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無神論的に世界を見る ――ドーキンスへのインタビュー [海外メディア記事]





 前の記事で引用されていて、次に紹介すると約束したドイツ『シュピーゲル』誌とドーキンスとのインタビュー記事をアップします。


 
 日付は2007年10月9日となっていて、少し古い。アメリカの大統領がブッシュだったり、ハリケーン・カトリーナが話題になったり、少し時差を感じさせるが、それは些事にすぎない。


 ドーキンスについては、『利己的な遺伝子』等で世界的に有名になった理論生物学・進化論の分野の第一人者だが、それはいわば表の顔で、戦闘的な無神論者という別の顔も持つことは、彼の無神論的著作がすでに何冊か翻訳されているので、ご存知の方も少なくないはず。





 シュピーゲルの聞き手も、ドーキンスに負けず、ずけずけとした聞き方なのが印象的。日本ではあまりこういうインタビューは見られないのではないだろうか?


http://www.spiegel.de/spiegel/print/d-52909346.html

「 不安の神

 イギリスの進化生物学者、リチャード・ドーキンス(66)、信仰の好戦性、精神性の起源、宗教による子どもの虐待について語る

Spiegel: ドーキンスさん、あなたはオクスフォードのかつての司祭を友人と見なしていますね、つまり、「女嫌いで、人間恐怖症で、人種差別的で、子どもや異民族を殺害し、誇大妄想的で、サド・マゾ的で、気難しくカッとなりやすい暴君」――少なくともあなたは旧約聖書の神をそう記しているわけですが――に自分の一生を捧げた人を友人と見なしていますね。それでもあなたはその司祭を評価するのですか?

Dawkins: リチャード・ハリスはとても好感のもてる人ですよ、とても知的で博識だし。彼の信仰心は私の日常に関わりのないことですし。私には、人種差別主義者と親しくなるほうが難しいでしょうね」。

Spiegel: あなたは司祭に対して神の妄想にとりつかれていると非難していることになりますが、司祭はそれを滑稽だと思っているのではないですか?

Dawkins: 彼は私に対してはとても友好的です。あれ位の司祭ともなれば皆そうですよ。

Spiegel: アメリカでは、あなたのような騒々しい無心論者に対する許容限度が低くなっています…

Dawkins: そのようですね。まるでアメリカでは一種の素朴な宗教心が蔓延しつつあるかのようです。巨大な教会が、週に一度ありったけのお金を献金袋に投げ込む何万という信者で一杯になるわけですから。

Spiegel: ヨーロッパではそれに似たことはありませんね。それはどのように説明しますか?

Dawkins: たぶん、ヨーロッパの宗教がとても退屈だからでしょう。イギリス人は、年に一回、クリスマスに教会に行く。結婚式と葬式のときに行く、それだけでしょう。それに対して、アメリカは、西側の国では、教会と国家を徹底的に切り離したほとんど唯一の国です。だから、教会が自由な商売になったのです。攻撃的な宣伝はあるし、大道商人が粉石鹸を売りつけるみたいに宗教を売りつけるセールスマンがいたりしますからね。競り合う教会は客の取り合いです。うちの教会にいらっしゃい、よそに行っては駄目、私のところに献金して、よそじゃなくて、という具合にね。

Spiegel: では、アメリカで大衆向けのミサに行ったことがあるのですね?

Dawkins: ありますよ。鳴り響く音楽、きらめくスポットライト、甲高いマイクの声、託児施設、レストラン、あらゆる娯楽が完備していました。教会は、日曜日を過ごす場所、人と出会う場所なんです。ヨーロッパでは、きれいな色のグラスをもらったり、ときには美しい賛美歌を聞けますが、教会は、楽しむために行く場所ではないでしょう。だからアメリカの礼拝はロックコンサートと同じなのです――あるいは全国党大会と同じと言ってもいいでしょう。先ほど話題に出た司祭に向かって、私はアメリカでの礼拝をそうしたショーに喩えて話したことがありました。残念ながら、彼は全国党大会がどういうものか知りませんでしたけどね。


SPIEGEL:  なぜあなたは信仰に対して激しく戦うのでしょうか? 不安を抱いているからですか?


