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天才が遺伝子の中にない理由 [海外メディア記事]

 天才とは1パーセントのひらめきと、99パーセントの汗だというエジソンの有名な定義があるが、この記事によると、そういう定義も多分過大すぎる表現なのかもしれない。天才も凡才もなく、あるのは汗だけ、と言うべきなのかもしれない。イギリス『ガーディアン』紙の日曜版『オブザーバー』紙の記事より。



http://www.guardian.co.uk/theobserver/2010/may/02/david-shenk-genius-genetics

「   天才が遺伝子の中にない理由


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 天才が遺伝的素質の産物であるという信念は、デイビッド・シェンク(David Shenk)によれば、広く行き渡っているが間違ってもいるのだという。    才能とは、他人が当てることすらできない的に命中させる射手のようなものだ。天才とは他人が見ることすらできない的に命中させる射手のようなものだ。  アルトゥール・ショーペンハウアーは天才の概念をそのように定義した。天才とは、その生まれもった特質のおかげで他の人々には及びもつかない半ば神話的存在が示す才能のことだ、というわけである。モーツァルト、アインシュタイン、ニュートン、ジョージ・ベスト等はみな遺伝子に恵まれ、われわれが所有しようと望むこともできないような偉大なことを成し遂げた、というわけである。    それはそうかもしれない。しかし、『ニューヨーカー』やアメリカの別の雑誌によく寄稿している作家のデイビッド・シェンクは、どうかそんな俗説を受け入れないでほしいと願っている。すべての人間はアインシュタインのようになれるのだと、この人当たりのよい作家は、最新作『私たちすべての中にある天才(The Genius in All of Us )』(アイコン社)で主張している。例外的な才能をもっていることはそれほど特別なことではないのだという。ほっとするような主張だが、しかし正しいのだろうか?



 遺伝的特徴、才能、知性について私たちが教えられきたことはすべて間違っているとあなたは主張しています。なぜですか?

 
 私の興味は、「専門職研究(expertise studies)」と呼ばれる一群のリサーチに出会ったときに、かき立てられたのです。{フロリダ州立大学の}アンダース・エリクソンや他の心理学者たちは、ある種の人々が何らかの活動をとても得意にするのはどのようなプロセスからか、ということをずっと調べています。言い換えれば、彼らは、偉大な業績の構成要素を見きわめようとしているのです。


 たとえば、彼らは、プロのヴァイオリン奏者たちがどのように練習するのかを見学したのです。訓練をうけていない目や耳には、どの奏者もたくさん練習をする、何時間も、何時間も練習する、ということはハッキリしていました。しかし、ベストの演奏をするにいたる奏者のことをとても注意深く見ていると、そうした奏者は、それ以下のレベルの奏者よりも、練習量も多く、演奏の質もより良かったことが――徹底的な追跡をしてみて――判ったのです。

 
 これはあらゆる業績に拡大できるテーマです。たとえばバスケットの「スーパー・グレイトな」選手と「単にグレイトな」選手の練習でも量的および質的な違いがあるのです。彼らだってグレイトになろうと懸命に努力しているのです。生まれたときに授かるわけではありません。



 ほとんどの人はモーツァルトのような神童を見て、その才能は偶然生じた遺伝子の産物に違いないと結論づけるわけですが、あなたは同意しないわけですね。



 遺伝子や脳はどのように機能するのか、音楽の才能は実際にどこからやってくるのかについて私たちがもっているどんな証拠をもちだしてきても、モーツァルトにはそれほど神秘的なものは何もないという考え方と矛盾しないのです。もちろん、彼の偉業を見くびろうなどとは思いませんよ。でも、彼の生涯でも、別の天才の生涯でも、それを見れば見るほど、それが一つのプロセスであることが判るでしょう。モーツァルトは、神童になるのにほとんど打ってつけの環境に反応しただけなのです。


 モーツァルトの生まれつきの才能の神話がいまだに根強く残っているのは、彼の人生にあったさまざまな物を混同しているからなのです。彼が早くから作曲に興味をもったことを私たちは知っていますし、演奏家としても天才的だったことを私たちは知っています。素人は、だからモーツァルトは生まれつきそんな風だったと結論づけるような反応を示すのです。そしてそのような反応が一世紀も続けられてきたのです。並外れた才能に直面するたびに、遺伝子に違いない、それ以外の説明は考えられないから、と私たちは言います。実は、モーツァルトの場合、彼の能力を刺激するという点で彼の養育環境もまた並外れていたことは明白です。


 困ったことは、この問題がいま悪化しつつあるということです。人間の病気の原因となる新たな遺伝子が発見されたという記事を読めば読むほど、私たちが遺伝子決定論に寄せる信念が強固なものになってしまうのです。でも、遺伝学者の大多数は、そのようなことを望んではいないでしょう。


 
 モーツァルトの偉大さは、先天的なものではなく、彼の意欲によるものであるとあなたはおっしゃる。彼は、他の誰より上手く演奏したり作曲をすることが上手だった。しかし、そうした意欲が遺伝的なものではなかったと誰も言えないでしょう? 彼の意欲が遺伝的だとすれば、彼の偉大さの源泉もやはり遺伝子にあることになりますよね。


 
 意欲に影響を及ぼす遺伝子は存在すると思いますよ。でもそれが完全に先天的な特性であると私は考えませんね。それは私たちの人格や性格の一部になるのであって、そういう部分はどれも成長させられるものなのです。負けまいとする意欲とかやる気は人々の一生の様々な時期に現われますし、しばしば逆境に対する反応として現われます。もっとも、強力な意欲を育みにくい人がいることは私も認めますよ。しかし、意欲とは、基本的には、発達させられる特質なのです。



 遺伝学の研究が進むと、天才とは遺伝的なものではなく後天的なものだということを示唆するデータがもっとたくさん与えられるだろう、とお考えですか?
 
  
 現代の研究は、遺伝子の発現や後成的遺伝学(遺伝子が発現する仕方を環境がどのように変えるかの研究)についての問題をやっと解明し始めたばかりです。遺伝子は、栄養、ホルモン、神経の刺激や他の遺伝子などの環境にある刺激によって活性化したり、非活性化するものです。生まれたときに棚ぼた式に授かる黄金の遺伝子などというものはないのであって、外部の世界と私たちのDNAの絶えざる相互作用があるだけなのです。



 言い換えると、遺伝子は、各人の潜在能力を制約するようなことはまったくしないわけですね?


 そうです。その通り。私たちの遺伝子は私たちの人生に影響を及ぼしますが、同様に私たちの人生も私たちの遺伝子に影響を及ぼすのです。このことは重要な意味合いを含んでいると私は思います。確かに、アメリカ人の私たちは、ある子は他の子よりも学業が良くできないという思いに、無言のうちで、屈する傾向があります。


 大事なことは、人間としての才能を開発するために、私たちがもっと多くのことをする必要があると決心すれば、私たちは皆その恩恵を受けられるだろう、ということなのです。当然ながら、そうするためにはいろいろな資源が必要でしょう。しかし、全体的として伝えられるメッセージは明瞭です。問題は、私たちが不十分な遺伝的資産しか所有していないということではなく、私たちが既にもっているものを、いまのところ、充分に活用できていないということなのです」。
 
 








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