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プライドの意義 [海外メディア記事]

  この失業、就職難の時代。 体面をたもつことに苦労している人がそこらじゅうにいるかもしれない。そういう状況と、感情についての心理学の研究を結びつけたような記事です。http://www.nytimes.com/2009/04/07/health/07mind.html?_r=1&hpw

 自分でも身に覚えがあるのですが、感情というのは、簡単なようで奥が深いというか・・・。




 「まわりを見渡してみてください。列車を待つプラットホームでもいいし、バスの停留所でも、カープール用の車線でもいい。最近、行くべき職場がないのに、通勤し続けているかのようなふりをしている人が、そこにいないでしょうか。

 サスペンダーをして、書類が詰まったブリーフケースをもったウォール・ストリートにいそうなタイプの男性。真珠のネックレスをして、ブラック・ベリーを操作する女性。作業用の靴をはきツール・ベルトを巻いた建設作業員。ひょっとしたらその人たちは皆、その日一日のために、同じコーヒー・ショップかバーに向かっているのかもしれない。

 「最近のクライアントの一人に一時解雇の憂き目にあった弁護士がいるのですが、彼が毎日通勤する先は――行きつけのスター・バックスです」。そう語るのは、サンフランシスコ州立大学のカウンセリングの教授で、全米カウンセリング協会就労部会会長のロバート・C・チョープ氏。「バリッとしたスーツ姿で、同僚に会ったり、ネットでやり取りをしています。彼に言わせると、行きつけのスターバックスは彼の西海岸のホワイト・ハウスなのです。彼には、日々のそうした仕事は続けなさいと言ってあります」。

 体面を保つ技術は、浅はかで不正直のように思われるかもしれないが、そう思うことはまさに否定することである。しかし多くの心理学者は、その意見は改めてほしいと願っている。


 良い習慣を維持し個人的なプライドを反映している限り、この種のお芝居は、非常に有効な社会的戦略になりうるし、不確実な時代においては特にそうである、と心理学者たちは言う。



 「もしこうした状況でプライドを示すことが常に不適応な行動であるならば、なぜ人々はこうもしばしばそういう行動をするのでしょう?」と語るのは、ボストンのノース・イースタン大学の心理学者デイヴィッド・デステーノ氏。「しかし、もちろん人々はプライドを示そうとするし、プライドは、物理的危険を生き延びるのに重要であるばかりでなく、困難な社会状況の中で巧くやっていくためにも重要であることを、私たちは見いだしつつあるのです」。

 
 誕生から今日にいたるまでのほとんどの期間、心理学という分野はプライドを根本的な社会的感情として扱ってこなかった。それは、恐れや嫌悪、悲しみや喜びのような基本となる感情表現と比べると、あまりにもマージナルで、あまりにも個人差のありすぎるものと考えられてきたからである。おまけに、それは文化が違えば違ったものを意味することもあると考えられてきた。

 しかし、ブリティッシュ・コロンビア大学のジェシカ・トレーシーとカリフォルニア大学デービス校のリチャード・ロビンスによる最近の研究は、西欧の社会でプライドに結びついた表情―たいていは、かすかな微笑み、上向きの顔、両手を腰に当てたり、高く掲げる―は、文化が違ってもほとんど同じであることを示した。色々な研究が示唆するところによると、子供は2歳半でプライドを初めて経験し、4歳までにはそれを認識する。

 これは、また、単に人まねで覚えるようなことでもない。トレーシー博士とサンフランシスコ州立大学の心理学者デイヴィッド・マツモトは、2008年の研究で、2004年のオリンピックとパラリンピックの柔道の試合で勝ったり負けたりすることに対して自然におこる反応を分析した。彼らが発見したことは、勝利の後のプライドの表情は、37カ国の選手(53名の盲目の選手も含み、その多くが生まれつきの盲目だった)にとって類似したものであった、ということだった。


 「これは自意識がにじみ出る感情、自分についてどう感じているかを反映する感情で、非常に重要な社会的要因をもっています」とトレーシー博士は言う。「それは、感情のうちでもっとも強力に社会的な地位を表わす信号なのです。幸福なときや満足したときの表情より強力なものです」。
 