Dawkins:  そうです。信仰の好戦性に対する不安です。自分は何が正しいか知っているという人々の確信に対する不安です。そういう人々にはもはや論証が通じないことに対する不安です。


SPIEGEL:  信仰心のある人がみな狂信的というわけではありませんし、イスラム教徒がみな爆弾に点火するわけでもありませんよね。

Dawkins:  確かに。しかし、信仰によって結びつくどんな共同体にも周辺に追いやられた集団がいて、そうした集団は暴力的になるものなのです。それに、好戦的なキリスト教徒やイスラム教徒やユダヤ教徒がいるということは、私を不安にさせる事実の一つにすぎません。不安にさせるもう一つの事実は、信仰心が知性を破壊し、真理の追求を葬り去ることです。そのとき人は、何も説明しないようなものに満足してしまうのです。

SPIEGEL:  誰だって自分なりの仕方で幸福になることができるのではありませんか?

Dawkins:  伝道師のパット・ロバートソンは、神がホモセクシャルの人間を罰しようとしたがために、ニュ-・オーリーンズは洪水被害にあったのだ(ハリケーン・カトリーナの大災害を指す――――訳者註)と主張しましたが、あなたはそれを正しいと思いますか? 自然災害が起こるといつも、そういう福音主義者たち――ブッシュ大統領の顧問だったり友人だったりするわけですが――は犯人探しをするのです。

SPIEGEL:  そんな極端な立場の人々が言っていることを真に受ける必要がありますか?

Dawkins:  この問題は別のたて方をすべきでしょう。信仰心ある人々がこうした目茶苦茶なことを言っているのに、なぜ人々は寛容な態度をとるのか、私には理解できませんね。オハイオ州の法廷は、ある若者が、「ホモセクシャルは罪だ、イスラムは嘘だ、堕胎は殺人だ」と書かれたTシャツを着て学校内を歩くことを認めました。何故でしょう? それは彼の信仰の一部だからです。

SPIEGEL:  あなたの宗教批判は、年々ますますラディカルになってきていませんか?


Dawkins: たぶんそうでしょうね。きっと2001年の9月11日が私をラディカルにさせたのです、それにキリスト教国の反応、新たな敵に対する十字軍遠征、世界を善と悪に分断したことなども私をラディカルにさせましたね。


SPIEGEL:  戦争は多くの理由から行われるのであって、宗教的理由からだけではありません。あなたの信仰に対する激しい敵意がどこからやって来るのか、まだはっきりとは理解できないのですが。



Dawkins: 子供に対する教化活動にはとくに憤慨します。私は宗教を一種の精神的な幼児虐待だと見なしています。私たちの社会が幼児に、あなたはカソリックの子供、あなたはプロテスタントの子供とレッテルを貼り付けているのは途方もないことですよ。マルクス主義の子供、保守主義の子供について語ろうなどとは夢にも思わないでしょう?
 

SPIEGEL:  どうしてそういうレッテルが有害だというのですか?


Dawkins:  そのために子供は多くの荷物を背負うことになるし、攻撃の対象になるからです。ドイツではそうはならないでしょうが、北アイルランド、イラク、イスラエルでは確かにそうです。直接的な危険はないにしても、監視の対象になります。子供が大きくなって、宇宙や道徳や人間性について自分の意見をもつようになるはるか前に、三位一体を信じる人間にさせられてしまう…


SPIEGEL:  精神的な幼児虐待と言いましたよね? これはまた激しい非難ですが。 


Dawkins: でもそうでしょう。小さい子供たちの好きな人を取り上げて、プロテスタントという理由だけで、あいつは地獄で釜ゆでにされるぞ、と子供たちに言って聞かせるのは由々しいことだと私は思いますが。


SPIEGEL:  冗談抜きで、今日どんな聖職者が子供にそんな不安を吹き込むようなまねをするでしょうか?

