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うまし国ぞ(1) [探求]

 特に歴史が好きなわけではないし、特に日本というものに人並み以上の関心があったわけでもなく、だから専門的知識はゼロに近いにもかかわらず、いつか暇になったときに、日本の古典、とくに『古事記』や『日本書紀』は読んでみようとは思っていた(父親が大の古代史ファンだったことが関係しているのかもしれない)。そのため、関連する本を少しづつ集めてはいたのである。たまたまこの10日間あまり(4~5日は熱を出して寝ていたのだが)寸暇を見つけることができたので、関連本で手っ取り早く読めそうな本を5~6冊ぺらぺらめくって見たのだが…  

 やはり日本の古代は難しいなあ、とつくづく思う。もちろん私自身が日本の古代の専門家ではない(そもそも、古代であれ現代であれ、日本のことを専門にしていない)からそう思うだけかもしれないが、何と言ったって、自分の「母語」であり、自分の「母国」のことである。ヘブライ語やギリシア語で書かれたものが理解できないのとは訳が違うじゃないかとは思うものの、やはり、日本の古代は難しい。難しすぎる
。漢文が読めない。しかし『古事記』は漢文ではない。しかし漢文のように見える漢文じゃないものを、読
み続ける気力が沸かない。漢字の連なりに拒否反応しか起きない。
 しかし、仮にこういう壁をクリアー出来たとしても(同じ文章も100回くらい読んでれば判るようになるといいますからね、要は忍耐力の問題かもしれない。しか~し、忍耐力が続くかどうか…)、まだまだ二重三重の壁が立ちはだかっているという感じなのである(あるいは、つい難しい方向に引き寄せられてしまう自分の性癖が問題なのかもしれないが、まあそれは、いまさら言っても始まらない)。

 こういうことを抽象的に論じても仕方ないので、具体的な例に即して考えてみよう。舒明天皇の御製とされている、有名な歌である。

 「天皇、香具山に登りて望国したまふ時の御製歌

 大和には 群山あれど とりよろふ 天の香具山 登り立ち 国見をすれば 国原は 煙立ち立つ  海原は 鴎立ち立つ うまし国ぞ 
 あきづ島 大和の国は」(『万葉集』巻一・二)。

 この元来の形は、次の通り。

 「天皇登香具山望国之時御製歌
 
  山常庭 村山有等 取与呂布 天乃香具山 騰立 国見乎為者 国原波 煙立竜 海原波 加万目立多都 怜○国曾 蜻嶋         
  八間跡能国者」(ただし、○は立心偏に「可」。可怜(可憐の意)と同じと解説にはある)。

 この標準的な訳は、次の通り(小学館:日本古典文学全集『萬葉集①』より)。

 「天皇が香具山に登って国見をされた時のお歌
  
  大和には 群山があるが 特に頼もしい 天の香具山に 登り立って 国見をすると 広い平野には かまどの煙があちこちから立ち上っ ている 広い水面には かもめが盛んにとびたっている ほんとうに良い国だね (あきづ島)この大和の国は」。 


 まず、ぱっと見ておかしいと誰もが思うことは、「大和盆地で海が見えるのか」という疑問。上にあげた訳では「海原」を「広い水面」(池のようなもの)と解しているが、「海原」を「池」とする例が他に見当たらないので、これは非常に苦しい(さりとて他に妙案もないので、この苦しい訳が標準となっている)。

 次におかしく思えるのは、「かもめ」が盆地にやって来るかという疑問。小学館本の解説では、かもめは「内陸深い湖沼にも飛来生息する」と、あくまで突っぱねているのだが、やはり不自然というものではないだろうか。そりゃ、かもめだって、時には山頂にまで上ったりするだろうが、それはあくまで例外であって、例外ならばそれをあえて詠う意図がなくてはならないはず。しかしその特別な意図がこの歌にあるとは思えない。やはり、これは海を見晴らす場所に立って詠んだ歌、と考えるのが自然だろう。

 次に、同じ「大和」に対して、同じ歌の中で、「山常」と「八間跡」の表記が用いられるのもおかしくはないか(同じことは、「竜」と「多都」にも言えるが)。
 
 次に、けっこう素朴ではない疑問になるが、「可怜」を「うまし」と読むのは何故?? 小学館の全集は何の説明もしていない。要するに、そういう決まりなんだ、ということなのか? こういう漢字とその訓みの古代ならではの異様な結びつきはけっこう多い。というか、多すぎる。そのために、日本の古代に興味を持っていても、深入りできない、何か躊躇してしまうことになるのではないか。誰か専門家が、漢字とその訓みの結びつきの一覧(もちろんきちんとした理由をつけて)みたいなものを作ってくれればいいのに、と思うのだが。
 
 さて、一見して変だと思えることを変だと思うことは常識の発露というものだが、その変な姿から正しい形を推測したり、その変な姿がどうして出来たのか、ということを説得力を持って示すことは、常識の出来ることではない。私は常識は持っているが(少なくともそう思っている)、しかしそれだけではどうしようもないわけである。                         
                                                              (次に続く)





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