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寿司屋で思うあれこれ [雑感]

 話は前夜に遡るのだが、上野の蕎麦屋で天ざるを食べたものの、それだけではさすがに足らず、デパートの松屋の地下に寄って寿司を買って帰宅した。寿司といっても、ネギトロの巻物三本である。松屋の地下は、7時を過ぎると一斉に投売りが始まる。それを目当てに来る人もいるだろう。すぐになくなることもあるので、商品があるだけでも御の字であった。

 しかし帰宅してネギトロを食べ始めると、子供が寄ってきて「食べたい」と言う。もちろん夕ご飯は充分とっている。それに、ネギトロなんて食べたことがないはず。なぜ、今日に限ってねだるのだろう? とけげんに思ったが、まあいいや、はいどうぞ。

 それが、彼がネギトロに目覚めた瞬間であった。「うまい、うまい」と言いながら、またたく間に食べ終わるかの勢いである。うかうかしていると、最後の一本ももって行かれそうなので、私は、あわてて自分の口に突っ込んだくらいであった。子供は物足りなさを感じたのだろう、「ネギトロうまい、すし鮮でたべたい」と何度も繰り返す。我が家は、子供づれのときは、大衆的な『すし鮮』に行くことが多い。子供は、玉子やイクラの美味しさには早くから馴染んでいたが、さらにステップ・アップしてネギトロに目覚めたか。もう、中トロ・大トロと言い出すのも時間の問題であるなあ。「まあいいや、じゃ、明日はすし鮮に行こう」と、最後の一本をほお張った罪悪感をかき消すために、私は、そう約束したのだった。

 我が家が『すし鮮』に行くようになったのは、元来、その二階から車が往来する雷門通りが見えて、子供が退屈しないことが最大の理由であった。

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 しかし、一年ほど前から、この店はディスプレイをタッチして注文できるシステムが導入されて、これが子供の気に入り、彼にとって、外食で寿司といえばここ以外にはありえない状態である。

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 親としては、子供の気に入る店が良い店である。それに、最初の頃は馬鹿にしていたのだが、いちいち職人に頼まなくてすむのは楽だな~と思うようになった。たしかに、職人と相対峙して座っているという状況は、時として、非常に気詰りになる。そういう心理的負担から解放されるというのは楽といえば楽である。しかし・・・

 
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 子供は次々とネギトロやイクラを注文する。軍艦巻きのディスプレイを見ながら、どれも子供が好きそうなものばかりだなあと今更ながらの感慨を催すと同時に、それらはすべて、古い江戸前にこだわる美家古寿司が頑なに出すことを拒否しているものである、ということに思い至った。そんな例を出さなくともよい。ネギトロやイクラの軍艦巻きのようなものは私の子供の頃にはなかったし、そもそも寿司なんて大人の食べるものだった(海苔巻きやいなりずしは別ですよ)。たまに父親が買ってくる寿司の折り詰めは美味いとは思わなかった(実際、それは安物だったということもあるのだが)。子供が食べても仕様がないものが、いつの間にか変わってしまった。ということは何のことはない、われわれの嗜好が、子供でもわかるような味にシフトしてしまった、ということである。

 美家古寿司を例に出したのはたまたまであり、古いスタイルを墨守するのが良いと言っているわけでもない。最近の子供でも判る寿司に慣れた舌にとって美家古の古いタイプの寿司は「物足りない」と感じられるだろう(実際、そういうレビューをいくつか見た)。少し堅苦しい作法や、万事に手をかけ陰影を多分に含むような食べ物よりも、誰もが負担からの解放を求め、単純明快な味に走るのが時代の趨勢と言うものなのだろうか?  

 しかしこの話はこれくらいにして、『すし鮮』の話に戻ろう。刺し身や煮物、日本酒を結構飲んで2万いかないというのは信じられない。最後にかんぴょうの海苔巻きを頼んだ。
 
 
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 このかんぴょうの尻尾が少し飛び出ている様子を見て、何か記憶の底にうごめくものを感じた。家に帰って探したら、ありました、ありました。向田邦子の文章である。『父の詫び状』の中の「海苔巻きの端っこ」の一節を紹介しよう。

 
  「わが家の遠足のお弁当は、海苔巻きであった」。

  これは、太平洋戦争前のことである。ちなみに、それから3~40年以上たった私の小学校の頃も、遠足や運動会のような特別な日は、海苔巻きといなりずしだったような記憶がある。長年続いていた美風というものだろうか? いつごろ途切れたのだろうか? コンビニの普及が原因か?

  「・・・遠足にゆく子供は一人でも、海苔巻きは七人家族の分を作るのでひと仕事なのである。五、六本出来上がると、濡れ布巾でしめらせた包丁で切るのだが、そうなると私は朝食などそっちのけで落ち着かない。海苔巻きの両端の、切れっ端が食べたいのである。海苔巻きの端っこは、ご飯の割りに干ぴょうと海苔の量が多くておいしい・・・」。

  こういう感覚は、もはやありえないものだろうか? こういうほんのわずかな違いに目を向けさせ、海苔と干ぴょうを余分に味わえることに至福の喜びを見いだすような飢餓感とつつましい欲ばり。ネギトロやイクラの軍艦巻きを幼い頃から食べていれば、そんなことは、はるか遠い昔の話のようにしか映らないとしても仕方ないことであろうか? 多分そうなのかもしれない。子供がもう少し大きくなったら聞いてみたいと思う。私としては、判るよという答えをかすかに期待しているのだが。

 ちなみに、上の写真に写っている尻尾が出た干ぴょう巻きは、残飯整理のように、私に押し付けられたのであった。







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