Dawkins:  コロラド州のいわゆる「ヘルハウス」(地獄の家)を訪ねることをお勧めします。そこでは、役者たちが、堕胎やホモセクシャルなどの色々な罪をできるだけ恐ろしげに演じています。赤い衣装の悪魔が「ウォアー」と叫びながら踊るように進み、終いに硫黄が燃焼するような異臭に満ちた地獄そのものに到着するわけです。この施設の唯一の目的は、子供たちを恐怖のどん底につき落すことです。


SPIEGEL:  キリスト教の愛のメッセージは、あなたにだって子どもにふさわしいと映るはずですが。


Dawkins:  「イエスのキャンプ」というドキュメンタリー映画をご存知ですか?  それは、福音主義者が開催している子どもたちのための夏のキャンプなのです。子どもたちはそこで、神の兵士になるようにと訓練を受けるのです、しかも銃の模造品を渡されてね。こうした小さな子どもたちが厳しく訓練されている様子を見ると、血が凍りつくような思いがします。


SPIEGEL:  いつ頃あなたは信仰を疑い始めたのですか?


Dawkins:  9歳の頃です。たくさんの宗教が存在していること、そしてそれらすべてが正しい訳には行かないことが、はっきり判ったのです。でも、信仰するためのかすかな理由はまだ残っていました。人生が複雑で美しいことが、その最たる理由でした。15歳になって、ダーウィンや進化が判ってきて…


SPIEGEL:  …それで神に対する信仰を決定的に失ったわけですか?


Dawkins:  そうです。だから、私ならあらゆる手を尽くして、アメリカでの天地創造説に関する訴訟に証人として呼び出されないようにするでしょうね。ダーウィンによって無神論者になったのかという問いかけに、私は「そうです」と答えざるをえないし、相手側の弁護士は狂喜するでしょう。ダーウィニズムが信仰からの離反を招くことがあるということがアメリカで示されることがあれば、誰も学校で進化論を教えようとしなくなるでしょうからね。 


SPIEGEL:  あなたは科学と宗教は根本的に相容れないと見なしていますか?


Dawkins:  信仰心をもった科学者はいますよ。だから、人間の精神がこの二つの世界観を両立させることが可能なのは明らかです。しかし私にはそれを実行することはとても難しく思えるのです。私の眼には、神を信じる最も強力な理由は、進化論によって片付けられてしまったからです。


SPIEGEL:  物理学は、生物学よりは神に対する余地を残しているのでありませんか?


Dawkins:  多分そうでしょうね。宇宙の根本的な定数はとても微細なレベルまで定まっていて、なぜこの定数がこうした値をとるのかを説明できる理論は一つもないのです。その定数がほんのわずかでも変わっていたら、私たちが知るような宇宙は存在していないでしょう。この事実を論証に変えると次のようになるでしょう。つまり、こうした半ダースもの定数をこれほど微細なレベルにまで定めた設計者がいたに違いない、という論証です。


SPIEGEL:  その次を推測すると、あなたはこの論証を説得力のあるものとは思っていないのですね。


Dawkins:  まったく満足がいかないものだと思いますよ。なぜなら、結局その論証は、その設計者がどこからやって来るのかという問いに私たちを投げ返すわけですからね。


SPIEGEL:  私たちの宇宙が微細なレベルまで定まっていることに対するより良い説明をお持ちですか?


