So-net無料ブログ作成
検索選択
ブログパーツ
前の1件 | -

ニーチェとイエス [探求]

  ニーチェが激しいキリスト教批判をしたということは今さら言うまでもないが、その一方で、ニーチェがイエスだけを特別扱いしたということはあまり話題にされることはない。たとえば、『アンチクリスト』の第39節は次のように記している。「つき詰めていえば、キリスト者はただ一人しかいなかった。そしてその人は十字架にかけられて死んだのだ」。しかし、こうした発言は散発的であり、その他の圧倒的な反キリスト教的批判の数々を前にしては、そうした散発的な発言はかすんでしまうのである。



 しかし、それはともかく、ニーチェのイエスに関する肯定的な発言はなかなか興味深いものがある。ここでは、三つの発言を取り上げよう。



 ⅰ) 「イエスは同胞のユダヤ人たちに語った。「律法は奴隷たちのためのものだった  [律法に従うのではなく]神を愛するのだ、私が神の子として父を愛するように! 神の子であるわれわれにとって道徳などどんな関係があるというのだ」( 『善悪の彼岸』164) 。


 残念ながら短い断片にとどまってしまったが、これはニーチェの天才的な洞察力を示す断片であると私には思える。イエスは(律法に規定された)善悪の彼岸に立つ人だという解釈は、イエスの活動のうちに、律法(や社会の価値全般)に対してアウトサイダーの立場をあえてとる戦略を見ようとする最近の解釈との接点が感じられる 。あるいはイエス運動を「あらゆる価値の転換」の試みとして捉えるゲルト・タイセンの解釈との近さも感じられる 。ニーチェは、ブルトマンもタイセンも知らなかったがゆえに、キリスト教を特定の型にはめて理解するしかなく、善悪の彼岸にいるイエスというモチーフを発展させることができず、それを断片という形で表現するしかなかったわけだが、イエス運動についての最近の研究を視野に入れてみるならば、ニーチェとイエスが意外に近い存在であることが判明するだろう。ニーチェ自身もイエスとの近さを感じていたらしいことは、次の断片が示している。



 ⅱ)  「いささか大まかな言い方をすれば、イエスを「自由な精神」と呼ぶことができるかもしれない。――イエスは固定したものを尊重しない。言葉は殺す。すべて固定したものは殺す。  イエス一人が知っている「生」という概念、「生」という経験は、あらゆるたぐいの言葉、定式、律法、信仰、教義に反するものである」 (『アンチクリスト』32)。


 これはルナンがイエスを「狂信家」として描くことに反対する文脈での発言であるが、いずれにせよここでニーチェはイエスの自分との近さを認めている。『善悪の彼岸』は「自由な精神」の一例として「キュニコス派の哲学者」を挙げているが(第26節)、これもニーチェの洞察力の一端を示すものである。ゲルト・タイセン以降のイエス解釈で、イエス運動とキュニコス派の哲学者との関連性を主張する解釈が少なからず現れたが、適切な情報が与えられればニーチェははるか以前にそうした解釈の先鞭をつけることができたかもしれないと、私は想定してみたくなる。そう想定してみたくなる理由の一つをしめしてみよう。

 あの有名な「おれは神を探している」と言いながら狂人が昼間からランプをかざして歩き回る様子を描いた断章、ニーチェが「神の死」を初めて語った『悦ばしき知識』の断章125は、キュニコス派のディオゲネスが昼間からランプをかざして「人間はどこにいるのか」と言いながらアテナイの街中を歩いたというエピソードのパロディであるように思われる。ディオゲネスの意図は、人間らしい人間はどこにもいないと出会う人間ごとに宣告することだった。「神の死」を告げるあの狂人も、実は、神らしい神はもうどこにもいないことを嘆いているにすぎず、他の誰よりも神を探し求めているのである。同様に、律法によってがんじがらめに支配された社会にあって、神の支配を書物ではなく、人間の行為に求めようとしたイエスのうちに、ディオゲネスと同質の挑発性、断章125の狂人と同質の敬虔さを認めることはそれほど見当違いなこととは言えないのではないだろうか? イエスに敬虔さが欠如しているわけではない。ただし、それは精神の自由と両立する敬虔でなければならない。そしてそれは当該社会の多数派から敬虔とは見なされないような敬虔であったろう。イエスの行為は、ディオゲネスの行為と同様に、社会から承認を引きだすというよりも反感と憎悪を買うものであっただろう。イエスが社会的な運動を志向したという点を度外視して言えば、キュニコス派の哲学者、イエス、ニーチェに共通するのは、社会からは認められそうもない権威に基づき、当該社会の価値観を顛倒しようとした点にあるといえよう 。狂気に突入する直前のニーチェがディオニューソスと並んで「十字架に架けられた者」と自称したことはよく知られているが、それは必ずしも精神の失調ゆえの妄想ではなかったのではないかと思えるのである。




