So-net無料ブログ作成
検索選択
ブログパーツ

すたれつつある男性という性(4) [海外メディア記事]

『シュピーゲル』誌の記事の第四部です。歴史的にずーと抑圧されてきた女性に対して、戦後、何かと手厚い政策が重点的に採られ、それに伴い女性がポジティヴな自己イメージを獲得していったのと引き換えに、男性にまつわる従来からのイメージは「時代遅れ」のものとして葬り去られる中、男性は、それに代わるイメージを獲得することに失敗した。そして、ついに男性についてはなんら明確なイメージが形成されないことが、若い男性のアイデンティティの喪失につながり、それがマグマのような形で多くの社会問題の底流に潜んでいる、と、まあそんな感じでしょうか。 

こういう図式的な説明は、普通はあまり面白みが感じられないものですが、若い男性が引き起こすとんでもない事件の数々を思い返してみると、妙に思い当たる点がいろいろあるのではないでしょか?


http://www.spiegel.de/wissenschaft/mensch/0,1518,601269-4,00.html



忘れられた性

 第四部:男子生徒のほうが身体的により能動的でより反抗的である


 今日のドイツの子供は、基礎学校の終了年限(=10歳)までに一度も男性の先生を経験しないという可能性は充分ある。というのも、男性教員は、幼稚園ではほぼ2%にすぎず、養護学校では5%、基礎学校では約13%(という低率)だからである。

 男子生徒は、それにより不利な影響を受けている。少なくとも、ハンブルクの教育学者フランク・ボイスタ-のような専門家はそのように想定している。なぜなら、女性の教育の力では、男性特有の性質と欲求に入りこむことは(男性の教師よりも)難しいから、というのである。 

 男子生徒のほうが身体的により能動的でより反抗的であるし、力比べをして、自らの力を計るのが好きだし、自分の思い通りにしようと努める。彼らのより強い闘争心や、自己主張をして他人の上に立ちたいと思う欲求や、危険を物ともしない高度な勇気が、問題を引き起こす一因になっている。それに対して、女子生徒は、学校の仕組みに容易に順応し、非常に建設的に共同作業をする。


 ボーツェンの発達心理学者ワッシリオス・フテナーキスは、女性の教師は男子生徒に対して体系的に不利な影響を与えるものであり、男女の生徒が同じ成績の場合、男子生徒の評点を低くするものだ、ということを疑う余地のないことと見なしている。わが国の教育体制は、男子生徒に対して多大な不正を生み出している、とフテナーキスは言う。

 さらなる問題がある。この30年間、女子はとりわけ手厚い扱いを受けてきた。女子学生が自然科学や技術的専門学科に進学することを容易にするためのプログラムが数多くあった。女はこうすべきだという役割像は、学校生活を送る若い女子学生を待ち構える常套句やハードルなどと同様に、なくなってしまった。それに対して、授業計画や授業方法で、男子生徒が抱える困難―たとえば読み書きの弱点―とか、情緒的な欲求や関心が顧慮されることはほとんどないのである。


 女性解放という時代の流れにあって、男子生徒はほとんど忘れ去られていた、または少なくとも軽視されていたのである。男性は「強い」、そして長らく支配的であった性であると想定されていたのだから、特別な注意は必要なかったし、注意は向けられなかった。女性が、女性的なものの新たなイメージの習得に取り組んでいたとき、男性は自らの役割がいかなるものかという取り組みを怠ってしまったのである。


 それに、多くの若者は父親なしで成長しているのである。ドイツには単独で子供を育てている親が約3百万人いるが、その80%は女性である。

 
 二人の親がそろっている家庭でも、父親の存在感がないということは起こる。日中は不在で、夜になって、多くの男性は仕事でくたくたになって帰宅するので、もう子供にかかわるだけの意欲が全然わかないからである。

 しかし父親は子供に対しては接し方が違う。赤ちゃんの前では、しかめっ面はやめるし、音や視覚的刺激で気をひこうとする。やがては、動き回らせようと鼓舞する。それがやがては、走ったり、自転車をこいだり、泳いだりすることにつながる。父親は息子と一緒になって走り回り、「男らしい」属性―たとえば最後までやり遂げる力―を伝えるものだし、手作業や技能がいるホビーなどでも手本となる。だから、父親は、息子にとって計り知れないほど重要なのである。


 このことを証明するのは、中でも、オックスフォード大学が数千人の子供に対して何十年間にもわたって行った研究である。それによると、父親なしで育った男の子は、自分を配慮する意識に欠けることがより頻繁にあり、学校に行きたがらず、抑うつや自殺の傾向が強く、後になって、犯罪者やホームレスになる危険がより高いという。父親が―たとえば離婚した後で―、もう同じ家には暮らしていなくても、規則的に息子と落ち合うならば、それだけでも配慮としては十分である。継父も、同様にポジティヴな影響をもつことがある。

 これまで挙げてきた事情のすべてがどのような結果をもつのかは、今になって認識できる。つまり、明確な男性像なるものは存在しないし、それどころか肯定的な男性像も存在しない、という結果に行き着いたのである。

 
 さらに言えば、「男性ならではの」という言い回しは否定的なレッテルになってしまった。多くの専門家の見解では、こうしたことや、学校や家庭で男性的模範が欠如しているために、男の子にとっては、男性としてのアイデンティティーを発展させることが困難になっているのである」。


 






 


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:ニュース

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:[必須]
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

トラックバック 0

この記事のトラックバックURL: