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途方もないジャコメッティ作品の値段 [海外メディア記事]

  すでに各種マスコミで報道されたように、ジャコメッティの「歩く男」が途方もない値で落札されたわけですが、周辺の事実関係を少し掘り下げたフランス『ル・モンド』紙の記事です。
 
   落札者はロシアか中東だろうという噂は、今日の経済情勢を暗示しています。かつては、ゴッホの「ひまわり」を日本の企業家が史上最高値で競り落としたこともありましたが、それも今は昔。間違っても日本人の名前が出ることはないでしょう。

 (訳していて気になったことが一つ。「歩く男」が訳として定着しているのでそのままにしましたが、性別は問題にならないので、正しくは「歩く人(間)」でしょう。)

  ジャコメッティについては、去年バイエラー財団が開催したジャコメッティ展が非常に評判がよく、私もこの場で紹介していました(ちなみに、記事を書いているのは同じ人です)。なんとなくこの記事には愛着があります。特に、貧乏くさそうなジャコメッティの写真が好きです。

それと、『フィガロ』誌がおこなった読者アンケートにもジャコメッティが出てきます。これも、雨に打たれてとぼとぼ歩くジャコメッティの写真があって、好きな一枚です。一応、関連記事のURLを下に示しておきます。お暇がある方はお読み下さい。

 http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/2009-07-04

http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/2009-07-09

 

 

Harry Bellet

Article paru dans l'édition du 09.02.10

http://www.lemonde.fr/culture/article/2010/02/08/le-prix-exorbitant-d-un-giacometti_1302692_3246.html

 

 

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   途方もないジャコメッティ作品の値段
   
  

   2月3日ロンドンのサザビーズでアルベルト・ジャコメッティ(1901-1966)の彫刻作品「歩く男1」が競売にかけられたが、それは複数の理由で例外的なものだった。まず何より、作品が例外的だった。ジャコメッティの生前から愛されていた、もっとも重要な作品の一つで、この手のものとしては個人の所蔵する最後の作品だった。それはまた、マーグ財団のジャン-ルイ・プラ前理事長によれば「荒廃した時代にありながら、それでもすべてに抗って前に進む人間」を描いているという意味で、20世紀の象徴でもある。次いで、周囲の状況も例外的だった。芸術のマーケットは、経済危機以降、沈滞している。オークション専門の情報プロバイダー「アートプライス(Artprice)」社が計算した印象派とモダン・アートの価格指数は、2008年の1月から39%も下落したのだという。

  さて、経済危機はすべての人にとって同じであるわけではなかった。良くて800万ポンド位だろうと評価されていたトロフィーをめぐる競売に参加したのは10名にのぼり、手数料込みで、6500万ポンド(740万ユーロ)、つまり1億430万ドルで落札されたのだが、これに近い額としては、2004年にニューヨークのサザビーズで落札されたピカソの1905年の絵画「パイプを持つ少年」の1億410万ドルがある。

 マスコミは、クリムトの肖像画につけられた1億3500万ドルを筆頭に、より高額になる落札額を報じてきたが、オークションは私的な性格のものだから、支払われた金額がその作品の価値に見合ったものである保証はない。しかし確かなことが一つある。今回の落札は、ジャコメッティにとっては記録だった、ということである(前回、2008年のときの落札額は2740万ドルだった)。それにこの作品は、同種の10作品(大部分は美術館に保管されている)との比較を経て出品に漕ぎつけたのだが、彫刻作品の落札額としても記録である。それにヨーロッパで落札された最も高額な作品となったが、このことは世界の市場でロンドンの地位が高まっていることを証拠立てるものである。

 なぜニューヨークではなくロンドンなのだろうか。それは、ロシアや中東のコレクターのおかげである。彼らは、ハドソン川周辺よりもテムズ川周辺に集まっているのである。実際、サザビーズは落札者の身元を明かすことを拒んでいるが、専門家は東側の人間が落札したと見ている。「ニューヨーク・タイムズ」によると、せり上げの最終盤で競っていたのはグルジア人のボリス・イワニシヴィリとロシア人のロマン・アブラモビッチだったという。アブラモビッチは、すでにスイスの画廊ジャン・クルーギアと競って、ジャコメッティのブロンズ像を1400万ドルで手に入れていたのだから。だが、アブラモビッチ氏の代理人は噂を否定している。

  では、誰が? いずれにせよ私的なコレクターである。アブダビに建設中の美術館でもない限り、ポンピドー・センターの購入予算16年分強に匹敵するような金額のオークションに付き合えるような美術館はありえない!

 
   慈善行為


  オークションの際、この作品をめぐる争いは熾烈をきわめた。チェアマンのヘンリー・ウィンダムはサザビーズのために勇気を奮って、900万ポンドという値をつけた。最初の付け値は1200万ポンドだったが、10人の購入希望者が乱闘を繰り広げ5000万ポンドにつり上がった。その先は、残った二人が、途切れ途切れの電話によって殴り合いを演じたのであった。

 売り主は知られている。それはコメルツ銀行で、2009年に吸収したドレスナー銀行のコレクションの中にあったこの作品を回収していたのだ。コメルツ銀行の責任者によると、ジャコメッティの落札金は慈善事業の財団に回るだろうと断言した。

  これを聞くと、経済危機の真っ只中に、芸術作品にこれほどの高額がつけられることに腹を立てる人々の腹の虫も少しは収まるかもしれない。歴史の皮肉というべきことだが、この彫刻作品は、別の銀行、つまりニューヨークのチェース・マンハッタン銀行のために構想されたのであり、ウォール・ストリートの広場を飾るはずだったのである。

  1956年、建築家のゴードン・バンシャフトは、人間の身長ほどの彫刻作品の一群を構想してみてくれないか、とジャコメッティに依頼したが、ジャコメッティはそれほど大がかりな作品に取りかかったことがなかった。彼は、十体の作品を作りかけたが、その多くを壊し、満足できなかったので、依頼そのものを放棄してしまった。それはフランス人のジャン・ドゥビュッフェと日系人のイサム・ノグチによって引き継がれることになった。ジャコメッティは、高さ約1.8メートルの石膏をいくつか手もとに置いていたのだが、そのうちの一つが「歩く男1」なのである。そこに、ジャコメッティの生前、彼の画商だったエメ・マーグの配慮のもとブロンズが流し込まれ、こうして6体の「歩く男」と「画家の」と称される4体の試作品が誕生した。試作品の方は、マーグによって、アメリカ人のコレクターにして画商のシドニー・ジャニスに、1961年売却された。

  別の「歩く男1」は、保管されている美術館の一つに行けば見られるかもしれない。たとえば、マーグ財団がその一つである。オークションの後でロンドンからマスコミ宛てに書いた興奮気味の手記の中で、エメ・マーグの孫娘のヨーヨー(Yoyo)は、彼女の祖父が創った財団は2体の同じ「歩く男」を展示しているが、「こちらの方がより良いのです、なぜならこちらは、ブロンズ上に緑青のかわりに、アルベルト・ジャコメッティの筆致が残っているからです」と注意を喚起している。そして彼女は、「サン・ポールにあるマーグ財団の「歩く男」を私たちは、これまでと同じように素朴なまなざしで見るだろうか?」と自問して、これまでと変わることはない、なぜなら「まなざしは自然に動くものだから」と自分に言い聞かせるのである。とりわけ、ずっと安く済むのが良い。マーグ財団への入場券は11ユーロで、オークション落札額と比べるならば680万分の1のお金で済むからである。 」







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