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子供への愛は条件つきであるべきか?   [海外メディア記事]

 子どもに対する親の愛情は、条件と引き換えに与えられるべきかどうかというテーマで書かれた『ニューヨーク・タイムズ』紙の記事です。筆者のAlfie Kohnという人は、新聞社の記者ではなく、独立の著述家のようです。


 無条件で子供を愛そうといったタイプの考え方(言い方)は、今の時代に合わない? 少なくとも、なにか駆け引きの一環として愛情をもち出せという教育論がアメリカでは盛んなようです。純粋な愛のようなものはダサイしかったるい、もっと効率性を重んじた考え方をするべしという雰囲気でもあるんでしょうか?  しかし、愛情に条件を付ける代償は高くつくという研究結果が出たようで、以下の記事はその報告も兼ねています。 
 
 まあ、私も、愛情を道具の一環のように考えないようにとは心がけてはいますが、実際子供が言うことを聞かなかったり、ぐずぐずしていたりするとむかっときますからね…。ただ成績のことでつべこべ言うことは決してしないようにしようとは思っていますが。

 ちなみに、補足が必要な言葉の簡単な解説を述べておきます。

 ・スーパーナニー(Supernanny)…ABCが放送しているTV番組。ジョー・フロストが子育てに奮闘する家庭にお邪魔して、手のかかる子供を再教育し直すという内容。
 ・正の強化(positive reinforcement)…陽性強化とも言い、好ましい行動を褒め、同じ行動を繰り返させる教育訓練法。

 ・タイムアウト(time out)… 学校や家庭において、悪いことをした子どもに反省をさせるための方法として、自分の部屋に閉じこもらせて(あるいは、いすに座らせて)数分間黙らせておくこと。

 



By ALFIE KOHN  Published: September 14, 2009

http://www.nytimes.com/2009/09/15/health/15mind.html?ref=health

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 親の「私はあなたを愛している」が「私の言う通りにしなさい」を意味するとき

 
 50年以上も前に、心理学者のカール・ロジャースは、子供をただ単に愛するだけでは十分ではないと提言した。子供を無条件に愛さなければならない、と彼は言ったのだ――子供のあるがままの姿のために子供を愛するべきであって、あれをしたからこれをしたからという理由で子供を愛するべきではないのだと。

 私は、一人の父親であるから、これが難題であることは承知しているが、私たちに与えられるアドバイスの多くが全く正反対なものになっている今となっては、この難題はますます難しいものになっているのである。実際、最近のアドバイスは条件つきのしつけという形で与えられるのだが、それには二種類の風味があって、子供が良い子であるときは愛情を注ぎ、そうでないときは愛情を控えろ、というのである。

 
 トーク番組の司会者であるフィル・マックグロウは、『家族を第一に(“Family First” (Free Press社 2004年刊))』という本の中で、子供が必要としていたり楽しめるものは何かの結果として与えられるべきであり、子供が「親の望みに応じてふるまうように」差し出したり差し控えられたりできる報酬のようにすべきであると語っている。しかも、それに続けて彼は「子供にとってもっとも強力な通貨の一つは親の承認と賛同なのだ」と述べている。


 同様に、『スーパーナニー(Supernanny)』のジョー・フロストは、同名の書物(Hyperion社 2005年)の中で「最高のご褒美は、注意と、賞賛と愛情です」と述べ、それらは「子供の行儀が悪いとき、子供がごめんなさいと言うまで」控えるべきであり、 ごめんなさいと子供が言ったときに愛情を注ぎ返すべきであるというのである。


 条件つきのしつけは昔風の権威主義的な人ならではの考え方ではないのである。子供を平手打ちすることなど夢にも思わない人であっても、そのかわりに無理やり子供を隔離する(タイム・アウトと好んで呼ばれる戦術だが)ことで幼い子供に規律を教えようとする人はいる。逆に、「正の強化(positive reinforcement)」と呼ばれるものは、私たちが「良いこと」と定めたことをした時に限って、子供は愛されるし愛されるに値する、ということを教えるものである。

 
 このことが提起する面白い可能性があって、それは、子供を称賛することに問題があるとすれば、それは、称賛が間違った仕方でなされる――保守層が主張するように、あまりに簡単に称賛をばらまきすぎるということではなく、むしろ、称賛は、お仕置に似ていて、子供をコントロールするためのもう一つの手段にすぎない、ということなのである。条件つきのしつけ(それがどんなタイプであれ)が子供に真っ先に発するメッセージは、子供は親の愛情を勝ち取らなければならない、ということである。こうしたメッセージを毎日毎日もらっていると、子供たちは、欲しい時に手に入らない無条件の承認を得るためには、結局セラピストが必要になるだろう、とロジャースは警告したのである。

 しかし、ロジャースは正しかったのだろうか? 今主流となったしつけの方法を放り投げる前に、少しばかり証拠を手に入れておくのが良いだろう。いま私たちにはその証拠があるのである。


 2004年、アヴィ・アソールとガイ・ロースというイスラエルの二人の研究者が、モチベーションの心理学でアメリカを代表する専門家のエドワード・L・ディーシーと共同して100人以上の大学生にアンケートを取ったのだが、その内容は、親からうけとった愛情は、自分が学校の成績が良かったかどうかに依存していたか、スポーツの練習を熱心にしたかどうかに依存していたか、人に対して思いやりをもったかどうかや怒りや恐怖などの感情を抑えたかどうかに依存していたか、というものだった。

