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ナルシシズムの殻 [子供とともに(更新ほぼ停止中)]

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 自分の子供といっしょにいて、ああやっぱり自分の子供だな~と感じ入ることもあれば、ぜんぜん違うなと感じることもある(当たり前ですが)。あるいは、どちらに属するケースか判然としないこともある。

 似ていることを一つだけあげよう。思わず苦笑してしまうのだが、いっしょに歩道を歩いていて、色違いのブロックタイルが不規則に並んでいる中、例えば黒っぽいタイルしか踏んではいけないと即席のルールを決めてそれを守ろうとする。あるいは、横断歩道の白い部分しか踏んではいけないかのように歩くこと。そして並んでいる私にもそのルールを強要しようとする。そこから外れると、即座に負けなのだ。

 こうした他愛もない遊びは、間違いなく子供時代の自分にもあった。10数える間に、あの3本目の電柱のところに行き着ければ勝ちのような即席のルールにもとづいた即席の勝負のようなことは、頻繁にあった。考えてみれば奇妙な自己暗示のようなことだが、それが、いま自分の子供に引き継がれて繰り返されるのを見ていると、すっかり忘れ去った記憶が掘り起こされるような気持ちになり、苦笑してしまうのだ。

 似ていない点は沢山ある。食べ物の好み。私は小学校一年の頃は毎日外で野球をしていたが、子供はそれほど外向きではないらしい(しかし、これは環境の違いに過ぎないかも知れない)。大の活字好き・・・etc(小学生時分、私はあまり読書をしなかった)。


さて、そんな中、どちらか判然としないようなケースもある。例えば、最近わが子はよく将棋で遊んでいるのだが、ある程度コマの動かし方がわかれば、後は勝負しかないわけだが、相手は私であってもいいし、パソコンの対戦型ソフトであってもいいし、ネットで対戦だってできる。白黒をつけることができるからこそ、ボードゲームの面白さがあるわけだが、それを彼は頑なに拒むのである。まだコマの動かし方の理解が不完全ということもあるし、戦法などもほとんど知らないということもあるのだが、いまのところ、彼は先手も自分、後手も自分でコマを動かしているだけなのである。それでは面白くないだろうと思うのだが、そうでもなさそうなのである。

 そんな姿を何度か見て、それが決してこれまでなかった訳ではないことに気がついた。例えば、私と相撲をとる。野球をする。サッカーをする(すべて家の中での遊びである)。そういうとき、彼は、必ず勝つまでやるし、自分が勝つようなルールを即座に作り上げてしまった上で、必ず勝つようにしてしまうのだ。常に勝者でなければならないし、だから、将棋でもそうした構図を撹乱するものが入り込むことを頑なに拒むのである。これは幼児的な「全能感」の現われと言っていいと思うし、フロイトにならってそれを「ナルシシズム」と呼ぶことにしよう。要するに、私は、わが子がナルシシズムの殻の中にいることを目の当たりにしたのである。

 ここで浮上するのは、私の子供時代もそんなナルシスティックだったのだろうか? という疑問である。それに符合する記憶があまり思いつかない。単に盲点になっているだけなのだろうか? 


 ・・・・・・・おおよそ、こんなことを書こうと思って書き始めたのだが、そして結論は「良く判らない」で曖昧に終わらせようと思っていたのだが、書き始めてからハッキリしたことがあった。最初に述べた「即席のルールに基づく即席のゲーム」は、大体自分が勝利者になって終わるゲームなのだから、ナルシシズムのゲーム化といってもいいのかも知れない。即席に自分が勝利するようなゲームで遊ぶという点で共通しているのならば、私だって、自分の子供と同様ナルシスティックだったことは考えるまでもないことだ。

  というわけで、結論はつまらないものに行き着いてしまった。つまり、やはり似ている点はもの凄くたくさんあるというつまらない結論に行き着いただけであった。
 








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