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ガーディアン紙の豊田章男評 [海外メディア記事]

 イギリス『ガーディアン』紙の特派員マカリー記者が、豊田章男の人物評を書いています。特にネガティブというわけでもないけれど、章男氏は社長としては不適任という判断がすけて見えますね。ひどく叩かれるような人格ではないとしても、「あれで社長とはね・・・」という大方の空気を反映しているのでしょう。

 さて、肝心のアメリカの公聴会ではひたすら低姿勢に終始して切り抜けるつもりなのでしょうが、うまくいくかどうか。




Justin McCurry in Tokyo
guardian.co.uk , Tuesday 23 February 2010 12.59 GMT guardian.co.uk

「  トヨタの豊田章男:プロフィール


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  豊田章男が昨年6月トヨタの社長になったとき、「この100年の中で最悪の危機に直面しそれをうまく乗り切ってみせる」と約束した。

  もちろん、彼は世界的な不況に言及していたわけで、不況のおかげでトヨタはその73年におよぶ歴史において初めて年間赤字を記録した。唯一の救いは、トヨタの痛みが自動車業界全体に感じられていたことで、とりわけアメリカのライバル社がもっとも痛感していた、ということだった。

 あれから9ヶ月たち、850万台以上の車のリコール問題に対するトヨタの対処策を説明するために、米議会の委員会の前に立つ準備を進めている今、この53歳になる最高経営責任者は、収益だけを心配するだけでよかったかつての日々を、なんとも言えぬ哀惜の念をもって、振り返っているに違いない。

質問に立つアメリカ側の委員の中には、水曜日ワシントンで行われるこの公聴会を、世界のメディアが注目する中でトヨタを叱責する好機として見ている者もいることは公然の秘密である。


  トヨタがどう弁明するか、その内容は豊田氏と彼の側近だけにしか知られていないが、彼の経歴を見れば、委員会室で劇的なことが起こるだろうと予測することはほとんどできない。

  トヨタの創業者豊田喜一郎の孫である以上、最年少でトヨタの社長になぜ就任できたのか、その理由は彼の血筋にある。

  リコール問題が彼のリーダーとしての能力に疑問を投げかけるずっと前から、日本のメディアは彼を好んで「プリンス」と呼んできた。だが、アクセルの不具合があるかもしれない何百万台もの車がリコールされた後で公衆の面前に出る勇気をふりしぼるのに2週間もかかったとき、あまり好意的でない評論家たちは新しいあだ名を発見した。「引っ込み思案の章男」と。


  しかし、多くの点で、豊田氏は他の日本のCEOと何ら変わらない。彼は1984年にジュニア・マネージャーとして入社し、忠実で、黙々と仕事をこなす会社の召使いのような働きをしてきた。そして昨年社長に抜擢されたわけだが、それは経営者としての腕前を評価されたからであって、他の国で最高経営責任者に期待されるようなメディアに精通した策略家という理由からではなかった。

  だが、彼を日本で最も保守的な企業の社長候補にさせた特質は、今となってはまったく不適当であるように見えてしまうのである。

  豊田氏は、最近の記者会見でのたどたどしい英語で槍玉にあげられたし ――彼の英語は上手だったが ――、充分深々とお辞儀しないことでも槍玉にあげられた。

  豊田氏が最初議会証言に立つことを拒否したことは常識知らずと解釈されたが、実は、米議会の反対尋問に対応するにはアメリカ・トヨタの上級幹部の方が適任であると豊田氏が主張したのは正しかったのである。

  とはいえ、最近豊田氏が公共の場で見せた言動のヘマには、海外のビジネス文化に彼が長年親しんできたという経歴が嘘ではないかと思わせるようなものが多い。

  彼はロンドンとニューヨークで暮らしたことがあり、中国では同社の作戦の陣頭指揮をとり、カリフォルニアでは、米ゼネラルモーターズとの失敗に終わったジョイント・ベンチャーある「ニュー・ユナイテッド・モーター・マニュファクチャリング」社の工場長を勤めた。

  同僚は彼のことを近づきやすく自分の家系をなるべく表に出したがらない人物と評する。予告もなく組み立てラインや直販店に姿を見せることがたびたびあったと言われている。最近までは車やレースに対する熱狂ぶりをブログで伝えていた。
 
  昨年彼は、ドイツのニュルブルクリンクでの24時間耐久レースで、自社のスーパーカーであるレクサスLF‐Aのドライビング・チームの一員となり、クラス4位という立派な成績を収めた。

  豊田氏は名門私立の慶応大学を法律の学士号を取得し卒業した後、アメリカのバブソン大学から経営管理の修士号を得た。彼の社会人としての生活は一族の会社の外側で始まったが、血筋のために社長への昇進は避けがたかった。

  彼は、日本最大の自動車メーカーの社長としては、1995年に退任した叔父の達郎氏以来の創業家一族出身の社長である。章男氏の父章一郎氏は、80年代の大半と90年代初めにかけてトヨタの社長を務めた。

  就任後、豊田氏は、顧客とのつながりを取り戻し、顧客が「ほれ込むような」車を生産したいと語った。しかし今となっては、自分が証言することで厄介で高くついた客離れに歯止めがかかればいいのだが、と彼は思っていることだろう」。








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