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闘いとしての愛(補足) [探求]

 


 以前、「敵を愛せ」についてのキング牧師の講話を少し紹介したが(http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/2017-03-04)、少し補足した方が良いかなと思ったので、今さらながらではあるが補足をしたい。先に紹介した部分の直前の個所である。そこでは、「愛する(love)」と「好き(like)」の違いが説かれているのだが、この部分が非常にわかりやすいのである。愛は、個人的な好き・嫌いのレベルにある感情ではない。愛は個人的な感情というよりも、決してくじけない決意であり、万人に対する善意である。それは、あるべき世界のヴィジョンの先取りである。この部分の訳を下に示しておこう。(ちなみに蛇足ながら、以前紹介した部分も付け加えて示しておこう)。


  ちなみに、youtubeでこのキング牧師の講話の音源を発見したので、下にそのURLを示しておく。この「敵を愛せ」の部分は17分48秒あたりから始まる。
 










  「イエスが「あなたの敵を好きになりなさい」と言わなかったのは嬉しいことだ。なぜなら、私にだって好きになれそうもない人が少しはいるからだ。好きであるとは、人に対して抱くやさしい感情のことであるが、私は、私の家を爆弾で破壊しようとする人を好きになることはできない。私は、私を搾取しようとする人を好きになることはできない。私は、私を不正に踏みつけようとする人を好きになることはできない。そんな人びとを好きにはなれない。来る日も来る日も「お前を殺してやる」と脅迫する人を私は好きにはなれない。しかし、イエスはわれわれに思い起こさせてくれるのである、愛することは好きになることよりも大きなものであることを。愛とは、理解や創造や身代わりの行為における万人に対する善意である。そして、これこそ、民族的な正義を求めるわれわれの闘争において、一つの国民としてわれわれが現在置かれている場所であると私は思う。われわれは諦めることすらできない。われわれは、情熱をもって弱気になることなく、一級市民となるために活動しなければならない。われわれは、わが国から分離と差別のあらゆるなごりを取り除く決意を緩めてはならないが、その間に、愛に対するわれわれの特権を捨てたりはしないのである。

 ( … I'm happy that he didn't say, "Like your enemies," because there are some people that I find it pretty difficult to like. Liking is an affectionate emotion, and I can't like anybody who would bomb my home. I can't like anybody who would exploit me. I can't like anybody who would trample over me with injustices. I can't like them. I can't like anybody who threatens to kill me day in and day out. But Jesus reminds us that love is greater than liking. Love is understanding, creative, redemptive good will toward all men. And I think this is where we are, as a people, in our struggle for racial justice. We can't ever give up. We must work passionately and unrelentingly for first-class citizenship. We must never let up in our determination to remove every vestige of segregation and discrimination from our nation, but we shall not in the process relinquish our privilege to love.  )。
 



 (補足部分) 私は、あまりに多くの憎しみを見てきたので、私自身はもう憎しみの感情をもちたいとは思わないし、あまりに多くの保安官、あまりに多くの白人市民の議員、あまりに多くの南部のKKKのメンバーの顔に憎しみの感情が浮かぶのを見てきたので、私自身はもう憎しみの感情をもちたいとは思わない。憎しみの光景を見るたびに、憎しみは担うにあまりにも大きな負担であると私は自分に言い聞かせている。どんなにひどい相手に立ち向かうときでも、何とかして、私たちは次のように言えるのでなければならない。

 「苦痛を与えるあなた方の能力に対して、われわれは、苦痛を耐え忍ぶ能力によって立ち向かうことにしよう。あなた方の物理的な力に、われわれは、魂の力で応じることにしよう。われわれを好きなようにするがよい、それでも、われわれはあなた方を愛するだろう。悪への非-協力は、善への協力と同じくらい道徳的な義務なのだから、われわれは、十分に良心的でいながら、あなた方の不当な法律に従うことも不当な体制に従うこともできない。だから、われわれを投獄するがよい、それでも、われわれはあなた方を愛するだろう。われわれの家を爆破しわれわれの子供たちを脅迫するがよい、それでも、これは難しいことではあるが、われわれはあなた方を愛するだろう。真夜中にフードをかぶった暴力的な犯罪者をわれわれのコミュニティーに送り込み、われわれを殴りながら脇道に引きずりこんで半殺しのまま放置するがよい、それでも、われわれはあなた方を愛するだろう。国中に宣伝工作員を送り込んで、われわれが、文化的およびその他の理由で、(白人との)統合教育に適していないように見せかけるがよい、それでも、われわれは、あなた方を愛するだろう。しかし、きっと、われわれの耐え忍ぶ能力によって、あなた方は疲れ切ってしまうだろうし、いつの日にか、われわれは自由を勝ち取るだろう。われわれは、自分自身のための自由を勝ち取るだけではない。われわれが訴えかけているのは、われわれのおかげであなた方が得るにいたった心と良心なのであるから、われわれの勝利は二重の勝利となるのである。」









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