Dawkins:  宇宙が複数存在し、その各々は違った法則や定数をもっている、と想定することにはそれなりの理由があります。何百万という違う宇宙のなかで、ごくわずかな宇宙だけに、星や元素や生命が成立する条件が与えられたのかもしれません。しかし私たちはそうした少数の宇宙の一つの中に生きているのでなければならない。なぜなら私たちは存在しているからです。これはかなりエレガントな説明だと思いますが。

  
SPIEGEL:  多元宇宙の証明がないので、あらゆる被造物を生み出す神なるものの余地が残されるわけで…


Dawkins:  ・・・あらゆる被造物を生み出してから、神は年金生活に入ったのですか?  それもまた途轍もなく超自然的な存在ですね、ビッグバン以降もう何もしなかった知的存在というのも。結局はやはり同じ神の仮説なのですよ。


SPIEGEL:  「真」または「偽」についてのあなたの理解の仕方はとても短絡的ですよ。その信仰について人々に問いかけてみると、神とは一種の感じられ、体験可能な真理であるという印象をもつのです。あなたの科学的な真理概念と並んで、それとは別の真理が存在するということもありうるのではないですか?


Dawkins:  私としては、それがどのような真理概念なのか、と自問する他ないですね。たとえば、シューベルトの弦楽四重奏はある意味で真である、と主張できるかもしれません。しかし、私は、この手の言明を擁護する必要があるとは思いませんね。ここには別種の真理があるのかもしれません―――弦楽四重奏を最後まで聞いて、感動のあまり涙するかもしれません。でも結局これは言葉遊びにすぎませんよ。



SPIEGEL:  あらゆる問いの中で多分もっとも根本的な問いが三つあって、これまでのところ科学はその問いに答えを出すことができていません。つまり、物質の起源、生命の起源、意識の起源への問いです。この三つの問いは創造の瞬間ともかかわりがあります。始めは何もなかったのに、急に何かが存在するようになったのですから。多分科学はこうした問いを解決することはできないのではないでしょうか?


Dawkins:  科学がこうした突発的な発生を基礎づけることが原理的にできないとは、疑わしいと私は思っています。実際そうした突発的な発生がその都度あったのかどうかも確信が持てません。意識を取り上げてみましょう。ミミズにはほんのわずかの意識しかなく、犬はもっとたくさんの意識があり、われわれ人間が最大の意識をもっていると多くの人は信じていますよね{つまり、意識は程度的に漸進的なもので、突発的なものではない――訳者註}。



SPIEGEL:  生命の起源はどうです?



Dawkins:  ここでキーとなる出来事は、自己自身を複製する分子の出現です。しかし、この出来事の前と後で、地球の外見はさほど変わらなかったわけです。以前、海は分子を満載した調理鍋のようなものだった。その出来事の後でも、やはり分子を満載した調理鍋のようなものであることに変わりがなかったわけですが、それら分子の一組が自己自身を複製化したのです。当時そこに居合わせたとしても、その瞬間に複雑な生命の種がまかれたことは、誰も認識できなかったでしょう。でも、あなたが挙げた三つの問いのうちでもっとも厄介なのは意識の発生の問いでしょう。そもそも問題の本質を定めること自体が難しいからです。

  
SPIEGEL:  まさにそういう隙間は神によって埋められるのです。何といっても、古典的な非難によれば、科学は、私とは誰でなぜ私は存在するのか、という決定的な問いに対していかなる答えも与えられないわけですから。


Dawkins:  ある理論体系が私に何かを説明することができないからといって、そのことは、別の理論体系がそれを説明することができるということを意味するわけではありません。それはまったく非論理的ですからね。



SPIEGEL:  あなたがおっしゃるように、宗教がとても説得力のない答えしか与えられないならば、どうして宗教の支持者はこんなに多いのでしょうか? ホモ・サピエンスにおける進化は、精神性(スピリチュアリティ)への欲求に有利に作用したのではありませんか?


Dawkins:  多くの生物学者と同様、私は、自然選択が宗教性そのものに有利に働いたことはまったくなかったという考え方を取りますね。宗教性とは、別の優遇された属性の副産物なのかもしれません。



SPIEGEL:  どうしてそう考えるべきなのでしょう?



