ジェイド・グッディ死去 [海外のニュース記事]
これまで二度にわたって、ジェイド・グッディの記事をアップした関係で、彼女の死亡の報道も、やはり、アップしなければと思い、ここに『サン』紙の記事の翻訳を紹介します。http://www.thesun.co.uk/sol/homepage/news/article2286024.ece
イギリスのテレビ事情はまったく知らないので、たぶん違っているところもあると思いますが、この記事の最後のあたりを読むと、TV業界とそれに群がる人々の実情が少しだけ判ります。日本のTVの実情は皆さんご存知でしょうが、それをはるかにしのぐような腐敗が感じられます。グッディは、この掃き溜めのような場所に咲いたあだ花のようなものだったのでしょうか?
「 ジェイド母の日に死す
勇気あるジェイド・グッディは今日がんとの闘いを終えた
「ビッグ・ブラザー」で一躍人気者になったジェイドは、6ヶ月に及ぶがんとの闘いの末、子宮頸がんで27年の命を閉じた。
彼女は、エセックス州、アプシャーの自宅で、母の日の午前3時35分、失意の夫ジャック・ツイード、母ジャッキー、家族の親友ケビン・アダムスに囲まれて、就寝中安らかに亡くなった。
ジェイドの母ジャッキーは今日こう述べた。「かわいい娘を失ったわ」。
彼女は、霊柩車がジェイドの遺体を運び去る様子を見るために、パジャマ姿で家から出てきた。
「ジェイドは今朝3時35分に亡くなりました。家族と友人はそっとしてくれればと願ってます。長かったですから」。
ジェイドは、友人や家族に囲まれ、結婚式でジャックと結ばれてからちょうど一ヶ月後に亡くなったわけである。
5歳になるボビーと4歳になるフェディーの二人の息子を跡に残し逝ってしまったこの悲劇のTVスターに、各界から賛辞が寄せられている。
ジェイドのスポークスマンのマックス・クリフォード:「彼女はとても勇敢だった」。
「生きていたときと同様、世間が注目する中で死んだのだから」。
「それが彼女の対処の仕方だったんだ」。
彼女は、世間の人々の心に触れたのだ。
勇気
「いずれ、自分が生きていられるのは、ジェイドが子宮頸がんについて公共の場で発言してくれたおかげだと思ってくれる多くの若い女性がイギリス全土にいますよ」。
「人々は、彼女の物語と彼女の勇気によって感動したのだから」。
「臨終の場にはジャックもいました。彼は素晴らしかったし、本当に最高だった」。
「彼女が起き上がるたびに、ジャックはいたんですよ。髪の毛を撫でたり、歯ブラシにペーストをつけてやったりしてね」。
「21歳の男があれだけのことをするなんて、実にたいしたものだよ」。
ジェイドの二人の息子の父親であるジェフ・ブレイジアのスポークスマン:「ジェイドの死亡の一報を聞いて、彼はとても悲しみに沈んでいる。彼が現在何よりもしたいと思っているのは、息子と一緒にいることである」。
死亡の知らせが伝えられて数分後には、グッディに手向けの品を供えようと、弔問の人々が自宅にやってきた。彼らは家の玄関のところに花束を供えた。
クリフォード氏が言うには、母親のジャッキーと夫のジャック・ツイードは彼女の傍らにいた。家族の友人のケビン・アダムスもそこにいた。「彼女は、実に多くの人命を救ったし、これから救う若い女性として記憶されると私は思います」と、公共の場でのがんとの戦いがどれほどこの病に対する意識を高めたかに言及しながら、クリフォード氏は言う。
「とても、とても勇敢な女性でした」。
「彼女は、これまでのすべての人生に向き合ってきたように、死に向き合いました。果敢に、勇気をふり絞ってね」。
5歳のボビーと4歳のフェディーの二人の息子をもつ27歳の女性が母の日に亡くなるなんて「皮肉だね」。
クリフォード氏は、グッディ一家には静かなまま悲しみの時間が与えられるように願っている、と述べた。
葬儀の日取りはまだ未定だが、ここ10日の間には行われることになるだろう。
「ジェイドは生きたことを祝う場にしてほしいと望んでいた。彼女が自分の思い通りに自分のことをするジェイド・グッディ・プロダクションの作品になるでしょう」と彼は言った。
ジェイドは、葬儀を計画するという仕事を、花嫁介添人の一人にしてもらうつもりだった。
「しかしすぐに、そうしてほしくないなぁ、この方がいいわ、自分の思い通りがいいわねと彼女は言ったんです」と、クリフォード氏は続けた。
「お祝いにしましょうよ、もちろん涙、涙のお祝いになるでしょうけど」。
グッディはバーモンジー通りの葬儀屋を選んだのが、それは「彼女がバーモンジー通りで育った女性だったからです」。
教会での葬儀の後で、葬送の列はラウトンの街を通ることになるでしょう、エセックス州アップシャーの彼女の自宅のそばをです、と彼は言った。
