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とあるアメリカ人が見る原爆慰霊祭 [海外メディア記事]

 前の記事で「カーチス・ルメイ」に触れましたが、その後も気になって検索をしていたら、ジェームズ・キャロルという人のコラム記事を見つけました。約一週間前の、たぶん広島の原爆の日の祈念式に合わせて書かれた記事のようです。

 ジェームズ・キャロルという人は経歴も才能も多彩のようで、翻訳されている著作もあります(『戦争の家―ペンタゴン』緑風出版)。『ボストン・グローブ』紙にコラムを執筆して17年になるらしい。原爆投下の正当性に固執する人々が多数いる一方で、原爆慰霊祭をこんな風に見ているアメリカ人も少なからずいるのだということを紹介したく思い、ここにアップします。ちなみに、あの「カーチス・ルメイ」も登場しますが、あくまで憎々しい人物のようです。

 さらなる蛇足として、文中に出てくる「第二次核時代(Second Nuclear Age)」とは、冷戦期の核不拡散体制に対比される、冷戦後の時代のことで、そこでは核兵器の拡散の恐れが顕在化するとして、すでに10年以上も前から使われていた言葉のようです。
 

By James Carroll August 3, 2009

http://www.boston.com/bostonglobe/editorial_opinion/oped/articles/2009/08/03/reinterpreting_early_august/


「  8月の上旬を解釈しなおす


このコラムを書き続けてきた17年間、私の特権は、たとえ読者の同意が得られないと知っていても、自分が考えていることを言うことにあった。たいていの年、8月の上旬になると、私は広島と長崎の原爆の日を、トルーマン大統領の原爆投下命令に批判的なまなざしを向けながら、見つめてきた。自分のコラムにつけた題名の一つには「過ちと犯罪」というのがあった。これらのコラムは、私が書いた他のどんなものよりも、読者の不評を毎年買ってきた。


 日本への原爆投下という話題になると、わが国は、この問題が難解でまだ解決されていないと思う人と、これは個人の問題でありしかも決着済みであると思う人に二分される。この出来事の直接の記憶をもたない者として(私は当時2才だった)、私は必然的に前者のカテゴリーに属するが、それでも私は、1945年の原爆の生々しい記憶がいつまでも消えることのない人々から多くのことを学んできた。

 
 歴史家でかつて海兵隊員だったウィリアム・マンチェスターは、原爆の知らせに接して「これで生きていられる、大きくなって大人になれるんだ」という反応を示したが、それに似たような反応を、私が受け取る多くの手紙は伝えている。ヒトラーが敗北した後で、何十万という若いアメリカ人が太平洋での血なまぐさい結末のために身構えていたが、すると、急に、終わってしまったのだ。彼らやその家族はただただほっとしたことだろう。戦争の終わりは、国民に何年かぶりの掛け値なしの幸福感をもたらした。8月の初旬といえば、永遠にあのときの幸福感の記憶がよみがえるという反応で何が悪い? というわけである。


 しかし、記憶とは一体なんだろう? それは、琥珀にある化石の一片のように、過去のある時点に戻ってそれを再体験することだけではない。記憶は、人間が積極的に経験を解釈する能力である。8月6日が1945年において意味していたことは、それが、ジョン・ハーシー(John Hersey)が『ニューヨーカー』誌に感動的な記事「ヒロシマ」を発表した1946年において意味していたこととは違う。あるいは、アメリカ空軍がモスクワに対する戦略として原爆の攻撃を組織化した1948年とも違う。ソビエト連邦が自分たちの原爆を獲得した1949年とも違う。水爆(反対していた物理学者の言い回しを借りると「人類皆殺し兵器」)が生まれた1952年とも違う。その他いくらでも続けられるが、どの時点に立って振り返っても、1945年に起こったことの意味は必然的に変化したし、そしてそのプロセスが今日まで続いてきて、人類は第二次核時代(Second Nuclear Age)の入り口のところに立っているわけである。

 
 思い出すことは解釈しなおすことである。したがって、原子爆弾を使おうというトルーマンの決定は、トルーマンや彼の同時代人が当時考えていたよりもずっと複雑で道義的問題に満ちていたと想定したとしても、第二次世界大戦の正真正銘の忘れがたい経験から何も取り去ったことにはならない。原爆は、日本の降伏をもたらすために必要だったとして正当化されたが、今、歴史家たちは、コンセンサスの程度にバラつきはあるものの、外交的な交渉で日本の降伏は引き出せただろうという結論に至っている。トルーマンは日本の抵抗を終わらせるのと同じくらいソヴィエト軍の侵攻を食い止めることに関心があったという結論を下す充分な理由がある。戦争の最後の半年間の通常の爆弾によるアメリカ空軍の攻撃(百万以上の民間人を殺した)は、原爆使用が倫理的であったかどうかという問いを既にどうでもいいものにしてしまっていた、ということは今日では承認済みの事柄である。かつてカーチス・ルメイが言ったように、「われわれがやったことが道徳的だったかどうかと心配するなんて」「アホくさい(Nuts)」のである。


 毎年の上旬に行われる祈念式典の要点は、一段高い道徳という馬の鞍上から過去を振り返って審判を下すことではない――まるで、もしあの時の人々の気持ちを知り、彼らの心情を感じながら、われわれがあの場に居合わせたならば、われわれは違った振る舞いをしたかのように、過去を振り返ることではない。道徳的な熟慮の差し迫った課題は、過去に関わるのではなく、現在と未来に関わるのである。原子爆弾がもし使われなかったら、合衆国と世界――日本は言うまでもなく――はもっとより良い状態になっているだろうという結論を下すことは、それ以降アメリカの国力がそれに依存してきた核貯蔵庫について根本的な問いかけを投げかけることである。原爆の使用を真摯に悔いることは、現在及び未来における核兵器の絶対的放棄を促すことである。過去において試みられなかった行動があったということは、現在まだ試みられていない行動があるということを意味する。実際、第二次世界大戦を生き延びた人たちが証言しているのは、人間が生き延びるということ自体が新しい道徳的な責務であって、このことが8月の上旬の意味を変えるのだということなのである」。
 








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