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恋する少女 [探求]

そう、私はあなたのことを思っている。
私は、われを忘れるあまり、自分の手から滑り落ちてしまう、
あなたの傍らから私のところに来るかのような
真剣で、迷いのない、一途なものにあらがうすべもないままに。

・・・あの頃、ああ、私はなんと一つであったことか、
私を呼ぶものは何もなかった、私を裏切るものもなかった、
私の静けさは、石の静けさのようだった、
その上を小川がささやきながら流れていく石の静けさのようだった。

しかし今、この春の幾週がすぎる間に、
何かがゆっくりと私を引き離してしまった
暗がりの中にいるような何も思うことのない一年から。
何かが、私の貧しくも暖かい生を
誰かの手に委ねてしまったのだ、
昨日まで私が何であったか、何も知らない人の手に。 


(原詩)

Die Liebende

Ja ich sehne mich nach dir. Ich gleite
mich verlierend selbst mir aus der Hand,
ohne Hoffnung, Dass ich Das bestreite,
was zu mir kommt wie aus deiner Seite
ernst und unbeirrt und unverwandelt.


・・・jene Zeiten: O wie war ich Eines,
nichts was rief und nichts was mich verriet;
meine Stille war wie eines Steines,
 über den der Bach sein Murmeln zieht.


Aber jetzt in diesen Frühlingswochen
hat mich etwas langsam abgebrochen
von dem unbewussten dunklen Jahr.
Etwas hat mein armes warmes Leben
irgendeinem in die Hand gegeben,
der nicht weiss was ich noch gestern war.




  何がきっかけかもう覚えていないが、高校の頃リルケの詩集を手に取った。生野幸吉の訳の本だったと思う。後期の結構哲学的で、深刻ぶった詩は受け付けなかったが、初期の、特に『形象詩集』の詩はいくつか暗唱できるほど親しんだ。
 
 その後、生野訳の本もどこかに消え、文学などまったく無縁なまま月日を重ねても、何となく、噴水を見ると「ガラスでできた透明な木々」といった表現(『噴水について』)が断片的に浮かんで来たりして、完全に絆が断ち切られたわけではなかった。やはり、若いとき脳裏に刻みつけたものは、容易に忘れ去ることはないようだ。

  ここに紹介した詩も、時折、断片的に脳裏に浮かびあがった詩の一つである。特に「私はなんと一つであったことか」における「一つ」という言葉の使い方などは、初めてそれを目にしたときの私にとっては、新鮮この上ない経験だったはずだ。「一つ」という平凡極まりない言葉であっても、こんな使用があるのか。魔法でも見る思いがした。言葉に対する繊細さや斬新な比喩の冒険という点で、リルケに勝るものがいるだろうか? と今でも思っている。










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