 その結果、条件つきの賛同を親から得ていた子供たちは、親が望むようにふるまう傾向がやや高いことが判明した。しかし、親の期待に従うことの代償はあまりに高かった。第一に、こうした子供は親を不快に思い嫌悪する傾向があった。第二に、それらの子供たちは、自分の行動の仕方が、しばしば、「自分で選んだという実感」によるよりも、「内心から湧き上がる強烈なプレッシャー」によるものであると言うことが多かった。おまけに、何かで成功した後の彼らの幸福感は、だいたい短命で、罪悪感や恥辱を感じることもしばしばであったという。


 この調査に付随する研究で、アソール博士と共同研究者は、子供がもう大人になった母親たちに対して聞き取り調査を行った。この世代の人たちに関しても、条件つきしつけの被害が大きいものであることが判明した。子供の頃、親の期待に応えたときだけ愛されていると感じた母親は、大人になった今、別の育てられ方をした母親ほど、自分には価値があるとは思っていないという。しかし、こうした負の影響があるにもかかわらず、こうした母親は、自分の子供に対しては条件つきの愛情を利用する傾向が高かったのである。


 今年の7月、同じ研究者に、ロチェスター大学のディーシー博士の同僚二人を加えたチームが、2004年の研究書とその拡大版を出版した。今回の調査対象は中学三年生に変え、今回は、子供が親の望むことをした時により多くの称賛を与えられることは、そうしなかったときに与えられる称賛が減ることとは慎重に区別された。

 こうした研究が発見したことは、ポジティヴであれネガティヴであれ条件付きしつけはどちらも有害であるのだが、有害さのあり方がわずかに違うということであった。ポジティヴな条件付きしつけは、子供に学校の勉強をもっとがんばるようにさせる点ではしばしば上手くいったが、子供は「内心いやいやながらやらされている」という不健康な感情を抱くという代償を払っていた。ネガティヴな条件付きしつけは、短期的には上手くいかなかった。それは単に、十代の子供の親に対するネガティヴな感情を高めるだけだった。

 
 これらや他にもある研究が私たちに(もし私たちがこのニュースを聞くことができるのであれば)語っていることは、何かをきちんとしたために子供を褒めることは、子供が何か悪いことをした時に約束を撤回したり罰したりすることの意味ある代替物にはならない、ということである。どちらも条件つきしつけの例であり、どちらも反生産的である。


 児童心理学者のブルーノ・ベッテルハイムは、タイム・アウトとして知られているネガティヴな条件付きしつけが「深い不安感」を生み出すことがあることは喜んで認めているが、それにもかかわらず、まさにその理由でタイム・アウトを支持するのである。「言葉で言っても十分でない場合、親が子どもに対する愛情を撤回してしまうかもしれないという怖れを子供に持たせることは、親の要求に従う方がいいということを子どもに印象づける唯一の健全な方法なのです」と彼は言う。

 しかしデータが示すところによると、愛情の撤回は子供を従順にさせる効果が特に高いわけではないし、ましてや道徳心の発達を促す効果はさらにないのである。私たちが――たとえば、「正の強化(positive reinforcement)」の方法を使うことによって――子供を従わせることに成功したとしても、心理学的に見て長期的に害をもたらしうるとしたら、子供を服従させることに価値があると言えるのだろうか? 親の愛情は、子供をコントロールするための道具として使用してもいいのだろうか?



 別の批判の根底には、より深い問題が横たわっている。社会学習理論として知られる心理学の分野の創始者であるアルバート・バンデューラは、無条件の愛情を注ぐと「子供は方向性を見失いまったく愛するに値しないものになってしまうだろう」と述べた――しかしこの主張は経験的な研究に支持されるようなものでは全くない。あるがままの姿で受け入れられるならば、子供たちは方向性や魅力を失くしてしまうだろうという考え方は、そうした警告を発する人々が人間の本性についていかに暗い考え方を抱いているかということを教えているのである。


 実は、ディーシ-博士等が集めた印象深いデータは、教師や親が子供を無条件に承認することは、子どもに対する「自律支援(autonomy support)」を伴うべきであることを語っているのである。自律支援とは、親がどうして要求するのかをきちんと説明すること、意思決定をすることに子供が参加する機会を最大限増やすこと、子供を操ることなく励まして色々なことをさせること、子供の視点からみると物事がどのように見えるかを積極的に想像すること、である。 


 いまあげた最後のものは、無条件のしつけそのものにとっても重要である。私たちのほとんどは、もちろん自分たちは何の条件もつけずに子供たちを愛している、と抗議するだろう。しかし大事なのは、子供たちの視点から見たとき物事がどのように見えるか、なのである――子供が部屋をめちゃくちゃにしたり親の期待に応えられなかったときでも、やはり自分は愛されていると子供が感じるかどうか、それが大事なのである。


 ロジャースはそんなふうに言わなかったけれど、もし腕のいいセラピストに対する需要が減ることが、自分は無条件に受け入れられていると感じながら大人に成長する人が増えることを意味するのであれば、ロジャースはきっと、腕のいいセラピストに対する需要が減ることを喜んだだろうと私は思うのである。



」(おわり)











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