Dawkins:  宗教は、たとえば、親の言うことに従おうとする子どもの傾向の副産物なのかもしれません。それがサバイバルに有益だったことは容易に見て取れます。森の中では、反抗的な子どもは、親の警告を無視した場合、危険な目にあったでしょう。だから、自然選択は、権威への従属に有利に作用したかもしれません。しかし、権威が言うことを信じる脳は、虎が潜んでいるかもしれないから、夜に森に行ってはいけないという良いアドバイスと、雨を降らせるために、ヤギを犠牲にせよという愚かしい命令とをもう区別することができないのです。


SPIEGEL:   それは何も宗教に限ったことではないでしょう。それであなたが説明できるのは、あらゆる無意味な考えが社会に広まる現象ですよ・・・

Dawkins:  確かにそうですね。「はしごの下を通ってはいけない」とか「黒猫は不吉をもたらす」といった迷信を取り上げてみましょう。こうした考え方は、ウィルスのように広がるものなのです。


SPIEGEL:  どのウィルスが成功を収めるのか、その決め手となるのは何でしょう?


Dawkins:  たとえば、「あなたは死後も生き延びるだろう」と語るウィルスはとても魅力的です。死に対する不安を抱く人は大勢いますし、そういう人は死後も生き延びるという考え方を気に入るでしょうからね。または、信仰は一つの徳であり、理性に反して信仰することはさらに一層有徳な行為だという考え方を取り上げてみましょう。そうしたウィルスがどれほどサバイバルに有利だったかは、容易に見て取れます。



SPIEGEL:  信仰は宗教の一面にすぎません。別の側面である伝統と儀式という別の面をあなたはどれほど重要なものと見なしているのでしょうか?


Dawkins: たいていの人は儀式的なものにある程度の価値を認めています。無神論者でも結婚したばかりのカップルを祝福するためにグラスを掲げます。告白しますが、私は、皆がタキシードと蝶ネクタイを着用するフォーマルなディナーでは、ジーンズとセーター姿の人がその場に現われたら、ちょっとむっとしますよ。


SPIEGEL:  クリスマスはお祝いしますか?


Dawkins:  子供たちにプレゼントを贈るという意味では、祝いますよ。


SPIEGEL:  結婚式は教会で挙げましたか?


Dawkins:  (笑いながら)3度あった結婚の最初のときは、教会で挙げました。当時は、それ以外の可能性は考えもしなかったのです。社会全体が、結婚は教会でするものだと思い込んでいたのです。


SPIEGEL:   信仰ではなく、儀式的なものが宗教で一番重要なものなのだということは考えられませんか?


Dawkins:  もしそうならば、そういうことにしておきましょう。私は儀式的なものを攻撃はしないのです。私が関心をもつのは、イラクに侵攻せよ、堕胎を行うクリニックを爆破せよ、胚性幹細胞の研究を妨害せよと神が語りかけたと思いこんでいるような信者たちなのです。


SPIEGEL:  「もし神が存在しなければ、すべてが許される」とドストエフスキーは考えました。キリスト教の倫理がなければ、私たちはどうなってしまうのでしょう?

Dawkins:  今日の私たちの倫理は聖書から得られたわけではまったくありません。私たちの価値観――たとえば、平等の観念や奴隷や拷問の禁止――は何ら聖書に負っているものではありません。それらは、私たちが文明的なすべての人々と共有するリベラルなコンセンサスの中で成立したものです。もし私たちが倫理を聖書から引き出すならば、世界は途方もない場所になっているでしょう。タリバンに支配されるアフガニスタンのような場所になっていることでしょう。

SPIEGEL:  山の上の垂訓はどうなのです?