ジェイドは過去7年間、皆の視線の中で生活していたのですから、葬儀は誰もが参加できるお祝いとなるでしょう、と彼は言った。
「彼女は、生きてきたような仕方で死んだのですから」。・・・
ジェイドは、子宮頸がんと診断された後で余命数ヶ月しか与えられなかったわけだが、エセックスの自宅では小康状態とこん睡状態を繰り返していた。
彼女は、退院をして、最後の数日をアップシャーの自宅で過ごせるように許可を出してくれた医師団に感謝していた。
4ヶ月にもわたるむごい化学療法の末にはげになってしまったこのスターは、攻撃的ながんがゾッとするようなスピードで彼女の体内に転移し、彼女を絶えず苦痛の状態に放置したので、急速に衰弱していった。
自分の病が末期のものであるという心が折れるような知らせを聞いたとき、勇敢なジェイドは、自分の二人いるおさない息子の未来を救うためにできるだけ多くのお金を稼いでやろうと心に誓った。
2月22日、21歳のジャックとの結婚式をテレビや雑誌に報道させることで、約100万ポンドの報酬があったと考えられている。
医師たちから彼女の無慈悲ながんを止めるには自分たちは無力であるというショッキングな知らせを告げられて、彼女はその場でくずおれた。
信じられないほど気が小さいくせに、彼女はありったけの力を振り絞って、エセックス州、ダウン・ホールでの豪華な挙式でヴァージン・ロードを歩くという夢を実現させたのである。
ジェイドは、死ぬ前に愛する息子の5歳のボビーと4歳のフェディーとなるべく多くの時間をともにすごそうと心に決めていたのだが、家族には、自分が死ぬ場面に子供たちを立ち合わせないでほしいと言っていた。
ロンドンの南西、バーモンジーの荒んだ地区で、シンルグ・マザーのジャッキーに育てられたためか、歯に衣着せぬこのスターは、子供たちに最良のスタートを与えるために、できる限りのお金を集めようと決心した。
ジェイドの父、アンドルーは、ジェイドが2歳のときに、ジャッキーのもとを去った。彼は、窃盗罪で、ワンズワース刑務所に4年間服役していたのだ。
ジェイドによると、彼女はめったに学校に行く機会はなかったし、バイクの事故で左腕の自由と片目の視力を失った母親の手助けをしなければならなかった。
歯科医の助手になったあと、彼女は、2002年に、ヒット・チャンネル4のリアリティー・ショウという番組に参加し、思いがけずTVスターになった。
彼女ならではの勇気と自虐ネタのおかげで、彼女はファイナルにまで進んだ。
『ビッグ・ブラザー』のほとんどの出演者と違って、彼女は成功し続けた。4位で終わったにもかかわらず、である。
彼女が一連のフィットネスのDVDをリリースしたり、ハートフォードに美容サロンを開店したり、自伝を出版したりしているうちに、彼女ならではの名声はどんどん高まっていった。・・・
彼女はまた、'What Jade Did Next', 'Jade’s Salon' 、'Jade’s PA’といった彼女自身出演するショウ番組のメインを務めた。
しかし2007年の1月、彼女は、'Celebrity Big Brother' という番組内で一人の同居人となり、インドの女優シルパ・シェティに対する暴言で人種差別の非難を浴びた。
ある出来事において、ジェイドがシェティのことを’Shilpa Poppadom’と呼んでしまったのである。
ショウから外れた後で、彼女は自分の行動が間違いであることを認め、公けの場での謝罪を何度も繰り返した。
シェティとの衝突は轟々たる非難を呼び、そのため彼女はインド国内向けの番組に出演することになった。そこで、生放送中に、劇的な仕方で、気の滅入るようながんの知らせを告げられたのである。
彼女はすぐに番組を降板し、家族と息子の近くにいられるようにと、英国に戻った。
ジェイドのがんの診断の結果、彼女はまた世間の好奇の目にさらされるようになり、インタビューでがんとの闘いについて語り続ける羽目になった。
TVチャンネル・リビングは三部構成のシリーズものを製作したが、それはこのスターの後を追い回し、彼女の闘病生活を記録するドキュメンタリー番組だった。
彼女は、子供たちの生活費を稼がなくちゃいけないと言って、自分の物語の売り込みの弁護をした。その子供たちの父親でTVプレゼンターのジェフ・ブレイジアは、チャンネル4のリアリティ番組'Ship-
wrecked(難破した人々)'に出演して自分の名前を売り込んでいたのである」。
イギリスのテレビ事情はまったく知らないので、たぶん違っているところもあると思いますが、この記事の最後のあたりを読むと、TV業界とそれに群がる人々の実情が少しだけ判ります。日本のTVの実情は皆さんご存知でしょうが、それをはるかにしのぐような腐敗が感じられます。グッディは、この掃き溜めのような場所に咲いたあだ花のようなものだったのでしょうか?
