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変な執着 [子供とともに(更新ほぼ停止中)]

 今日、クリスマス・イヴのイヴであるわけだが、そういう状況とは何の関係もなく、子供と一緒に日本棋院・八重洲囲碁センターに行ってきた。親子で囲碁入門をしましょうという企画に参加するためであった。
 
 わが子がこういう企画に参加するのは、今年の夏に次いで二回目である。夏休みには市谷の日本棋院に行った。何回かの連続シリーズの入門講座だったのだが、その一回目に参加した子供の感想が「全然面白くなかった」だったので、これはもう子供に全然合ってないからと思って、それ以降の回は行くのをやめた。

 しかし、母親には、こういうことをやったんだよとか、結構目を輝かせて報告したのだという。どーして、親次第で感想がこうも違うのか??
よく判らなかったが、全然つまらないわけではなかったのだろうと思って、別の機会をうかがっていた。それが今日だったわけである。


 振り返ってみると、私が囲碁を打ち始めたのは大学に入ってから。これほど面白いゲームはないと思ったし、今でもそう思っている。どうして、もっと早くからやらなかったのだろう? と何度も思った。しかし私の父親は囲碁が好きだったし、幼い頃手ほどきを受けたような記憶はある。ただし、教え方が片手間なものだったので、長くは続かなかった。たぶん、あの時、親がもう少し本腰を入れて教えてくれれば、俺はもっと早くから打つことができて、もっと巧くなったかもしれない、などと、どこかで思っているのかもしれない。もっと早くからやっていれば、ひょっとしたらプロにでも・・・

 おそらく、子供に囲碁を習わせようとする動機には、自分の中の満たされない気持ちが幾分投影されているのだろう。私の周囲にも、傍から見れば無理としか見えないバレエ教室や英会話に通わされている子供の例は結構多い。それを見て「あら、あら」とは思うものものの、笑い飛ばす気にならないのは、似たような気持ちを自分の中にも見いだすからなのだろう。
 
 今日、教室に行ってみると、講師は、ハン・コンユさん。台湾から来た現役のプロである。向こうは知らないだろうが、こちらはよく知っている。囲碁のプロに合えるなんてドキドキだなあ。これだけでもう満たされた気持ちになった。


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 2時間の講座。子供は、最後は少しだれたけど、きちんと聞いていた。感想は「面白かった」とのこと。夏の講座は、親は参加できなかったし、参加者も多すぎたし、講師のお姉さんもコンユさんほどの器量じゃなかったし、やはり、条件次第で興味がわくことは判ったが、さりとて、冷静に見ると、すごく興味を持ったというほどでもないようだ。

 子供に対する過剰な期待はよくあること。もしかしたら、山下や井山のようなことになるかもとは思わなかったが、やはり自分とは違う条件を与えてみるとどうなるか、その結果には多少の期待は持っていた。しかし、私の幼い頃とそれほど大差はないのだろう。結局、早くから特段の興味をもつような頭脳の構造は私にはなかったし、私の子供にもない、という当たり前な結果が得られたようである。囲碁に関しては、私は大学になってようやく興味を持ったが、子供も、おそらく同じような経過をたどるのだろう。興味を覚え実際にやってみたいという気持ちが芽ばえるのも才能のうちである。こういうことが判ってうれしくもないが、残念でもない。変な執着が一つ消えただけ、ということである。










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