 ⅲ) 「イエスは「罪」という概念そのものを廃棄した  イエスは神と人間との間のいかなる断絶をも否認した  人間としての神という一体性を自らの福音として体験したのである…」(『アンチクリスト』41) 。


  イエスは善悪の彼岸にいる人間なのだから、罪(と見なされるもの)に拘泥したりはしない。罪人と飲み食いし、罪人の病を治し、罪人から悪霊を追い払った。イエスはつねに罪人とともにいた。おそらく、まず自らが罪人であろうとした。そして罪人として処罰される。それは善悪の彼岸にいる人間に相応しい報いであるが、そうした活動が彼の「生」の実質をなす。そして、そのすべてにおいて、神が近くにいた。もっとも明瞭なのは悪魔祓いである。悪魔祓いの活動について、イエスは「わたしが神の指で悪霊を追い出しているのであれば、神の国はあなたたちのところに来ているのだ」(ルカ11:20)と言い放った。おそらくニーチェは、イエスの言う「福音」もそのような地上での活動に対してのみ当てはまる概念だと考えているようだ。この地上での神と一体化した活動こそが「福音」なのだと 。それに対して、パウロ以降のキリスト教は「贖罪の死」や「復活」という形で「福音」の内容を変えてしまった。ほぼ同じことをニーチェは「神」概念に関連して次のように述べている。

 「キリスト教の神概念…神は生の光明化(Verklärung)、生の永遠の肯定である代わりに、生と矛盾するものにまでなり下がった!」(『アンチクリスト』18) 。

  イエスはあくまで生の側にとどまり生を肯定するものという形で神を考えていたのに対して、彼に続く者たちはイエスの復活における超自然的介入という観点で神の行為を考えることで、神をまたしても生の向こう側の存在へと遠ざけてしまったとニーチェは見たのである。 

 もっとも、ここでのニーチェの発言は図式的すぎるということは指摘しておかなければならない。イエスが生に密着した活動をしたのに対して、後のパウロはイエスの生の側面にほとんど関心をもたずイエスの死と復活にばかり力点を置いたということは確かである。しかし、パウロはイエスの後継の一人にすぎないし、後続のすべてが皆パウロと同じだったはずはないのだが、ニーチェの目には、イエス以外の信徒はすべて同じに見えたことだろう。パウロが嘘を前面に押し出し、その他の有象無象がそれに従ったということになるだろう。


 「パウロはイエスの存在の全体の重点をこの世界の存在の背後に移し変えた  つまり、「復活した」イエスという嘘の中へと移し変えた。パウロは、実は、救世主イエスの生をまったく利用できなかったのである」 (『アンチクリスト』42)。


 ここには、言葉の安直な使用へと流れていってしまうニーチェがいるように思われる。パウロは権力のためにこういう「嘘」をつく必要があったというわけだが、しかしこの文脈で、「生きるためには嘘が必要である」というニーチェが終生手放さなかった自分自身の見解を、思い起こす必要があったのではないだろうか? 「復活」に対して直ちに「嘘」という言葉を投げつけるまえに、あのニーチェ自身の思想と復活の信仰を突き合わせる必要があったのではないだろうか? 

 しかし、もはや、ニーチェには腰をおろしてそういう作業に没頭する時間がなかった。



 おそらく、「ニーチェとイエス」というテーマを仕上げるとしたら、上で挙げたような論点をきちんと押さえる必要があると思われる。私は、いま、そういう作業に取り掛かろうとしている。










コメント(0) 
前の1件 | -