ」とオームズビーは急にきっぱりした口調になってそう言った。「そこそこの休暇は欲しいわ」。自分を彼らと同じ中流階級の一部と考えますか? 「中流階級なんてまだあるのかしら? 中流階級ってこんなふうになったんじゃないのかしら」――彼女は食堂のテーブル一杯に両手を広げた――「それで上の人たちは上流に行ったはずよ」。


 13年前、経営コンサルタントのマッキンゼーは「ウォー・フォー・タレント(The War for Talent:人材獲得競争)という題名の影響力のあるレポートを作成した。そのレポートは、有能な個人こそが企業の成功のキーであり、人口統計的変動とグローバリゼーションのおかげで、有能な人材は供給不足に陥り、それゆえに諸々の組織がそうした人材を競って獲得しそれに応じた報酬を出す必要がある、と主張した。1997年以降、この考え方は中流階級の職場に浸透するようになった。「専門職内部でも、傑出したスター的存在に対しては他よりもずっと多くの報酬が支出されています」とオーヴレルは言う。そしてしばしば、こうした「スター的存在」は自分の同類を国内的な観点よりも国際的な観点から見ようとする。「ロンドンやニューヨークに行けば判りますが、トップにいる人々は一つのグループを形成しつつあります。彼らは互いを理解しあっています。自分たちを同じ種族と見なすわけです」。その種族のメンバー――会社の重役、セレブの建築家、経営コンサルタント――はいつも旅行していて、言葉はなまっていて偏った考え方を抱きながらも大陸間を移動し、世界を単に一連の解決されるべき問題としてしか見ない傾向がある。


 同時に、イギリスの中流階級の中には、「専門職全体が他の人々から離反しつつあるものがあります」。最も悪名高いのは金融サービスである。少なくとも私の経験からいっても、銀行家は中流階級の生活において少し矛盾した立場にある。お金や不動産や世界がどう動いているかについての仲間内の会話でしょっちゅう言及されるのに、実際に会うことはほとんどないのであるから。オームズビーが、病院の食堂でポリスチレンのコーヒー・カップをもてあそびながら言ったように、「別世界みたい」なのである。

」(つづく)








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