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タダで土地をさし上げます―標津町の試み [海外メディア記事]

  以前北海道の清里町の現状を報告した記事を取り上げましたが(『消滅の危機に立つ日本の地方』http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/2009-07-22)、少子高齢化による人口減少の危機に、ささやかな形ではあれ何とか対処しようとしている自治体の試みを紹介した記事が目に付いたのでアップします。

  これはスイスの”Tages-Anzeiger(ターゲス・アンツァイガー)”という新聞の記事。どうしてスイスの記者が標津町に興味を抱いたのか?  今進行中の総選挙についても一応記事はあるのですが、内容的に深みのない記事が多く(首相の失言、二世候補の当落等々、日本で話題になったことの二番煎じが目立ちます)、結局日本に関心を抱いている海外メディアはそんなにないことが判るのですが、その一方でこういう実に興味深い記事を書く人もいるのが面白い。清里を取り上げた「ガーディアン」紙の記者もこの記事の記者も、日本で本当に興味をひくのは東京ではなく地方の方だ、という直感に導かれたからではないでしょうか? そしてその直感には正しいものがあるような気がします。 
  

Aktualisiert am 24.08.2009

http://www.tagesanzeiger.ch/ausland/asien-und-ozeanien/Japan-hat-Land-zu-verschenken--kaum-einer-will-es/story/15341279

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「 日本には無償でプレゼントされる土地がある――ほとんど誰も望んでいないが

 日本の最東端部の自治体が移住者を無償の土地供与でひきつける。そうでもしないとインフラが維持できないのだ。

引越し用の箱がまだすべて開けられたわけでもない。タニダ・オサム、エイコ夫妻は北海道のはずれの新居に越してきたばかりである。それなのにもう地元紙は彼らのことを記事にしたし、台所には町から贈られた歓迎の品が置かれている。

 冷たい風が塵のような細かい雨をオサム氏の顔に投げつける中、この73歳になる年金暮らしの教師は、ジュース、野菜、トマト一箱等、初めての買出しで買った品々をトヨタ・プリウスからおろした。とても寒い、7月だというのに。

 標津町は、日本の最東端部のオホーツク海に面したところにある。ここから、日本がロシアに返還要求している千島四島のひとつ国後島まではわずか24キロである。天気が良ければはっきり見えるのだが、この木曜日はどこが水平線なのかも判らず、厚い霧から波が押し寄せるばかりである。日本は、19世紀の終わり、農業、漁業、鉱業のための島として北海道に開拓事業を始めた。北海道はまたロシアに対する防壁という意味合いもあった。1869年以降北海道庁は、日本の北の未開地で働こうとする移住者を募った。



 魚でささやかな豊かさを手に入れる

 
 当時北海道にやってきたのは落ちぶれた人々だった。本州の北部の貧しい地方で飢餓に苦しんでいた農民の末裔たちだった。今日でも、校舎の裏に身をかがめるように建っている小さなレンガ小屋の長屋がある。それはまさに小農という概念を暗示するものである。

 とはいえ酪農製品、鮭、マス、貝などで彼らはささやかな豊かさを手に入れたら。それらは今日に至るまで最も重要な産物である。加えて、夏には観光客が来る。標津町の経済は良好であるが、住民は減少し高齢化している――日本では、標津町ほど僻地でない場所でもそうであるように。かつては8000人を超えていた人口は、現在5843人に減ってしまった。本来将来を担う世代である20代、30代の層が、とりわけ少ないのである。

 町の有力者たちは6000人を下限と見ている。「もっと人が減ると、私たちの町のインフラは維持できないのです」。そう語るのは、標津町役場の管轄課長カワグチ・マコト氏。標津町には、体育館、文化ホール、すばらしい公営図書館やスポーツ施設もあり、その中にはスピードスケートのリンクまでもある。

 それゆえ標津町は、19世紀の北海道が全体としてそうだったように、移住者を惹きつけてやまないものがある。おまけにこの町は無償で住宅用地を提供しているのである。日本の他の地域とは違って、土地は北海道の東部にあって安価である。土地なら充分ある。少し郊外にいった木立の中、サーモン科学館から通りを南に向かい、総合病院から遠くないところに、2006年の秋以降次のように書いた看板が立っている。「もしあなたがここに家を建てるならば、土地は無償で取得できます」。

 
 標津町は、約400平方メートルの分譲地を28箇所も提供している。用地を開発し、アクセス道路も整備した。分譲地の評価額を町は25,000ユーロから30,000ユーロと見積もっている(現在1ユーロ = 約134円)。一つだけ条件がある。それは、人々が実際にここに住まなければならないということであり、夏用の別荘は望まれていない。「それから少なくともカップルでなければいけません。独身者に土地はあげられません」とカワグチ氏は言う。外国人であっても原則的には歓迎であるが、これまでのところ誰も応募してきていない。


 標津町は応募が殺到するものと期待していた。しかしそうしたことは起こらなかった。約3年間で、新たな所有者を見つけた分譲地は半分にとどまった。6軒の家がすでに建っており、タキウチ家の分譲地C-9では掘削作業が始まったばかりである。別の分譲地では区画番号の記された黄色いプレートが立っており、すでに決まった分譲地では、将来住むことになる人の名前のプレートが立っていた。



 元の家はそのままに


 タニダ・オサムは真っ先に応募した一人である。彼は長い間、北海道に移住することを夢見てきたという。毎年休暇になるとタニダ夫妻は北海道にやって来た。あるとき彼は標津町の広報紙で土地譲渡のことを読んだ。彼は分譲地C-4を手に入れたが、それは森の縁にある分譲地だった。「朝食のときに木々の緑を眺めていられるんです」とオサム氏は目を輝かせた。「それにこんなに広い大地をね」。彼は笑ってこう言った。「大阪では今日30度以上ですよ」。彼の妻は、退職した日本語教師であるが、夫ほどの感激はないようだ。しかし彼女は、標津町がどれ程「暖かくそして誠心誠意」自分たちを受け入れてくれたかを熱く語ってくれた。年金生活に入ってから彼女がしている原稿審査の仕事は、どこにいてもすることができる。彼ら夫妻が標津のシベリアのような寒さの中で越冬して雪かきをするかどうかは、もちろん彼ら自身まだ判らない。「大阪の家はそのままにしているんです」とオサム氏は言う。しかも大阪では5人の孫が待っている。孫に会いに行きたいと思うときもあるだろう。「私たちのメインの家は今はここなのです」。確かに飛行機代は高いが、オサム氏は車をフェリーに積み込み、車で行き、エイコさんだけ飛行機に乗って行くことに決めた。

 
 町の職員たちはタニダ家の二つの持ち家のことを知っている。「五分五分の割合で住んでくれれば充分ですよ」とカワグチ氏は言う。まず地元の建設業、それから小売り業が利益をあげ、本州からの移住者のおかげで来訪者が増えるからである。カワグチ氏は、これまでに決まった本州からの移住者と、北海道出身の人々と標津町の一家族という混合した結果になったことに満足している。すでに契約済みの14棟の家がすべて建ったら、標津町では住民が36人増えることになる(そのうち子供は8人)。


 「当然ながら、すべての分譲地に子供のいる家族が入るならば理想的でしょうけど」とカワグチ氏は言う。しかしそのようなことは、日本の地方での人口の推移を考えるならば、幻影というものだろう。「家がやっと建てば、定住してくれるでしょうし、この町も少しだけ大きくなります」。もちろん、標津町の例は大いなる教訓となっている。北海道の南西の、より本州に近い八雲町も無償の土地提供で移住者の呼びこみを始めたからである」。











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