「 ジェイド母の日に死す
勇気あるジェイド・グッディは今日がんとの闘いを終えた
「ビッグ・ブラザー」で一躍人気者になったジェイドは、6ヶ月に及ぶがんとの闘いの末、子宮頸がんで27年の命を閉じた。
彼女は、エセックス州、アプシャーの自宅で、母の日の午前3時35分、失意の夫ジャック・ツイード、母ジャッキー、家族の親友ケビン・アダムスに囲まれて、就寝中安らかに亡くなった。
ジェイドの母ジャッキーは今日こう述べた。「かわいい娘を失ったわ」。
彼女は、霊柩車がジェイドの遺体を運び去る様子を見るために、パジャマ姿で家から出てきた。
「ジェイドは今朝3時35分に亡くなりました。家族と友人はそっとしてくれればと願ってます。長かったですから」。
ジェイドは、友人や家族に囲まれ、結婚式でジャックと結ばれてからちょうど一ヶ月後に亡くなったわけである。
5歳になるボビーと4歳になるフェディーの二人の息子を跡に残し逝ってしまったこの悲劇のTVスターに、各界から賛辞が寄せられている。
ジェイドのスポークスマンのマックス・クリフォード:「彼女はとても勇敢だった」。
「生きていたときと同様、世間が注目する中で死んだのだから」。
「それが彼女の対処の仕方だったんだ」。
彼女は、世間の人々の心に触れたのだ。
勇気
「いずれ、自分が生きていられるのは、ジェイドが子宮頸がんについて公共の場で発言してくれたおかげだと思ってくれる多くの若い女性がイギリス全土にいますよ」。
「人々は、彼女の物語と彼女の勇気によって感動したのだから」。
「臨終の場にはジャックもいました。彼は素晴らしかったし、本当に最高だった」。
「彼女が起き上がるたびに、ジャックはいたんですよ。髪の毛を撫でたり、歯ブラシにペーストをつけてやったりしてね」。
「21歳の男があれだけのことをするなんて、実にたいしたものだよ」。
ジェイドの二人の息子の父親であるジェフ・ブレイジアのスポークスマン:「ジェイドの死亡の一報を聞いて、彼はとても悲しみに沈んでいる。彼が現在何よりもしたいと思っているのは、息子と一緒にいることである」。
死亡の知らせが伝えられて数分後には、グッディに手向けの品を供えようと、弔問の人々が自宅にやってきた。彼らは家の玄関のところに花束を供えた。
クリフォード氏が言うには、母親のジャッキーと夫のジャック・ツイードは彼女の傍らにいた。家族の友人のケビン・アダムスもそこにいた。「彼女は、実に多くの人命を救ったし、これから救う若い女性として記憶されると私は思います」と、公共の場でのがんとの戦いがどれほどこの病に対する意識を高めたかに言及しながら、クリフォード氏は言う。
「とても、とても勇敢な女性でした」。
「彼女は、これまでのすべての人生に向き合ってきたように、死に向き合いました。果敢に、勇気をふり絞ってね」。
5歳のボビーと4歳のフェディーの二人の息子をもつ27歳の女性が母の日に亡くなるなんて「皮肉だね」。
クリフォード氏は、グッディ一家には静かなまま悲しみの時間が与えられるように願っている、と述べた。
葬儀の日取りはまだ未定だが、ここ10日の間には行われることになるだろう。
「ジェイドは生きたことを祝う場にしてほしいと望んでいた。彼女が自分の思い通りに自分のことをするジェイド・グッディ・プロダクションの作品になるでしょう」と彼は言った。
ジェイドは、葬儀を計画するという仕事を、花嫁介添人の一人にしてもらうつもりだった。
「しかしすぐに、そうしてほしくないなぁ、この方がいいわ、自分の思い通りがいいわねと彼女は言ったんです」と、クリフォード氏は続けた。
「お祝いにしましょうよ、もちろん涙、涙のお祝いになるでしょうけど」。
グッディはバーモンジー通りの葬儀屋を選んだのが、それは「彼女がバーモンジー通りで育った女性だったからです」。
教会での葬儀の後で、葬送の列はラウトンの街を通ることになるでしょう、エセックス州アップシャーの彼女の自宅のそばをです、と彼は言った。
ジェイドは過去7年間、皆の視線の中で生活していたのですから、葬儀は誰もが参加できるお祝いとなるでしょう、と彼は言った。
「彼女は、生きてきたような仕方で死んだのですから」。・・・
ジェイドは、子宮頸がんと診断された後で余命数ヶ月しか与えられなかったわけだが、エセックスの自宅では小康状態とこん睡状態を繰り返していた。
