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フォートフッド事件の容疑者についての錯綜した手がかり (2) [海外メディア記事]

  フォートフッド事件の容疑者についての記事の続編です。焦点が、事件そのものからハサン少佐の内面に少しずつシフトしていきます。戦場へ行くのは精神的に堪えられそうにないという個人的な弱さからハサン少佐が戦場送りを逃れようとしたことは確かでしょうが、そこにイスラムの大義がオーバーラップすることで、この事件に宗教的・政治的要素が加わり複雑になっていくことが判るのではないでしょうか。

  日本でも数年前に無差別殺傷事件が立て続けに起きましたが、そのほとんどすべてが実につまらない理由からだったことと比べ合わせてみると、このハサン少佐の動機は、そこに利己的なものが含まれていたとしても、非常に人間的なもののように見えます(まあ、賞賛するわけではないですけどね)。なお、下の写真は、ガーディアン紙から拾ってきたもので(http://www.guardian.co.uk/world/gallery/2009/nov/12/fort-hood-suspect-nidal-hasan?picture=355517492)、そのキャプションには次のように記されています。「カーサ・デル・ノルテの軍複合施設にあるニダル・マリク・ハサン少佐のアパートの正面居間からの景色」。


 Tangle of Clues About Suspect At Fort Hood
 By SCOTT SHANE AND JAMES DAO; REPORTING WAS CONTRIBUTED BY BENEDICT CAREY AND ERICA GOODE IN NEW YORK, DAVID JOHNSTON AND JANIE LORBER IN WASHINGTON, AND SERGE F. KOVALESKI AND JAMES C. MCKINLEY JR. AT FORT HOOD. Published: November 15, 2009
  
http://query.nytimes.com/gst/fullpage.html?res=9903EED8153BF936A25752C1A96F9C8B63&sec=&spon=&pagewanted=2



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 「フォートフッド事件の容疑者についての錯綜した手がかり (2)


「ありとあらゆる形態や規模の攻撃があるので、それが調査当局の悩みの種になっています」。ホフマンは、リトル・ロックの軍求人センター襲撃事件、ブロンクスのシナゴーク攻撃やイリノイ州やテキサス州での爆破計画未遂事件を引き合いに出して、そう語った。


 
 調査官らは、どんなものであれハサン少佐が外人と接触したことを記す諜報フィイルを洗い出しているが、当局がこれまで確認した意味ある唯一のコネクションは、今はイエメンにいる過激派の聖職者、アンワル・アル-アゥラキにハサンが送った1ダースほどのメールのメッセージだけである。


 担当者はそのメッセージは、イスラム教の解釈についての問いかけを含むものと記したが、そうした問いかけからは、アゥラキがウェブ上にアップしている暴力的なジハードを支持する膨大な説教とテキストにハサンがなじんでいたことが窺えると思われている。しかし、ハサンをテロリストと思っていない分析者は、そのメッセージが送られた直後に調べていたのだが、そのメッセージは、ハサン少佐が当時行っていた公認の研究と矛盾していなかったし、軍の上官の警戒心を起こさせるようなものではなかった、と断言した。

 
 
  アゥラキ氏は、ニューメキシコ州で生まれ、9.11のハイジャック犯の二人が通った二つのモスクで導師として活動していたが、英語とアラビア語で説得力あるスピーチができる人物として有名であるが、彼の影響力は、カナダ政府の庁舎爆破計画やニュージャージー州のフォート・ディクスの射殺計画を含む、最近国内で起きたいくつかのテロ事件で実証されている。


 アゥラキ氏にメールでの問い合わせを送った2008年10月までには、ハサン少佐は、暴力に宗教的価値を認めることに深く傾倒していたようだ。ハサンのものと調査官たちが信じているウェブへの投稿記事で、ハサン少佐は、自爆テロの実行者は、同僚を守るために手榴弾に身を投げる兵士と同じくらい崇高な目的をもっているだろうと主張した。


 「真に問題なのはどんな意図をもっているかなのだ」と、その投稿記事の書き手は結論づけた。



  人づき合いが下手


  ハサン少佐は、ワシントン市内とその近郊にある軍事医学の施設で10年間をすごした。医学部に通い、米軍衛生保健大学(Uniformed Services University of the Health Sciences)の研究員となり、ウォルター・リード陸軍メディカル・センターで精神科医としての研修を積んだ。

 
 それは緑に覆われたキャンパスでの学究生活で、彼のほこりっぽい子供時代――両親は、ヴァーモント州のロアノークの中心街で、乱雑さで有名なバーを経営していた――や、下士官のきつい日課ともまったく違ったものだった。ハサンは懸命に勉強したが、それでもしばしば勉学上のカウンセリングやそれ以外の援助をうけていた。


 彼は明らかに人づき合いが下手だったが、それが仕事にマイナスとなることもしばしばあった。一人ならずの患者が彼について「いい人だし、親切だけど、私の気持ちを判ってくれなかった」と言っていたと、ウォルター・リード陸軍メディカル・センターの元同僚が思い出してくれた。同僚たちが勤務を終えて飲みにいくとき、ハサン少佐は家に帰えるか、シルヴァー・スプリングのモスクに行った。そこで彼は定期的に礼拝に参加していたのである。


 「誰とは仲間になれるかなんてすぐ判るでしょう、でも彼はずっと大人しくてそういう仲間に加わらなかったの」。そう語るのは、ウォルター・リードで請負業者として働いていたソーシャル・ウォーカーのナンシー・メイヤー。


 彼が人の輪に加わるときは、しばしば理屈っぽく見えた。インストラクターや同僚が、彼自身の見解とは食い違うアドバイスを与えようとしたとき、彼は「消極的に身をこわばらせた」と、軍がまだこの事件を調査中だから匿名を希望する同僚は語った。ハサン少佐は、精神科医の訓練のありふれた一環として研修医に課される個人的なサイコセラピーをあえて辞退していた。


 「ニダルはそういう奴だったんです」とその同僚は言った。「彼にはやりたいことが色々あったのだろうけど、結局はいつもそういうとまどいがあり、回避してしまったのです」。

 
 ハサンは陸軍の「首尾一貫性」が好きだと人に語った。しかし戦場に送られることを非常に気にかけていたので、ウォルター・リードで早期に放免される方法をあれこれ調べ始めていた、と親戚たちは語った。上手く行きそうにもないと悟ったとき、彼はじたばたするのを止めた。

 
 幻滅した気持ちの一部は、イラクとアフガニスタンでの戦争に対して心底反対しているという意思を人に向かって表明することに結びついた。そのスタンスは病院の同僚でも共有するものもいたが、ハサンにとっては高まりつつある宗教的情熱によって形成されたものだった。彼が2007年にウォルター・リードで行ったパワー・ポイントによる発表では、宗教と戦争反対の感情が渾然一体になっていたように見える。その発表の中で、ハサン少佐は、コーランはイスラム教徒が他のイスラム教徒を殺すことを禁じており、イスラム教徒でアメリカ人の兵士たちはありえない立場に立たされていると主張した。そのような兵士は、良心的徴兵忌避者の資格を得られるようにされるべきだ、と彼は結論づけた」。   
  

 






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