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宗教の起源 [探求]




  「宗教の起源」について考えてみましょう。この問題は、学問的には古くからあるように見えて、それ程でもないような気がする分野です。考古学と、人類学や文献学の総合の試みが本格的になされ始めたのは、ここ2~30年のことではないだろうか、と思われるのです。何といっても、この問題を西欧人が論ずるときは、ユダヤ・キリスト教の一神教とそれ以外の多神教的有象無象という区別があまりにも自明の前提としてありすぎて、それが阻害因として働いてきたことが少なからずあったでしょうから。しかし、特に、イスラエルの宗教の起源をめぐっては、一神教的伝統ということ自体が、きわめて新しい現象だったのではないかという考え方が、ここ20年ほどの間に急速に研究者の間で広まった、という事実があります。 

 抽象的に考えるより、具体的な例を出してみましょうにいきましょう。 

1.jpg


 これは、かつてイスラエルの民にとっての聖所であったと思われるクンティレト・アジュルードの遺構から見つかった甕に描かれていた描線画の一部で、そこには「サマリアのヤハウェと彼のアシェラに」という言葉が添えられている。
 「アシェラ」とは、この地方一帯の土着宗教においては女神の名前であり、すると素朴に考えれば、ヤハウェとその配偶者が描かれている、という推測が成り立つ。描線画の奥で楽器らしきものをもっているのがアシェラで、中央のライオンとも牛ともつかない二体のもの(祭司?)がヤハウェではないかと推測されているが、確証はない。この遺構は発見からかなりの年月が経っているが、いまだに決定的な解釈は出ていない。しかしおそらく確かなことは、後のイデオロギー化した一神教的な教義とは無縁の、もっと土着的な要素を多分に持ち(母と子の牛、という表象などは月並みなほど一般的なものらしい)、多神教的で偶像崇拝的な要素も多々あった、要するに、周辺の他の宗教とさほど変わらない信仰の形態があったのだろう、ということは確かなようである。

 それがどうして一神教的に変貌を遂げるのか? それは国家の滅亡に続いて、民族の四散の危機に直面し、それを防ごうと民族のアイデンティティーを統合する必要性を強く感じた僧侶階級の人々が。各種の伝承を総合・編纂していき、後に旧約聖書と呼ばれる書物を完成させていく過程で、そこにヤハウェという統一のシンボルのもとにすべてを統合しようとした結果なのだ、というのが大方の研究者の一致した考え方である。けれど、そうしたイデオロギー的運動が実行される前は、もっとはるかに素朴な信仰があったにすぎないのである。
 
 それにつけても、この線描画は何を語っているのだろうか? 後の一神教的純粋性を尊ぶメンタリティーからすれば、思わず目を逸らしたくなるような光景のようにも思えるのだが・・・・。これは何を物語っているのだろうか?  
 次回に続く。 




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