彼女は、退院をして、最後の数日をアップシャーの自宅で過ごせるように許可を出してくれた医師団に感謝していた。
4ヶ月にもわたるむごい化学療法の末にはげになってしまったこのスターは、攻撃的ながんがゾッとするようなスピードで彼女の体内に転移し、彼女を絶えず苦痛の状態に放置したので、急速に衰弱していった。
自分の病が末期のものであるという心が折れるような知らせを聞いたとき、勇敢なジェイドは、自分の二人いるおさない息子の未来を救うためにできるだけ多くのお金を稼いでやろうと心に誓った。
2月22日、21歳のジャックとの結婚式をテレビや雑誌に報道させることで、約100万ポンドの報酬があったと考えられている。
医師たちから彼女の無慈悲ながんを止めるには自分たちは無力であるというショッキングな知らせを告げられて、彼女はその場でくずおれた。
信じられないほど気が小さいくせに、彼女はありったけの力を振り絞って、エセックス州、ダウン・ホールでの豪華な挙式でヴァージン・ロードを歩くという夢を実現させたのである。
ジェイドは、死ぬ前に愛する息子の5歳のボビーと4歳のフェディーとなるべく多くの時間をともにすごそうと心に決めていたのだが、家族には、自分が死ぬ場面に子供たちを立ち合わせないでほしいと言っていた。
ロンドンの南西、バーモンジーの荒んだ地区で、シンルグ・マザーのジャッキーに育てられたためか、歯に衣着せぬこのスターは、子供たちに最良のスタートを与えるために、できる限りのお金を集めようと決心した。
ジェイドの父、アンドルーは、ジェイドが2歳のときに、ジャッキーのもとを去った。彼は、窃盗罪で、ワンズワース刑務所に4年間服役していたのだ。
ジェイドによると、彼女はめったに学校に行く機会はなかったし、バイクの事故で左腕の自由と片目の視力を失った母親の手助けをしなければならなかった。
歯科医の助手になったあと、彼女は、2002年に、ヒット・チャンネル4のリアリティー・ショウという番組に参加し、思いがけずTVスターになった。
彼女ならではの勇気と自虐ネタのおかげで、彼女はファイナルにまで進んだ。
『ビッグ・ブラザー』のほとんどの出演者と違って、彼女は成功し続けた。4位で終わったにもかかわらず、である。
彼女が一連のフィットネスのDVDをリリースしたり、ハートフォードに美容サロンを開店したり、自伝を出版したりしているうちに、彼女ならではの名声はどんどん高まっていった。・・・
彼女はまた、'What Jade Did Next', 'Jade’s Salon' 、'Jade’s PA’といった彼女自身出演するショウ番組のメインを務めた。
しかし2007年の1月、彼女は、'Celebrity Big Brother' という番組内で一人の同居人となり、インドの女優シルパ・シェティに対する暴言で人種差別の非難を浴びた。
ある出来事において、ジェイドがシェティのことを’Shilpa Poppadom’と呼んでしまったのである。
ショウから外れた後で、彼女は自分の行動が間違いであることを認め、公けの場での謝罪を何度も繰り返した。
シェティとの衝突は轟々たる非難を呼び、そのため彼女はインド国内向けの番組に出演することになった。そこで、生放送中に、劇的な仕方で、気の滅入るようながんの知らせを告げられたのである。
彼女はすぐに番組を降板し、家族と息子の近くにいられるようにと、英国に戻った。
ジェイドのがんの診断の結果、彼女はまた世間の好奇の目にさらされるようになり、インタビューでがんとの闘いについて語り続ける羽目になった。
TVチャンネル・リビングは三部構成のシリーズものを製作したが、それはこのスターの後を追い回し、彼女の闘病生活を記録するドキュメンタリー番組だった。
彼女は、子供たちの生活費を稼がなくちゃいけないと言って、自分の物語の売り込みの弁護をした。その子供たちの父親でTVプレゼンターのジェフ・ブレイジアは、チャンネル4のリアリティ番組'Ship-
wrecked(難破した人々)'に出演して自分の名前を売り込んでいたのである」。







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