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「ラロックの聖母」日本上陸 [海外メディア記事]

 この記事を目にするまで、日本でこの聖母が話題になっていることすら、私は知りませんでした。検索してみて、某テレビ局が騒いでいるにすぎないことが判りましたが、いずれにせよ、この間の経緯を簡潔に伝える『フィガロ』紙の記事を紹介します。フランスの地方の美術愛好家の発見に端を発し、フランス国内ではたぶん見向きもされなかったところ(ルーブルの関係者が関わりを持ちたがらないのはなぜでしょう?)、日本のテレビ局が油を注いで火を大きくしようとしている、といったところでしょうか。こういうことは専門家に任せるべきで、マスコミが関与するのはどうかと私は思いますが、さて、皆さんはどう思いますか?
ちなみに某局がこのマドンナのために解説したサイトもあわせてどうぞ(http://laroque.exblog.jp/)。

Laroque.jpg
 
 
De notre correspondant à Montpellier, Christian Goutorbe 22/07/2009 | Mise à jour : 08:40
http://www.lefigaro.fr/culture/2009/07/22/03004-20090722ARTFIG00009-mysterieuse-passion-japonaise-pour-un-petit-tableau-francais-.php


「 謎に満ちたセヴノールの聖母に夢中になる日本


 セキュリティーも温度管理も万全な小さいガラスケースにたった一枚納められた形で、小さな絵が何百万という日本人の好奇心と対面する。11年も調査したにもかかわらず、この絵がレオナルド・ダ・ヴィンチの作品かどうかは依然として判明していない。

 三日前から、ラロックの聖母の伝説は、日本語で書かれるおとぎ話になった。7月18日、この絵は東京にあるフジ・テレビ本社ビルの象徴ともいうべきその最上階に展示された。 セキュリティーも温度管理も万全な小さいガラスケースの中にたった一枚納められた形で、この絵は、昨年の秋以降、1500年頃レオナルド・ダ・ヴィンチのミラノにあるアトリエでポプラの板の上に描かれたこの小さな絵のうるわしい物語を仕込んだ何百万という日本人の好奇心と対面する。


 1998年10月、この絵が売買されたとき、(エロー県)ガンジュ川に近いラロック村の古物商で1500フラン(230ユーロ)の値札が付けらた二束三文の小さな絵にすぎなかった。二人の子供をかかえたこの聖母から発する独特の光彩が三人の美術愛好家の目を引きつけたのだ。買った後で、じっくり観察したところ、この絵がとても古いものであるという結論に達した。三人は、絵画を扱う大きな研究所をいくつも訪ねた。この絵画の作者を見いだそうとする調査が始まってもう11年になる。まだ決着はついていない。この絵を買った三人の負担で調査は続けられてきた。「私たちはすべての費用を自腹で払ってきたのです。市場で出回っている絵の中で、これほどの歴史的調査と科学的分析にかけられた絵がたった一枚でもありますか?」。そう問いかけるのは、三人の所有者の一人フランソワ・ルクレー氏。二人の子供を抱くこの謎に満ちた聖母を描くこの小さな絵は、これまで一度もフランスで展示されてこなかった。一度だけ公開されたことはあるが、それは象徴的なことに、巨匠レオナルドが1452年に洗礼を受けたヴィンチ村のサンタ・クローチェ教会でのことだった。この期間のすべてにわたって、ルーブルの専門家はこの絵を調査することをずっと拒んできた。こうした懐疑的な空気があるにもかかわらず、三人組は、時の経過とともに集めた情報や断言をゆがめることなく進め、そしてついに去年の秋、とある美術史家のマイク・フォクト・リュエルセン女史は、この絵がたしかにレオナルドの手によるものであると断定するにいたった。彼女は、この絵が、1496年から1515年の期間にレオナルドの近くにいたイザベル・ディ・アラゴンの顔を描いたものだと断言している。


 例外的なほど多くの視聴者を得た放送

 
 この絵が巨匠のアトリエで製作されたものであると見なす別の専門家はいたが、一線を越えてレオナルドの絵だと断定したのは今のところリュエルセン女史ただ一人である。絵にまつわる確信などどれほど大事だろうか? 昨年の11月、日本人は、フランソワ・ルクレー、ギー・ファダ、ジャック・プルーストのセヴェンヌ地方のこの三人の信じられない話を発見した。日本のフジテレビグループは、プライムタイムで、この話をドキュメンタリー番組にして放映した。この放送は例外的なまでの視聴者を得た。日本では、この聖母の話はダ・ヴィンチ・コードよりも大きな成功を博した。日本人は科学的な要素があれば夢中になるのである。ありとあらゆる要素がこの話には詰め込まれていた。この最初の放送の視聴者の要望や、この放送が一般大衆に引き起こした関心や好奇心が相まって、この聖母を初めて東京で展示してはどうかという発想が生まれた。ドキュメンタリーの監督をしたフランソワ・トリュファールが、熱狂的美術愛好家である三人のフランス人と日本のプロデューサーとの縁を取りもった。この日から8月の31日まで、40万以上ものファンが、5世紀もの間何の関心も払われなかった後で、よみがえり息づき始めた絵である「ラロックの聖母」の足もとに訪れることになるのである」。
 





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