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ドレスデン追悼(1) [海外メディア記事]



 今から65年前の2月13日から15日にかけて、アメリカ軍とイギリス軍がドイツ東部の都市ドレスデンに対して無差別攻撃を行った。この「ドレスデン爆撃」の追悼式をめぐってネオ・ナチのグループがデモ行進を計画し、それを阻止しようとする市側とこぜり合いになったことは、日本のメディアでも伝えたところはあった。

  しかし、この模様を伝える前に、「ドレスデン爆撃」のことを紹介しようと思う。ご存知ない人もいるであろうし。さいわい、ドイツの『フォーカス』誌がスライド・ショー形式の紹介をしているので、それを訳すことにする。

  ちなみに、文中でドレスデン市の象徴と言われる聖母教会については、ウィキペディアに詳しい説明があるので、興味をもたれた方は参照されたし(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%81%96%E6%AF%8D%E6%95%99%E4%BC%9A_%28%E3%83%89%E3%83%AC%E3%82%B9%E3%83%87%E3%83%B3%29)。


http://www.focus.de/politik/deutschland/dresden-1945-der-untergang-der-elbmetropole_did_27249.html?slide=1

「   ドレスデン1945年- エルベ川河畔の中心都市の破滅

1. 1945年2月13日から15日にかけて、イギリスとアメリカの爆撃機は、4回におよぶ波状攻撃のなかで、何千という爆弾・焼夷弾をドレスデンに投下した。

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2.  バロック期の芸術と文化に満ちた都市の中心部は、およそ15キロ四方にわたってほぼ完全に破壊された。

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3.  25000戸の家と9万の建物のほかに、聖母教会(Frauenkirche)、オペラ座、宮殿、ゾフィー教会、ツヴィンガー宮殿などが瓦礫や灰に化した。

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4.  犠牲者の数については、長い間、評価が分かれていた。

5.   ナチスの広報が死者25万人という数を流し始めたのは、「イギリス軍とアメリカ軍の空のギャング」の攻撃後数日してからのことだった。

6.  ドレスデン市は死者の数を、長年、35000人と見積もってきた。ネオ・ナチが犠牲者数をたえず政治的に利用することに対処するために、ドレスデン市は2004年に歴史家による委員会を発足させた。

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7. 4年間の調査のあとの2008年11月、専門家たちは死者数を最大限見積もっても25000人を上回らないとした。ドレスデン空爆で死亡したと公的に証明できるのは18000人である。

8.  爆撃から2日後、聖母教会の支柱が石製の円天井の重圧に負けて崩れた。ドレスデンは、1945年2月15日にその象徴となる建物を失った。

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9.   マルチン・ルターも、もう教会の台座に立ってはいなかった。背後には聖母教会の塔の姿が見える。

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10.   死んだ都市のシンボルとしての倒れたマルチン・ルター像。
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