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すたれつつある男性という性(5) [海外メディア記事]

 『シュピーゲル』誌の男性を見舞う危機を特集した記事の最終回。

 ちなみに、第一回目の記事を読んで、全体のタイトルを「すたれつつある男性という性」としたのですが、これはいささかフライイング気味のタイトルのつけ方でした。その時点では、まだ全体を読んでいなかったのですが、もっと生物学的な話になるのではと勝手に考えて、先走ったタイトルにしてしまったのですが、やはり、原文にあるとおり、全体を表わすタイトルは「忘れられた男性という性」の方が良かったと思います。



http://www.spiegel.de/wissenschaft/mensch/0,1518,601269-5,00.html


忘れられた性

 第五部:若い男性の問題はこの役割理解と密接に関連している


 男性が直面している危機については、おそらく数多くの原因がある。結局のところ、原因は一義的なものではない、とハノヴァーの児童心理学者ヴォルフガンク・ベルクマンは語る。決まった答えがあるわけでもないし、エレガントな説明があるわけでもありません。男性の若者はいつも絆のようなもの、拠り所のようなもの、男として憧れをいだける対象を求めています。こうした手本となるようなもの―俺はこうなりたいんだというもの―が、今日の彼らには欠けています。これが最大の問題なのです。

 
 たいていの若い女性は非常に早くから柔軟に人生設計を立て、やがてキャリアと家族と子供をどのように組み合わせればいいかを考えるが、若い男性の大多数は、相も変わらず、伝統的な男性像に定位している、とビーレフェルトの社会学者のクラウス・フレルマンは述べる。彼らは自分を家族の主たる扶養者と見てはいるが、しかし家事や育児で重要な問題を進んで引き受けたいとはまったく思っていない。現代の社会で男性が果たす役割は何かを定めることは、男性自身にも難しいことに思われているのである。



 フレルマンは、若い男性の問題がこうした役割の理解と密接に結びついていると考えている。彼の見解によると、男らしさについて太古の昔から受け継がれてきた中核的な要素、言い換えれば、人格の深いところに根ざした役割行動の型のようなものがあるという(女性の場合は、それに見合う女らしさの型がある)。


 男性の場合、この役割行動は、個体として生存することを確保することに役立つ活動によって示されている(女性の場合は、社会的で、他人に配慮する生活のスタイルが中心にくる)。それは、自己主張や、自他の区別の明確化、自己の拡大、社会的空間の制圧、自己抑制と自己統制などの概念に結びついている。

 
 フレルマンによると、教育学者にとって、今日まず問題とならざるを得ないことは、こうしたステレオタイプの役割の型から始めるとしても、結局はもっと柔軟な型に取り替えなければならない、ということである。そのために必要なことは、たとえば、若い男性に対して、社会的な共同体での生活に喜びを覚える機会や、長所も短所ももった自分の身体に対してもっと感受性をもてるような機会を与えることである。そのさい大切なのは、若者の特性―たとえば運動に対する欲求―を考慮することであり、新しい形式の身体的活動についてよく考えたり、不透明ではない、はっきりした付き合い方を見いだすことである。


 別の専門家、たとえば、アイヒシュテット=インゴルシュタット・カトリック大学の基礎学校教育学者クラウディア・シュールタイスは、男子生徒がもっと居心地がよく感じられるように学校のあり方を変えることに賛成の立場である。男子生徒には、もっと休息と運動の時間を認めるべきであり、教材にももっとアクセントをつけて、男子生徒のためにもっと競い合う機会を与えるべきである、というのである。…


 教育現場に女性の教員が多すぎると点については、シュールタイスは決定的な問題とは見ていない。「男子生徒が男性の先生には違った反応を示す、たとえば、もっと注意深く話を聞くということ、そして男性の先生が男子生徒の手本として機能するということは周知の事柄です。しかし、男子生徒が基礎学校で女性の先生の授業しか受けないことが不利に働くかどうかという点については、はっきりしたことはわかっていませんから。研究結果がほとんどないのです」。


 
 このアイヒシュテットの女性研究者が強調するところによると、学習スタイルや学習意欲に応じて、男児と女児に差をつけた扱いをしなければならないことはあるという。「両性間の扱いに敏感な」学校は存在するし、クラウディア・シュールタイスの考えでは、女性の教師に、男子生徒にも合うような授業スタイルをしてもらうようにすることは可能だという。


 少年たちに関しては難題が山積しているにもかかわらず、一つのことは忘れてはならない。女性がいたるところで優位に立っているわけではないし、とりわけ大人になってからも優位を保っているわけでもないということである。


 大学入学時のスタートラインでは女子学生のほうが男子学生よりも多いのだが、大学卒業5年後では、男性のほうが、女性よりも職に就いている数は多い。順調に昇進している人の中で女性の占める割合は、明らかに50%を切っている。


 お金については、まだ平等というには程遠い。2005年の数字だが、女性従業員の平均年収は男性に比べて29%も低かった。比較可能な活動に対しても、女性のもらう報酬は、男性より17%も低い額であった。


 クラウディア・シュールタイスは次のようにまとめている。「男の子は、ひとたび学校を終えてしまえば、もう何も問題はないのです」」。 








 











 


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