Dawkins:  あなたが山の上の垂訓を引き合いに出せるのは、それがあなたの現代的でリベラルなコンセンサスに合致しているからにすぎません。それに対してモーセ五書は合致することもないのです。それは私たちに、浮気をする女性は死ぬまで石打ちにすべしと述べるわけですからね。


SPIEGEL: みんな、自分にとって都合の良いものを聖書から拾い上げているわけですね。


Dawkins:  その通り。「なんじ殺すことなかれ」は良い命令だが、「私についてのいかなる像をも作ることなかれ」はかなり愚かな命令であるという点では、たぶん私たちだってすぐに同意できるでしょう。


SPIEGEL:  でもたぶん、その時々の社会の規範を徹底するためには、神を信仰することが適していたのではないですか?


Dawkins:  買収と不安を利用してね。あなたは、神に罰せられることに不安を抱いているから、善良な人間だ、というようにね{善性と引き換えに信仰を買い取るということ――訳者註}。もしそれが正しく、人間が善良になれるのは神に対する恐れを抱く場合だけだということになると、それはかなりみっともないように私には思われます。神に対する不安という理由だけから善良でいようと思う人と親しくしたいなんて、あなたは思いますか?


SPIEGEL:  宗教を禁止したいのですか?


Dawkins:  いいえ。どんな種類のものであれ、思考を禁止することは私の世界観にはありません。私はただ意識を鋭くしたいだけなのです。


SPIEGEL:  これまであなたは、どちらかと言うと強引な主張をするという印象を与えていたように思えます。科学に敵意を見せる陣営に対する闘いであなたと共闘していた人の中でも、あなたが自著で、無神論は、それが敵対する側と同じくらい非寛容であるという印象を喚起してしまった、といって非難する人が何人かいたじゃありありませんか。


Dawkins:  一種の二重道徳があるのですよ。もしあなたが「ブッシュは愚かだ」と言ったら、かなりの人が同意してくれるでしょう。でももしあなたが「宗教は愚かしい」と言ったら、それは、刺すような、耳に残って人をかっとさせるようなものに聞こえるものなのです。もしあなたが、私の本の口調を演劇の批評家や政治評論家の批評の口調とちょっと比較するならば、私の言葉がかなり温和で大人し目であることが判ると思います。


SPIEGEL: 最近少なくとも5人の著者が宗教を反駁する論争の書を書き上げました。どれくらい売れるでしょう?


Dawkins:  無神論者はあまりに長い間口をつぐんできました。いま私たちは声をあげ始めたのです。――見て下さい、われわれの本は他を圧倒するようなベストセラーですよ。私の本は、ハードカヴァーだというのに、百万部以上売れましたからね・・・


SPIEGEL:  ・・・中には、燃やすためだけに買った人もいるかもしれないですね。 



Dawkins:  (笑いながら)そうかもしれません。もちろん、同じ考えの人々すべてを前に話をするのがいいとは思いますよ。でもこの同じ考えの人々というのは皆が考える以上に大きいと思えるのです。信者を信仰心から転向させることが上手く行かなくても、人々が隠れ無神論者から無神論者と公然と名乗れるように、私たちは働きかけているのです。


SPIEGEL:  あなたは自分を、反宗教闘争の司令官だと思っていますか?


Dawkins:  あなたにはどう見えます? 指導者に見えます?


SPIEGEL:   外交の手腕が際立っているとは言えないでしょうが、あなたのあだ名を使うなら「ダーウィンのロットワイラー{牧羊犬、または警察犬―――訳者註}」というところでしょうか?


Dawkins:   ロットワイラーはとても魅力ある可愛い犬ですよ。


SPIEGEL:   ドーキンスさん、インタビューありがとうございました。


 







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don

確かに神などは存在しないと思いますね。このブログを読ませてもらった事もあるんですが、下記ブログ

http://ilovebible.blog119.fc2.com/blog-entry-67.html

の一連のやり取りを見て、あぁ~ クリスチャンもイザとなった”私も人間ですから”ってな感じで逃げてるし
やっぱり宗教ってのは人間の金儲けの道具に過ぎないんだなて思いますね。
by don (2010-05-16 06:44) 

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