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子供の頃の自分に会いにいく [雑感]

もう半年くらい前のことだが、ぽっかり空白のような暇ができた日に、東京の北部にあるとある街に出かけた。

 そこは、私が幼稚園の年長の時から小学校4年までの時間をすごした場所である。ある事情があって、わが家は東京から離れなければならなかった。その後、私は大学生となって東京に戻ってきたが、久しぶりにその街を訪ねてみようなどとは思わなかった。もう、ツテもなかったし感傷に浸りたいとも思わなかったし。

 だから、実に○十年ぶりの訪問であった(まあ、つまらない用事で駅前に来たことは何度かありましたけどね)。駅をでて通っていた幼稚園に行ってみる。この幼稚園は、東北新幹線の車窓からチラッと見ることができたので、健在であるのは知っていた。



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 昔から立派な教会だったが、化粧直しがほどこされて綺麗すぎる外観になっている。昔はもっとくすんだ色合いだった。園内に入ろうかとも思ったが不審者だと疑われはしないかと思って止める。ちょうどそこに園児たちがやってきた。おお、昔と変わらず大きなえりの制服。かつては自分もこんなんだったとは、どう考えても信じがたい。


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 幼稚園から少し歩いたところに公園があるのも変わってなかったが・・・


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 この公園は、私が二年生のときに出来たと記憶している。この騎士像は噴水なのだが、噴水として機能しているようには見えなかった。出来た当時、校内の写生大会があって私が描いた噴水の絵が金賞に輝いたという少し晴れがましい記憶が残っている。しかしそれがこうして風化しかかっているのを見るのは辛いものがある。


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 同じく、当時としてはとても洒落た造りのシャトー風(?)すべり台。私の記憶の中のすべり台は純白だった。何か自分が客観化されてそこにあるかのようにも思われて目をそらしたくなるが、むしろ逆に、長い風雪に立派に耐えてきたことに拍手を送るべきなのかもしれない、とも思う。



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 私の家(正確に言うと、父親の会社の社宅)があった通り。隣の家や、よくボールを壁に投げて注意された正面の家の苗字は変わっていなかった。そうか、みんなこの狭苦しい通りに面した家を離れなかったんだ。転勤や移動が多かった家に育った私にとっては、その方が奇異に映る。



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 その他に、学校やよく遊んだ公園に行ってみたが、学校は校名が変わっていてがっかりしたし、一番良く遊んだ公園は見つけられなかった。おそらく取り潰されたのだろう。好きだった女の子の家も探したが(同じところを何度もぐるぐる歩き回ったが)、見つけられなかった。羽振りがよさそうな設計事務所だったから、他所に引っ越したのかもしれない。あちこちで遊んだ記憶の断片が浮かぶ中、やはりあの頃自分は幸福だったのだろう、とつい思ってしまう。なぜなら、自分以外の余計なことは気にする必要がなかったから。遊ぶことにだけ専念できたから。それほど大切に守られていたのだろう。そうした環境で子供を包んでやることが親としての務めなのだろう。いま、自分の子供を通してかつての自分のことを思い出すことがしばしばあるが、かつて親がしてくれたことを自分がしているかどうかと自問することがしばしばある。家が豊かでなかったことなどは些事にすぎない。





 さて、そうした幸福だった私の子供時代は小学校4年で終わった。心臓の疾患で母親が急死したのだ。驚いたことに、母親の最期に駆けつけた医師の病院が、当時のまま残っていた。看板の具合から察するに廃院したわけでもないように見える。いまでもあの医師の子供が開業しているのだろうか? しかし、私は、撮影のために少し立ち止まったが、すぐにその場を立ち去り駅に向かった。
 


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