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アブラハムとイサク(おまけ) [探求]

  アブラハムとイサクの物語には、一体、何の意味があるのか?
 推測を交えない限り(あるいは、推測を交えたとしても)、その意味について語ることは難しい。
 前回と前々回でアブラハムに触れた以上、ある程度必要な情報で、まだ言及していなかったものがあるので、補足的に、関係のありそうな『旧約聖書』の箇所を二~三指摘しておきたいと思います。
 
 アブラハムとイサクの物語が、供犠(生贄、人身御供)に関係していることは言うまでもないでしょう。実は、長子、初子、要するに、初めに生まれた男の子は神に捧げなければならない、という一見恐ろしげな規定が『出エジプト記』に何回か出てきます。

 「あなたの豊かな収穫とぶどう酒の奉献を遅らせてはならない。あなたの初子をわたしにささげねばならない。あなたの牛と羊についても同じようにせよ。七日の間、その母と共に置き、八日目にわたしにささげねばならない」 (『出エジプト記』22:28-29)。

 これは、非常に論理的に見える。すべての生育するもの、成長するものは、植物であれ動物であれ人間であれ、神のものである。実際、収穫祭で初物を捧げるでしょう? それと同じように、初子を捧げろというわけです。
 この規定に愚直に従って初子を捧げていると、国や民族の力は相当落ちるでしょう。これは、社会にとっても国にとっても自滅的な結果しかもたらしません。だから、実現不可能な理念です。もっとも、フェニキアあたりではかなり子供を儀式的に捧げることが行われたことが、遺跡調査で確かめれていますし、古代のイスラエルでもかなり似たようなことがあったはずです。しかし、これを文字通り厳格に行っていたはずはない。では、この規定は何を求めたものか?
 子供を、戦士として徴用することではないか、という解釈がありました。しかしこれは主流の考え方ではありません(私は、面白いと思いますが)。
 理念的には子供を捧げるべきだが、それは羊によって代用できるのだ、それがアブラハムの物語が語っていることだ、という解釈が主流のようです。これは穏当な解釈ですが、私は、腑に落ちませんね。神は、あくまでイサクを捧げろと命じたわけで、その通りにしようとしたアブラハムを讃えたのであって、羊を捧じろと神は命じていませんし、それを讃えてもいませんから。
 私は、ここには厳格な理念が述べられているのだ、つまり、人間には私物はないのだ、子供ですらそうだ、という宗教的意識が述べられている、と解釈するしかないように思われるのです。

 さて、アブラハムの物語に結構近い話が『列王記下』にあります。

 「モアブの王は戦いが自分の力の及ばないものになってきたのを見て、剣を携えた兵七百人を引き連れ、エドムの王に突進しようとしたが、果たせなかった。そこで彼は、自分に代わって王となるはずの長男を連れてきて、城壁の上で焼き尽くすいけにえとしてささげた。イスラエルに対して激しい怒りが起こり、イスラエルはそこを引き揚げて自分の国に帰った」(『列王記下』3:26-27)。
 
 この話から推測できることは、神との意思疎通には犠牲が必要なこと、そしておそらく人間(なかでも長子)の犠牲がもっとも尊ばれたこと、でしょうか? ここで「激しい怒り」とは、神の怒りであり、モアブ王の必死の機転が神を動かし、敵を退却させたということがこの話の眼目です。これならば話としてはわかりやすい。いずれにせよ、後の世の道徳的な見方では野蛮にしか聞こえないかもしれないが、率直に言うと、神は血を見るのが何よりも好きであり、血がほとばしる様な場面で現れるものなのです。「聖なる(sacred)」という語の起源を調べていくと「犠牲」という語に行き当たるのはそのためです。一見不可解にしか見えないかもしれませんが、宗教の起源に興味を持つ人は、こういうことを説明できなければならないと思います。


 アブラハムとイサクの話は、後世になるにつれ、ますますイサクに焦点が当てられるようになります。これは歴史の動きと無関係ではなく、ユダヤ人の幾度にもわたる独立運動が多くの殉死者、殉教者を生み出したことに起因しています。その過程で、イサクは、実は一度死んだが、やがて復活したのだ、という形に変えられた上で、殉教者の原型として祭り上げられるようになります。

 たとえば『マカバイ記二』の7章に書かれている殉教の場面の冒頭を見てみましょう。ほとんど正視に耐えない場面ですが(「マカバイ戦争」の背景についてはWikiを参照されたし(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%82%AB%E3%83%90%E3%82%A4%E6%88%A6%E4%BA%89))。
 
 「七人の兄弟が母親と共に捕らえられ、鞭や皮ひもで暴行を受け、律法で禁じられている豚肉を口にするよう、王に強制された。彼らの一人が皆に代わって言った。「いったいあなたは、我々から何を聞き出し、何を知ろうというのか。我々は祖父伝来の律法に背くくらいなら、いつでも死ぬ用意はできているのだ。」王は激怒した。そして大鍋や大釜を火にかけるように命じた。直ちに、火がつけられた。王は命じて、他の兄弟や母の面前で、代表として口を開いた者の舌を切り、スキタイ人がするように、頭の皮をはぎ、その上、体のあちらこちらをそぎ落とした。こうして見るも無残になった彼を、息のあるうちにかまどの所に連れて行き、焼き殺すように命じた。鍋から湯気が辺り一面に広がると、兄弟たちは母ともども、毅然として、くじけることなく死ねるよう互いに励まし合い、そして言った。「主なる神が私たちを見守り、真実をもって憐れんでくださる。モーセが不信仰を告発する言葉の中で「主はその僕を力づけられる」と明らかに宣言しているように」。

 以下、目をそむけたくなるような場面が延々と続くのですが、カットします。勇気があると自認できる方は、続きを『旧約聖書』で普通に読むことができます。アブラハムとイサクの物語との関連で言えば、日本語に訳されていない『マカバイ記四』で、こういう殉教の話がイサクに関係づけられるに至ることが重要です。

  「「勇気を出せ、兄弟よ」と一人が言うと、もう一人が「立派に耐え忍ぼう」と言った。そしてもう一人が、過去を思い出して言った。「お前の祖先がどこから来たのか、父なるイサクが、信仰のために自分を犠牲にしたとき何を心の支えとしたのかを、忘れるんじゃないぞ」(『マカバイ記四』13:10-12))。

 
  敵であるセレウコス朝のユダヤ人弾圧は事実だったとしても、これほどまでに過酷な弾圧はなかったのではないか、と大半の歴史家は見ています。つまり、これは細部に関してはフィクションだと思われます。しかし肝心なことは、宗教というものがもつ無慈悲で残忍な力です。イサクは、殉教という行為を美化・神聖化するために使われたわけですが、宗教とは常にそういうものだったのかもしれません。つまり神や神のような英雄を祭壇に祭り上げることは、常に、その名の下で惨たらしい死に方をすることも厭わない人間を大量に生み出します。他方で、人間の世界は、戦火が絶えることはなかったわけです。したがって、宗教は、いつも、その戦火をさらにたきつける薪を大量に生産するという役割しかはたしてこなかったのではないか。そしてこれからも……、悲観論者の私はそんな風にしか考えられないのです。


 



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