 
 一つの連続的な研究において、トレーシー博士は、ブリティッシュ・コロンビア大学の博士課程の学生アジム・シャリフとともに、人々がプライドの表情を高い地位に結びつけがちであることを発見した。仮にその表情をしている人が低い身分であることを知っている場合でも、そうであった。研究の参加者たちは、敗北に打ちひしがれているチームのキャプテンよりも、プライドが高そうな給水係の少年のほうが地位が上であると判断せざるをえなかった。


 この研究の含意することは、どれほど強調してもしすぎることはないほどである。研究者はプライドを少なくとも二つの幅広いカテゴリーに大別しがちである。いわゆる真正のプライドは、難しい子供を育てたり、起業したりエンジンを組み立てなおしたりといった本当の成果に由来するものである。トレーシー博士がいう思い上がりによるプライドは、傲慢やナルシシズムに近く、実質的な基盤のないプライドである。体面を保つという行為は、両方の要素を利用しているのかもしれない。


 しかしその違いは、外側からは判らない。プライドに満ちた表情は、その由来がどんなものであれ、同じに見える。「あなたが大根役者ではなく、また人々があなたの置かれた状況についてあまり知らないならば、万事O.K.でしょう」。ノースイースタン大学の博士過程で心理学を学んでいるリサ・ウィリアムズはそう言う。


 プライドの様々な趣きは、かけ金が高い場合、内側から見ても同じように感じられるかもしれない。「彼女は、自分自身に対して体面を保ち続けることに細心の注意を払っていた」。イーディス・ウォートンは、『歓楽の部屋』で悲劇のヒロインのリリー・バートについてそう書いた。「彼女の個人的な潔癖は道徳に近いものがあり、彼女が内省をして心の中を経めぐるとき、彼女が開けない閉ざされたドアがいくつかあった」。自分が信じれば、人もそう信じてくれるだろう、というわけである。


 プライドは、それが説得的なものであるならば、感情的な磁石のような働きをする。ノース・イースタン大学のミズ・ウィリアムズとデステーノ博士は、最近の研究で、62名の学部学生からなるグループに、空間のIQを計ると称するテストを受けさせた。パターンが非常に早く現れては消えていくので、誰も、自分がどれくらいできたか判らないようなテストだった。

 
 研究者は、参加者が自分の点数にどれくらいのプライドを感じるかを試してみた。彼らは、点数については何も言わず、ただ事務的な口調でこれまでの最高点ですと述べるか、それとも大げさに、あなたの成績はすばらしい、ほとんど最高点に近いですと言ってみせた。

 参加者は、その後、グループになって座り、似たような問題を解かされた。案の定、暖かい励ましをうけた学生は、そうでない学生よりもよりいっそうのプライドを感じると述べた。しかしそればかりか、そういう学生は、グループ演習のパートナーに、内心で自画自賛の炎がめらめらと燃えていない他の学生よりも優越していて好ましいという印象を与えた。おだてられていようといまいと、参加者は、このことが集団の力学に及ぼす影響のことはまったく気づかせないでおいた。 


 「最初は、こういう学生が傲慢な愚か者として見なされるかどうかを見たいという気持ちでした」とデステーノ博士は言う。「でも、そんなことはなかったんです。まったくの逆でした。彼らは優れていると見なされただけではなく、好ましいとも見られたのです。それは、私たちが予期した組み合わせではありませんでした」。



 いずれは正直に告白するほうが通常は良いのですとセラピストたちは言う。「今は失業中の人がこんなに多いのだから、ある意味で、今、正直に言ったほうが楽でしょう」。そう言うのは、ニュージャージー州南部で就労カウンセラーをしているマイケル・ラザーシック氏。「他の人も自分と同じような経験をしていることを発見できるかもしれません。自分は賃金が大幅にカットされただけだ、という発見があるかもしれませんからね」。

 しかし短期的には、プライドを発散することは人に与える印象を良くする以上のことをするかもしれない。心理学者の発見では、悲しい顔やうれしい顔をすることは、自分の感じ方そのものに影響を及ぼすのである。微笑んでみると、束の間だけでもうれしい気持ちになれるかもしれない。同じことはプライドの表情にも当てはまる。2008年の研究で、ノース・イースタン大学の研究者は、空間に関する難問を解いていた人々のうちにプライドの感覚を呼び覚ましたところ、彼らは、次のラウンドに取り掛かったときよりいっそう気合を入れて問題に取り組んだそうである。

                          …」。












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