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脳とアイデンティティー(1) [海外メディア記事]

 原爆投下の話題から一転して脳神経科学の話題に移ります。自分の興味をひくものがあれば紹介する、それがこのブログの主義です。
 
 以前、ニューヨーク・タイムズ紙の『脳の老化とブリッジ』という記事を取り上げましたが(https://blog.so-net.ne.jp/MyPage/blog/article/edit/input?id=12975867)、あれは人間の「脳」をテーマにしたシリーズ物の一環だったということが、この記事を読んで今更ながらに知るに至りました。ここで紹介するのも、同じケーリー記者による脳シリーズものです。科学の最前線を伝えるという側面もありますが、人情話でもあります。ニューヨーク・タイムズ紙の記事では、こういう洗練された人情話が好きですね、私は。

 この記事の主人公の症状は、「カプグラ症候群」として知られているものですが、その症状そのものというよりは、それが私たちの「自己」、あるいは「アイデンティティー」の謎を解く鍵になるのではないかという期待感が、一応は、この記事の核心なのだと思います。3回に分けてアップする予定。

 
By BENEDICT CAREY Published: August 8, 2009

http://www.nytimes.com/2009/08/09/health/research/09brain.html?hpw

08brain_600.jpg



「 負傷した後、自己の感覚を取り戻そうと奮闘する   




 アダム・リパックは自分の母親の方を見て、こう言った。「あなたは偽者だ」。

 7月のとある火曜日の夜のことだった。シンディー・リパックは、19歳になる自分の息子が疲れていることが判った。何時間にもわたって理学療法や記憶訓練をした――僕はオートバイの事故にあいました、僕は頭を打ち新しいことを覚えるのが苦手です、僕はオートバイの事故にあいました――その日のような長い一日の後では、しばしば彼はそうした非難をするようになった。

 
 「アダム、偽者ってどういう意味なの?」と彼女は言った。彼はうなだれた。「本当のママじゃないっていうことさ」と彼は言った。「シンディー・リパックさん、お気の毒です。あなたはこの世界に住んでいる。本当の世界に住んではいないのです」。

  
 精神病の患者の中には、最も近い関係にある人を心底から疑ったり、自分を愛する人や自分の世話をしてくれる人から自分を遮断しようとする者が少数ながらいることは、ほぼ100年前から医師たちによって知られていた。そうした患者は、自分の配偶者が詐欺師であるとか、自分の子供が影武者であるとか、介護者や親友や、それどころか家族全員が偽者でまがい物であると言い張ることもある。

 こうした妄想はしばしば統合失調症の徴候である。しかし、ここ10年の間に、研究者は、統合失調症を患っているわけではなく、脳神経に問題をもつ(痴呆症や、脳外科手術や頭部への外傷を残すような打撃を含む)何百という人のうちに似たような妄想が見られることを実証してきた。

  
 先にあげた妄想は誤認症候群(misidentification syndrome)と呼ばれているが、とある脳科学者の小さなグループが、脳科学におけるもっとも難しい問題の一つである「アイデンティティー」を解く鍵として、この症候群を研究している。脳はいかにして、そしてどこで「自己」を維持しているのだろうか?


 研究者が見いだしつつあるのは、脳の中に単一の「アイデンティティーの場所」があるわけではないということである。その代わりに脳は、自己や他者のアイデンティティーを維持したりアップ・デートしたりするために、緊密に共働しているいくつかの違った神経の領域を使っている。研究者によると、何がアイデンティティーを作っているのかを学ぶことは、しのび寄る痴呆にもめげずにある人々が自分のアイデンティティーを維持しようとしている仕方を理解する参考になるし、また別の人々が、アダムズのように脳の損傷と戦いながら、しばしば自分のアイデンティティーを再構成することができるのはどうしてかを理解する参考になるらしいのである。 


 「私が1987年にこれに似た最初のケースを論文に書いたとき、大きな関心を寄せてくれる人は一人もいませんでした。珍しい研究だったのです」。そう語るのは、アルバート・アインシュタイン医科大学の神経学者にして精神科医でもあるトッド・ファインバーク博士。彼は、この問題に関して『軸索からアイデンティティーへ(From Axons to Identity)』という著作を出版したばかりである(軸索とは脳神経線維のこと)。

 「今ではこうしたケースに対する関心が爆発的に広まっています」とファインバーク博士は語る。「こうしたケースが自己に関係あるからですし、アイデンティティーの神経生物学に関係あるからです――つまりは、人間であることは何を意味するのかという問いに関係があるからです」。 
 

  あの人は誰?

 「アダム、あの人は誰?」。マイクという名前の理学療法士が、等身大の鏡の前でアダムのやせた体を支えながら、最近のとある朝そう尋ねた。一人の看護師が反対側でマイクを支えていた。「そこに誰が見える?」。

 「マイクが見える」。
 
 「そうね」と看護師のパット・テイシーが言った。彼女は、リパック一家が仕事で不在のときは大抵、アダムと一緒に家ですごしている。「だけど、誰かほかに鏡に見えないかしら? アダム」。

 「パット、君が見えるよ」。

 「そうね、でもほかには?」と彼女は言った。

 不安げな微笑のためにアダムの顔に皺(しわ)が走った。


 二年前だったら、それは答えられないような質問ではなかった。そのとき彼は、ガールフレンドが一人と気の会う仲間のグループがいる大学一年生だった。菜食主義者で、健康に気を使い、皮肉や馬鹿馬鹿しいいたずらがとても上手かった。シラキューズ地区の「ストレート・エッジ」(ドラッグも、アルコールも、見境のないセックスもやらない)バンドであるセイクリッド・プレッジが好きなドラマーだった。

 ウィードスポットの高校を卒業すると、彼はヴァンに乗り込み、バンド仲間と一緒に国中を走り回り、クラブやパーティーで演奏し、公道で寝て、食料を求めてゴミ箱をあさり、カリフォルニアでは浜辺で寝た。

 「私たちは喜んで彼を出してあげたわ」とリパックさんは言った。「彼はそんな生活が自分にあってないと判ったの」。彼は、近所のオーバーンにあるカユガ・コミュニティ・カレッジに入学した。

 2007年の10月、彼は授業に遅刻しそうだったので、ホンダのインターセプターに乗ってウィードスポットのセネット・ロードのわずかな上り坂を飛ばしていたが、ふと見ると――もう手遅れだった――彼の車線を走っていた車がUターンをするために停止した。車は回避できた。彼はヘルメットをかぶっていたが、バイクから投げ飛ばされ、アスファルトに激突した。彼はそれに続く半年のほとんどを、無言でほとんど身動きもせずに、植物人間に近い状態ですごした。

 
 医師の診断は、びまん性軸索損傷(diffuse axonal injury)だった。「教科書的な定義は、要点だけを言えば、私たちの意識活動を維持するのに関係している神経の束の活動を停止させる損傷、ということです」。そう語るのは、アダムのゆっくりとした回復を見守ってきた、ニュージャージー州ウェスト・オレンジにあるケスラー・インスティテュート・フォー・リハビリテーション(Kessler Institute for Rehabilitation)の神経学者ジョナサン・フェーラス博士。「まるで、大きなハイウェイが打撃を被ったおかげで、脳が、機能するためには裏道を使わなくてはならないかのような状況です。でも、脳はさまざまな反応をします。私は、予言はしないことにしました」(続く)。
 







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