So-net無料ブログ作成
ブログパーツ
 

奈々子に [子供とともに(更新ほぼ停止中)]

奈々子に


赤い林檎の頬をして
眠っている奈々子。

お前のお母さんの頬の赤さは
そっくり
奈々子の頬にいってしまって
ひところのお母さんの
つややかな頬は少し青ざめた。
お父さんにもちょっと酸っぱい思いがふえた。

唐突だが
奈々子
お父さんはお前に
多くを期待しないだろう。
ひとが
ほかからの期待に応えようとして
どんなに
自分を駄目にしてしまうか。
お父さんははっきり
知ってしまったから。

お父さんが
お前にあげたいものは
健康と
自分を愛する心だ。

ひとが
ひとでなくなるのは
自分を愛することをやめるときだ。

自分を愛することをやめるとき
ひとは
他人を愛することをやめ
世界を見失ってしまう。

自分があるとき
他人があり
世界がある。

お父さんにも
お母さんにも
酸っぱい苦労がふえた。

苦労は
今は
お前にあげられない。

お前にあげたいものは
香りのよい健康と
かちとるにむづかしく
はぐくむにむづかしい
自分を愛する心だ。




 子供には、本を好きになってもらいたい。色々本を買っているのだが、やはり個人の購入では自ずと限界というものがあるので、そういう思いから、よく日曜日に、図書館に行く。広い、立派な図書館で、子供向けのコーナーがかなり広い。

 私の子供は、5歳ながら、もう漢字も結構読むことができるので、いろいろな種類の本を読んでいいはずなのに、彼が読むのは、決まって、はたらく車シリーズの本かアンパンマンの紙芝居。隅に座って読める所があるので、そこで一人で紙芝居を読んでいたりする。私が読もうとするのは、どうも嫌らしい。

 そこで私は、子供が視野に入る範囲内でぶらぶらするのだが、そこに子供向けの詩の本を置くコーナーがあって、たまたま手にとってみたら、案外面白い。子供と図書館に行ったときの時間つぶしにはうってつけである。

 もともと詩の世界はまったくと言って良いほど縁がない。面白いとは思うものの、どうしてそれが面白いのかと問われると、多分、答えられないと思う。それに、やはり詩は難しい。上掲の詩は、小海永二の、子供向けの詩のアンソロジーから取ったのだが、これが理解できる子供がいるのだろうか?

 「自分を愛する心」がなぜ大事なのか? 誰だって自分が大事なはずである。そんなあたりまえなことがなぜ「はぐくむにむづかしい」のか?、単なるエゴイズムと「自分を愛する心」のどこが違うのか? かりにそんなことを聞かれたらどうしよう? 

 こうしたことは、言葉の一般的な意味から引き出せることではないと思う。むしろ、自分が愛されず、その結果自分を愛することもできず、自暴自棄になって失敗に失敗を重ね、転落に転落を重ねるというような経験がなければ、本当は理解できないものかもしれないと思う。あるいは、そうした経験を経たと思われる人間を見て、間接的に何とか納得できることかもしれない。そういう意味では、この詩の理解に必要なのは、何よりも、時間や経験である。


 もちろん、こうした経験は、幼い子供には縁がない。それに生まれてから、まだ、いくらも時間が経っていない。だから、この詩で語られた言葉は子供には決して届かない。「奈々子に」は、幼い奈々子には、当分、届かない、この詩は、子供に語りかけるという形をとりながら、一方的に、親である自分が「私はお前を愛する」と、自分に向かって宣言しているにすぎないのである。しかし、親としてはこの「すぎない」以外のことが出来るだろうか?









nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:[必須]
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

トラックバック 0

トラックバックの受付は締め切りました